第2楽章 1節目
教室の窓際の席にまで侵入してくる七月中旬の陽射しが、じりじりと半袖となった夏服から出ている素肌を焼き焦がそうとしてくる。
今年の夏は特に猛暑らしいと、ハジメと千夏が話しているのを和樹は下敷きをうちわのように使って何とか風を起こしながら聞いていた。
そんな状態だからこそ、暑さを逃れる話題が出るのは当然と言えた。
「ねぇ和樹。あんたらのとこって、夏どの辺が休み? うちらは一応お盆とバレー部が合宿する一週間は休みだけど」
「あぁ、男子も一緒…………まぁ女子とは違って男子バスケ部は実績もないし、対してバレー部は全国行きも濃厚だしなぁ」
同じように暑さを逃がすように顔を扇いでいる早紀にそう返す。
元々長くは無かったが、春休み前にバッサリとショートカットにした髪は、春から夏に変わる季節とともに、風で靡いて肩にかかるくらいまで伸びていた。
冷房もかかっていない教室で、同じくらい汗をかいているはずなのに、何故かふわりと良い匂いが漂ってくる辺りが女子の不思議なところである。
そんな事をうっかり言おうものなら、容赦無くキモいと言われてしまいそうだが。
「……ねぇ、何かキモいこと考えてない?」
前言撤回。言わなくてもだった。
最近の和樹は、心の中で思ったことが実は口に出ているのではないかと不安になるほど言い当てられる事が多かった。そんなに顔に出ているのだろうか。
内心を言い当てられて、答えるまでに少し無言があったことも見抜かれているだろうが、だからといって認めるわけにもいかない。
「…………海でも山でも、どこに行くにしても夏休みの課題は先に終わらせないとなって考えてただけだよ?」
「ふーん」
言い訳を信じてくれているのかいないのか。ジト目と言うには少々厳しい早紀の目線から逃れるようにして和樹は目を逸らし、逸らした先で先程までハジメと話していた千夏と目が合った。
「……何ていうか、早紀達って去年からは考えられない位仲良くなったよねぇ。去年の自分に言っても絶対信じなさそう」
「……はは、その節はご迷惑おかけしました。ほんとに」
頭をかきながらそう言った和樹に、千夏はふっと微笑み、早紀が肩をすくめる様にして言った。
「まぁ確かにね……でもあの頃のままのこいつだったらあり得なかったのは変わらないけど」
そう言われた和樹としては苦笑するしかないのだが、今はそうではないという意味も伝わり、むず痒い気持ちになる。
こうして、この輪の中に自分が当たり前のようにいる今の状況は不思議なものだった。
二年生になり、リセットされる関係も多い中で引き続き同じクラスとなれたことも大きいだろうが、こうして夏休みを迎える前にあったいくつかの出来事が、和樹にとっても、他の面子にとっても距離を近づけてくれるきっかけとなったのは確かだろう。
「部活組が一番予定空けにくいと思うから、僕らはそれに合わせるよ、ね、千夏…………あ、流石にそんなに早くないと思うけど、今月の20日だけは予定があるんだけどさ…………真司はどうなの?」
ハジメがそう続けるのに、和樹が教室の廊下の方を振り向くと、名前を呼ばれた真司が少し気怠げに立ってこちらに歩いてきていた。
夏休みに、長野に所有している山荘が空いているからどうだっていう話の出処だ。
正直和樹を含めた部活の面々なんかより余程スケジュールの優先は高い。
「ん? 俺も別にどうしてもっていう日は今のところ無いからな、先にわかってりゃ空けられるから大丈夫だ。足もこっちで手配できるし、泊まるところも大丈夫だから、枠だけ言ってくれや」
「ふふ、カナさんも行くんだよね? そっちの予定は大丈夫なの? 女子トークできるの楽しみにしてるねって言っておいてね」
「あぁ、カナも連れて行くつもりだが、俺ら高校生よりも大学のほうが夏休みは長いからな……後楽しみにしてるってのは自分で言ってやってくれ、その方が喜ぶだろ」
この真司という、見かけと肩書きだけではとっつきにくさの塊のような男が、実は情に厚く、しかも恋人を大事にしているのが素であることは流石に和樹もわかってきていた。
「…………なにか言いたいことでもあるのか?」
和樹がそんな少し生温い視線を向けているのに気づいたのか、真司がこちらを向いて照れ隠しのように問うてくる。
流石に内心をそのまま言うわけにもいかず、和樹は咄嗟にもう一つの気になっていたことを聞いた。
「いや、足って、車用意してくれるってこと? 長野のどこなのかちゃんと聞いてなかったんだけどさ」
「あぁ、確かに長野って事しか聞いてなかったや…………松本には一回行ったけれど、綺麗な城下町だったね。避暑地で有名なのは軽井沢とか?」
ハジメも和樹の言葉に頷くようにしてそう言って、真司があぁそうか、と呟くのを見て、うまく誤魔化せた事に和樹は内心でほっと息を吐いた。
「あぁ、松本とは少し離れてるな。小諸市って言ってもわかんねぇか、まぁよくある別荘地だ。私有地だから人もいねぇし、そこまで大きくはねぇけど、プールなんかもあって泳げるから水着でももっていきゃ結構楽しめんだろ」
「へぇ、それは楽しみ。真司は毎年行ってるわけ?」
「いや、ガキの頃は兄貴と、後は昔なじみと行ってたが、ここ数年は行ってねぇな…………まぁ今回も、兄貴に付き合うっていうのが一番の名目なんだが。そういう意味だと巻き込んですまねぇな」
「いや連れてってもらえて宿泊も無料なんて明らかにこっちが得してるからさ、片付け位いくらでも手伝うよ。慎一郎さんか、こないだ一回お会いしたけど、凄い優しそうな人だった」
ハジメと真司が経緯を話しているが、和樹としてはふと出てきた水着という単語に気を取られていた。
ふと横目に早紀を見る。
それよりも人が大勢いる市民プールや海なんて行った日には、このグループの面々はナンパされそうだが、真司の別荘、しかも私有地と言うならばその心配も無いのだろうと思った。
(……いやぁ、本当にちょっと前の俺からは考えらんねぇな)
夏休み前の放課後で、仲のいい男女で出かける――しかも泊りがけで――話し合いなんて随分と遠くまで来たような気がする。
抜けるような青い空が窓の外に広がっていた。
夏の陽射しは変わらない。
でもいつの間にか感じていた暑さは、先への楽しみと共に和らいでいた。




