第1楽章 15節目
「ご苦労。帰りが必要かはまた連絡する…………お前も偶には羽を伸ばしたらどうだ?」
「はい、承知いたしました。真司様もお楽しみください…………ふふ、私はきちんとお休みを頂いておりますよ、ありがとうございます……足もそうでございますが、お帰りになられない場合は、ご一報いただければと」
「あぁ、わかっている」
そう言って、幼少期から専属のようになっている鹿島の運転する車から降りると、真司は通りを見渡しながら目的地に向かった。
佳奈はバイトであり、真司も所用があり直接来たため、久しぶりに一人でその場所を訪れることになる。
いつものように、言われなければ中にバスケの場があるとは思えないバーを通り、何人かの顔見知りと会釈をしてコート傍のベンチへと歩いて行く。
真司を呼び出した本人はまだ来ていないようだが、ここの持ち主はいつものようにそこに居た。
「あら、真司くん、今日は早いのね、いつもはもっと夕方ごろなのに」
真司に気づくと、すぐに笑顔で出迎えてくれるのに、真司は頷いて言葉を返す。
柵も存在せず、人柄としても自然と敬語を使える数少ない大人であるここの夫妻は、真司にとっては貴重な存在である。また、同様にこの場所は、家でも高校でも無い場として、真司にとっては必要なものだった。
「美咲さん、そうっすね。今日はハジメ達が来るってんで」
「ふふ……友人達のために予定を変えるなんて、貴方も変わったわね…………この間、慎一郎くんにも会ったのだけど。褒めていたわよ」
「兄貴が…………そうですか」
真司の兄である慎一郎は大学に通い、経営の勉強をしている。
だが、本人の資質としては経営には向かず、どちらかというと芸術面、絵を書く事に特化していると言ってもいい。そのため、ここの夫妻とは家や真司とは関係なしに仲が良いのだった。
何故かというと、目の前の美咲の夫である雄二は、知る人ぞ知る芸術家であるからだ。実は、国内では知名度は低いものの、特に海外で高い評価を受けている人間なのである。
あの筋骨隆々とした体格に強面の容貌からは全くそうは見えないが、一度見たことのある絵は、本当にあの無骨な指によって生み出されたのかを疑うほど、繊細なタッチの美しい絵だった。
また、兄の描く絵についても、人を描くにも風景を描くにも、何故か兄が描いたと分かる、暖かみがある兄の絵が真司は好きだった。
――――例え、その暖かみが、真司の家の長男として相応しくないと判断を下されていようとも、真司がそれを違えることは無い。だからこそ、自分の居ないところで尊敬する兄が自分のことをそう言ってくれていたと聞くのは嬉しいことだった。
「ふふ、嬉しそうね…………兄弟仲は悪く無いようで何よりだわ」
「親や、家のあれこれはともかくとして、兄貴のことは尊敬できていますから」
「そう…………あら、そろそろ来たのかしら、入り口が騒がしくなってきたわね」
美咲と話をしているうちに、店の方からザワつく声が聞こえてきている。
ハジメが絡まれているのか、それともイッチーが絡まれているのか。女達が拝まれているのか。
もう物珍しくも無いだろうに、相変わらず大学生や社会人の連中は飽きないものである。
◇◆
「なぁ新入りよ…………念のため、念のために聞くが、お前はあの中の誰かの彼氏だとか言わないよな? または、彼女が居たりはするのか?」
「………………大事なことだ、どうなんだ?」
和樹は、店の中に入ると共に視線を浴び、体格の良い、明らかに高校生では無い数人に取り囲まれて質問を向けられていた。
一緒に来たはずの佐藤やイッチー、それに藤堂達は少し離れた場所でそれを呆れたように見守っている。そちらに、特に一番ここに慣れていそうだった佐藤に助けの視線を向けると、手を合わせるようにして笑ってみせてくる。いや、どういうことだよ。
「えっと、あの?」
和樹が戸惑うようにそう言うと、数人が代わる代わる言葉を吐き出すようにして迫ってきた。
「いいか? あのハジメが連れて来たんだ…………あの、可愛い彼女ができたら見せつけるように連れてきた裏切り者の…………しかもその後連れてくるのも何か皆イケメンか美少女だし」
「…………そこに新入り、お前が来たわけだ。…………なぁ、お前は俺たちの仲間だよな!? 実はあの中に彼女がいるリア充高校生の一味だったりしないよな!?」
「もしもこれで、普通そうに見えるこの子すらリア充なら…………俺はここの高校に入り直したい」
一体これまでに何があったというのか。
とりあえず、和樹は今自分に何故か縋るような目で見ている男性たちに答えた。
「……とりあえず彼女は居ないっす、これまでに居たこともないっす」
「よし、お前を仲間として認めよう」
「よし、お前にバスケとは何たるかを教えてやろう」
「よし、ようこそ! 今日は楽しんでいくといい」
満面の笑みだった。
学校の先輩とも違う、親とも先生とも違う年上の――いや、今のところ威厳は無いが――男性たちにそう言われて、和樹は苦笑いする。
元々、金曜日に佐藤とイッチーが話をしている時に、ふと予定を聞かれて答えたところ、こうして初めてストリートバスケなる場所に来ることになったのだった。
イッチーと藤堂、佐藤に南野に加えて、櫻井や法乗院さんまで来るということで、少しばかり気後れもあったのだが、学外で友人と、そして何より綺麗な女子達と行動するという誘惑には勝てなかった。
その結果として大学生の男性達に取り囲まれる未来は斜め上、いや、斜め下だが。
「皆さん、いい加減に僕が友達連れてくるたびに絡むの辞めてくださいよ?」
「そんな事言いながら、あの子はただの友達じゃ無かったくせしやがってこいつは」
「ずるいぞお前ばっかり!」
次々と和樹の元にやってくる彼等を見かねたハジメが間に入ると、あっさりと矛先は佐藤に向かう。
それに笑いながら抵抗しているのを見て、学校の雰囲気とはまた違った佐藤に、和樹は意外な目を向けていた。
そして何より。
(…………友達、か)
割とあれから休み時間などでは話はしているが、そう言ってもらえるのは嬉しい気持ちがあった。
ただ、和樹のそんな感傷のようなものは長くは続かなかった。その後の、予想もしない闖入者によって。
「…………お? 何だ楽しそうじゃないか。そして珍しいな、ここに女子高生がたくさんいるのも。…………で、誰がうちの甥っ子の、噂のお相手の子だい?」
扉が開く音と共に、そんな声が聞こえた。
そちらを見ると、二人の大人の男性が立っている。
メガネを掛けた柔和そうな顔立ちの男性に、カジュアルな服装に身を包んだ、どこか目を引くようなオーラを纏った男性。
――――誰?
そんな事を和樹が思っていると。
「え? 叔父さん、何でここにいるの?」
大学生とやり取りをしていたハジメが、どこか呆れた声で言うのが聞こえた。




