第1楽章 22節目
早紀が帰り支度を始めたのは、夕暮れを少し過ぎた時間だった。
楽しかったというのもあり思った以上に居てしまい、もう日が落ちてはしまうだろう。
母親には少し遅くなるとは連絡したし、部活帰りはこの時間になることも普通にあるが、あまり遅くなりすぎると心配される。
早紀よりも家が遠い優子は、今回で相澤の彼女さんと随分と仲良くなったようで、せっかくだから車で送っていってあげようかという話が出ているところだ。
それならば、イッチーも同じ方向のはずだから一緒に乗せてもらうのだろうか、と思って、少しだけ胸がちくりとする。
(どこかで、知っているって話もしないといけないよね。…………それだけじゃなくて、ちゃんと優子とも話したいし)
早紀は話をしているイッチーと優子を見てそう思う。
複雑な気持ちもあるものの、事実は事実として消えるものでもない。
変に気を遣わせてしまうのも、いざ自分がきちんと気持ちを伝えてスッキリしてしまっている今では、申し訳ない気持ちもあった。
少なくとも早紀は、気を遣わせてしまうような態度であったのは間違いないのだから。
ちなみに、石澤は途中で親に買い物を頼まれたらしく、先程改めてハジメの叔父さんに何故かお礼を言って出ていっていたし、玲奈は実は親戚だという眼鏡の男性の車で帰宅するのだそうだ。
後、千夏はハジメと、そして叔父さんと話をしているが、どうも一緒に夕食に行くらしかった。
――彼氏の親代わりな人と挨拶してご飯か、何か凄い。
見渡して、そんな事を考えていたからか、当のイッチーが近づいてきていたのに気付くのが遅れた。
「藤堂って駅と家って近いの? 良かったら、遅くなりそうだし送っていきたいんだけど」
「……え?」
そう声をかけられて、疑問の声が漏れる。イッチーの家の方向は、早紀の方向とは逆のはずだった。
「あぁいや、夜遅すぎるわけじゃないけど、元々誘ったのも俺だし、心配なのもあるからさ」
少し照れたようにそんな事を言うイッチーに、急に心臓が跳ねる音が大きくなった気がした。
ようやく慣れた気がしていたのに、コートにいた時は平気だったのに。急に。
「えっとその。ありがとう…………でも逆方向じゃなかったっけ? いいの?」
「大丈夫、せっかくだからさ、もう少し話しながら帰ろうよ」
「……うん」
自分では分からなかったが、そう答えた早紀の顔は少し紅くなっていただろうか。
ふと目を逸らして、優子と目が合った。
(…………あれ?)
ただ目を合わせただけなのに、何かが違った気がした。
ふっと微笑んで、優子がひらひらと手を振る。そして、相澤とその彼女であるカナさんと共に歩いて行くのを見送って、早紀もまた、イッチーと歩いて駅へと向かうのだった。
◇◆
女の子に送っていくと言うのは、思った以上にタイミングも難しくて、そして、緊張するものだった。
改めて、さらっとそういう事をするハジメや真司にアドバイスを求めることのハードルの高さというやつを感じつつも、不自然だったかもしれないが送っていくことを告げて了承される。
ただ、いざ帰る時になると、どうにも無言の時間が多くなってしまっていた。
電車に乗って、二駅先が藤堂の駅だと聞く。混雑もそこまでではなく、程よい距離感で藤堂と並んで吊り革に掴まった。
(あぁそうか、藤堂の身長だと、別に高い方でも大丈夫なんだな)
いつもは低い方に自然と合わせていたからか、低くない位置のつり革に二人でいて、俺はそんな事を思う。
「ありがとね……その、イッチーの家って逆方向の電車だったのに」
藤堂が、そう呟くように言った。
「ん? ……いや、夜遅くなった時に一人で帰すのも良くないしね、気にしないで」
「うん、今日さ、イッチーとハジメ君の発案だったんでしょ? 誘ってくれてありがとね、何ていうか、楽しかった」
「ハジメのおかげだけどね。でもそうだよな、大学の人達馬鹿みたいに上手かったし」
「……上手いは上手いけど、時折目がやらしい気もした」
「あはは……悪気は無さそうだけど、藤堂は美人だからね」
「っ! ………………その、ありがと」
「あ……いや、うん」
会話の中でポロッと溢れた言葉が、まるで口説いているようなセリフで。今の答えを保留にしているような自分が言うべきものではなかったと思って、お礼を言われたのに申し訳ないと思ってしまう。
藤堂が美人という言葉は本心だ。すんなり思ってそのまま言ってしまうくらいに、俺は藤堂を美人だと思っている。
性格もサバサバしていて、それでいて気がつくところはよく気がつく。女の子に人気というのも頷ける感じだ。
(正直、自分には勿体ないくらい良い子って言うのが、そのまま当てはまる位に良い子だよな…………なのに、俺は迷っている)
何となくまた訪れた無言の中で、電車の窓から流れていく景色を見ながら、そんな事を思う。
思って、自分でそれに引っかかった。
――――迷う。
迷う? 俺は迷っているのか?
藤堂の横顔をそっと見た。綺麗だと、そう思う。
好きと言ってくれていて、話も合う、多分趣味も合った。
合わせてくれているのかなって思ったけど、そうでもなさそう。
メッセージをやり取りしていて楽しいとも思うし、今日も一緒にバスケをして楽しかった。
好ましいと思う。
でも、これが恋愛としての好きなのかと思うと、それはわからなかった。
そして同時に、ずっと考えていたことがある。
俺が優子に抱いていた想いは、きちんと恋だったのだろうか?
いや、恋のはずだ。
「あ、ホーム降りたら、少しだけ、コンビニ寄っていいかな?」
自分の中でぐるぐるしている思いに向き合っていると、藤堂にそう話しかけられて、俺は現実に引き戻された。
いけないいけない。一緒にいるのに、考え事に夢中になるなんて。
「……あ、うん勿論。何買うの?」
自省して、ホームに降り立ちながらそう聞くと、スマホで俺も見たことがある、コンビニとのコラボ商品のサイトを見せられる。
「なんかね、兄貴からの連絡で、もしあったら漫画とコラボしてるこの商品買って、付属でもらえるやつをゲットして来てって言われた」
「お、俺もこれ読んでる。将棋のやつだよね、クリアファイルかー、ファンがすぐ買っていきそうだから売り切れてないといいね」
そんな会話をしながら改札を出て、コンビニに入った。目当ての商品が残っていたようで、良かった、と言いながら藤堂が出てくる。
そして、歩幅はいつも歩くより少しゆっくり目で、暗くなってきた道を二人で歩き始めた。
バスケの話。
ハジメと南野さんの話。
三学期の期末テストの話。
お互い電車では言葉が出てこなかったのに、並んで歩くと意外と話題は何でもあった。
「あのさ……」
そして、10分ほど歩いて、もう少ししたら家が見えると藤堂が言って、俺はようやく聞きたかった本題に手を付けた。
「ホワイトデーのこと、なんだけど」
「…………うん」
そう切り出すと、藤堂が少しだけビクッとなって、頷いた。
「ごめん、正直まだ、バレンタインデーのときの事、ちゃんと返事できるかわからないんだけど。でもホワイトデーはちゃんとお返ししたいと思うんだ。たださ、まだ藤堂がどういうものが好みかわかりきれてなくて、逆に苦手なものとかある?」
「嬉しい」
「……え?」
質問に対して、溢れるように藤堂の口から漏れた言葉に、俺はそう聞き返してしまう。
「あ、ごめん。…………あはは、自分でもうわって思うんだけどさ、イッチーが、ホワイトデーで何を返そうか悩んでくれてるって思ったら、めっちゃ嬉しくて……」
「…………藤堂」
「えっと、食べ物とかで、苦手なものはないよ? ってか本当に何貰っても私嬉しいって思うと思う。ううん、絶対」
俺はドキドキしている自分を感じていた。
そして同時に、それでもなお、迷っている自分の中の何かを引き当てられそうで。
「わかった……頑張って考えるよ。ホワイトデーの事も、答えの事も」
そう、言葉を選んで、言った。
「うん、待ってる。大丈夫、どんな答えを貰っても、私は今、ちゃんと立てるから」
そう言い切る藤堂が眩しいと思った。
そして、本当に自分が女々しいなぁと、思う。
「そこ、家だから。もうここで大丈夫! ありがとうね、今日はわざわざ」
「いや、こっちこそ楽しかった。じゃあまた、学校でな」
「うん、少し早いけど、おやすみ、気をつけてね」
藤堂が玄関から入っていくのを見守って、俺は一人で来た道を引き返して歩いていった。
まだどういう答えにたどり着くかはわからない。
でも、今までみたいに条件反射で答えを出すんではなくて、自分の中にある想いとか、人からもらっている想いとか、そんなものをちゃんと考えて向き合おうとそう思えていた。
ふと見上げた視界の中、住宅の一つから伸びる桜の木の枝先で、蕾が膨らみ始めているのが見える。
あれからもう、一年が経つのか。そう思った。
また、春がやってくる。




