第1楽章 28節目
いっくんに気持ちを告げられて、優子は思った以上に心臓の音が高まるのを自覚した。
その気持ちを知らなかったわけではないのに。
いっくんが告白される度に、何と言って断っていたかも知っているし、ハジメくんとの勝負の前にも、はっきりと言ってはいた。
幼馴染として一緒にいる時も、好意は読み取れた。
それなのに、いざ言葉にされると、好きと言われてしまうと、優子の心の中の感情が呼び起こされてしまう。
カナさんに掘り起こしてもらった自分への嘘なんかでは誤魔化せなくなくなってしまう。
何て自分勝手なんだろうと思う。
何てずるくて、どうしようも無いんだろうと思う。
いっくんはこんなにも真っ直ぐに言葉をくれているのに、この期に及んで、未だに優子は言葉に出せないでいる。そんな優子を、言葉そのままに真っ直ぐに貫くようにいっくんが見てきていた。
優子は目を逸らそうとして――――。
「ありがとう…………」
でも逸らさずに、ちゃんと目を見て、そう呟くように言った。
それにいっくんは笑う。そして続ける。
「やっとちゃんと言えた気がする。なぁ優子、ごめんな…………」
「…………え?」
謝るとしたら優子だと思うのに、何故いっくんが謝っているのか、優子はわからなかった。
「あの時さ、分かったようなふりして分かったって言ったの、それがそもそもの間違いだったんだよ」
「…………」
「結局のところ、俺がずっとこの一年ウジウジしてたのって、それが原因だと思うんだよね。俺の中で、ちゃんと終われてないんだ…………だってさ、あの時優子は確かに別れようって言ったし、疲れたって、幼馴染の方が楽だって言った」
「うん……そうだね」
「でさ、あの時の俺は、優子を困らせたくなくて…………それで、何も解ってないくせに、全然優子のことも、自分のことすらも解ってないくせに、わかったって言っちゃったんだ。でも実際なってみて分かった。幼馴染に戻るってさ、無理なんだよきっと。ううん、もしかしたら世の中には戻れる人もいるのかもしれないけど、俺は無理だった。それっぽく出来たとしても、もうそれは戻った訳じゃなくて戻ったふりを頑張ってただけだったんだ」
いっくんが、一生懸命想いを言葉にしてくれているのを、優子は受け取った。
そして、優子もまた、本心から言葉を紡ぐ。
「…………でも、それは私のせいだよ。いっくんのせいじゃない。我儘で嘘つきだった、ちゃんと話をしてなかった、私のせいだよ」
「いいや、きっとそこもどちらとかじゃなくて俺ら二人のせいなんだよ…………だって俺ら二人の問題だったんだから。それが理解るまでにめちゃくちゃ時間かかったけど。だから、これから言う話を聞いてほしい」
いっくんがそう言って、改めて優子の方に向いて、姿勢を正した。
今までも優子の方を向いて、目を見て話をしていたのだけれど、何かを正したのが、優子にも伝わる。自然と、優子も聞く体勢となる。
「…………今更だけど俺はさ、別れたくなかった。何がなんでも嫌だった」
「いっくん……」
「優子が何に疲れたのか、何に悩んでるのか。雰囲気で察するとか格好つけてる場合じゃ無かった。曖昧な言葉達のやり取りだけで、わかったふりしていいもんじゃなかった」
「…………」
叫ぶ訳では無いのに、大きな声なわけでもないのに、いっくんの言葉は物凄く優子の耳に届く。
その言葉の一つ一つが、優子の心に築いていた壁のようなものを一枚一枚と剥いでいった。
「ちゃんと一緒に聞いて、俺も一緒に悩んで、それで駄目だったならまだ諦めもつくのかもしれない。でもそれを俺は、物分かりの良い男なんてその場の雰囲気と、疲れたって優子の表情だけで分かった気になって何もしなかった。それじゃ駄目だったんだ。だから、重いかもしれない。疲れさせちゃうかもしれない。全然ダメかもしれない…………でも」
そこで一度、少し躊躇うようにして言葉を切った後で、絞り出すようにしていっくんは言った。
「でも、やっぱり俺、優子じゃないと無理だ…………だから、ちゃんと優子が悩んでること聞いて、その上で優子の彼氏っていう立場でありたい。幼馴染じゃ、やっぱ無理」
最後は、聞きようによっては情けなくもある。それでいて先程の愛の告白よりも余程、ありのままのいっくんの感情が伝わってくる告白だった。
「…………ふふ」
だから、優子は何故か笑いが出てしまって。
そして、その溢れた笑みが心の中にあった何かを溶かしてしまった気がした。
「もう、いっくんは、ずっと変なとこで弱虫でさ、何だかしまらない感じだよねぇ」
「……う、ごめん」
こんなに大きくなったのに。
こんなに格好良くなったのに。
物語に出てくる主人公かと思うような輝きを纏っているくせに。
「ね、いっくん。私もね、ちゃんといっくんの事好きよ?」
だからだろうか、目の前の少ししょんぼりしたような男の子に、優子は素直な気持ちを告げられたのは。
「…………え、ほんとに?」
いっくんが、驚いたような表情で、目を見開く。
それに頷いて、でも言葉の続きを告げる。
「うん、本当。たださ、疲れたとか、彼氏彼女がしんどいってなったあの時の私も、ちゃんと私自身の気持ち」
「……うん」
「だから、言いたいこと私も言うよ?」
優子はそう言って、微笑んだ。
「いっくんはさ、何でもできる。勉強もできるし、バスケだって本当は上を狙えたはず、なのに、何も悩まずにこの高校を選んだのは私がここにしたからだよね?」
「……う、それはそう」
「私はね、女子校はちょっと嫌だなって思ったから、通える範囲で、自分の学力と相談して。もしかしたら家を継ぐかもしれないとか、それとは別にちゃんと大学は行っておくかとか、色々考えて決めた。高校の事だけじゃなくてさ、他の色んな事も、結構いっくんって私に合わせちゃうでしょう?」
「……確かに、あの時の俺って、優子がめちゃくちゃ凄いって思っててさ。今考えたら本当にそうだよな、ごめん」
「ううん、私がその時から、それをこうやって言えば良かったんだよ。二人のせいなんでしょ? まぁそれでね、その時の私は怖くなったの…………きちんとした努力も出来て、色んな可能性がある人が、自分を基準にしていることに。中学三年生からはさ、私だけじゃなくて色んな他の人の評価でもいっくんが凄いって事がわかったからなおさらね」
「…………」
それを一言で済ませてしまったのが、疲れた、だったのだと今ではわかった。
でもそんなの、本当はあの時ちゃんと相談をすれば良かった。だから――――。
少し俯くようにしているいっくんに、きちんと伝わるように優子は言った。
「だから、次からはちゃんと話そうね」
「…………え? それって」
いっくんが少しの沈黙の後で、顔を上げる。
流石に気恥ずかしくて、優子は頬が染まっているのを自覚しながら、言葉にした。
「……さっきさ、嬉しかったんだ。そう、やっぱり嬉しいって思っちゃうんだよ。だからね……改めてよろしくお願いします。いっくん」
ぐだぐだと一年間を過ごした。
そのせいで色んな人に結果的に迷惑をかけてしまったのかもしれないとも思う。
でも、次からは、ちゃんと自分にも納得のいくような関係を作ろう、そう思った。
「…………っ?」
そんな事を考えていたら、目の前に大きな壁があった。続いて背中に回された腕に力が込められて、顔が押し付けられる感覚。
いっくんに抱きしめられたのだと、わかった。
「…………あのさ、確かにこういう返事もあると思うけれど、ちゃんと言葉にするんじゃなかったの?」
そう言いながら、高校に入ってまた背が伸びたんだなと改めて思う。中学の頃に比べて、また顔の位置が更に遠くなってしまった。
「明日さ」
優子の言葉には答えずに、いっくんは力を緩ませないままに、唐突にそう頭の上で呟く。
「うん?」
「朝電話して良い?」
「いいけど…………何?」
「夢じゃないかと絶対不安になるから…………後、迎えに行って良い?」
どうやら、これは答えらしかった。
ある意味行動が先んじて、そして見かけ以上に女々しいところがあるいっくんらしいのかもしれない、と優子は笑って頷く。
父と母はテンションが上がって何か言うだろう、ほら見なさいと言われたら癪だが、それはまぁ良いとしよう。
「一緒に学校に行く」
「いいよ、でもその前に…………早紀ちゃんにちゃんと話をする。それが出来なかったら今のは無し」
早紀ちゃんがまだ居るのであれば、謝って、色々話したい。
ご馳走だけですませてもらえるのかは分からないし、顔も見たくないと言われるかもしれないけれど、それでもちゃんと話をしたい。
それに何となく、まだ教室で待っていてくれる気がしていた。
「教室に鞄もおいてあるから、戻る…………ねぇいっくん、改めてこれからも、よろしくね?」
「こちらこそよろしく…………ありがとう、優子」
そう言葉にして、そして返されて、いっくんと離れた優子はふと空を見上げる。
満開とは言えないまでも、校舎内に植えられている春の訪れを告げる花が蕾を開かせていて。
風が吹いた。
ひらひらと、少し色づいた白く見える花びらが、二人の間を舞っていく。
あの時は卒業式が終わった後で、帰り道に桜が舞い散る中、優子は考えながら歩いて帰った。
本当に一年越しの、あの時の続きが始まる。
違うのは、一人で考えるのではなくて、二人でいること。
春は時には別れと終わりの季節。でも時には、出会いと始まりの季節なのだった。
そして、二度目の春が来る。
第1楽章 そして、二度目の春が来る 完




