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第0楽章 2節目


 櫻井優子(さくらいゆうこ)は、今日も騒がしい一日を迎えていた。

 食堂をやっている家においての朝は早い。優子もまた、仕込みの手伝いをすべく早く起きて、両親と弟と並んで店のキッチンの前に立っていた。


「そういえば優子、あんた昨日も隣のいっくんと出かけてたみたいだけど、結局いつヨリを戻すわけ?」


「だから戻さないって! 昨日は共通の友人と出かけるために一緒に出ただけ! もうすぐ一年経つのにいい加減そのネタやめてよね」


 優子は、思い出したように言う母親に対して否定の声をあげる。

 手は包丁を動かして万能ねぎを切ったままだ。中学に入る頃から本格的に仕込まれ始めた手さばきは、心の動揺とは無関係に動いてくれる。


「何だって? いっくん以下の男を連れてきても、父さんは認めんぞ?」


「いや勘弁して、ハードル高すぎるから」


 父親の言葉にげんなりしたように答える。

 まだそんな予定はないが、()()を基準にするのだけは辞めてほしかった。

 むしろ学校に存在するだろうか。そんなことすら思う。


「あらあら、やっぱりいっくんが最高だって思ってるのねぇ」


 優子の言葉に、ニマニマと母親がからかってくるのに、切り終えてバットに入れた万能ねぎを滑らせるように渡して、すかさず弟から渡ってきた長ネギへと着手を開始する。


「いやー、いち兄はまだ姉ちゃんにべた惚れだと思うんだけどなぁ。ほら、姉ちゃんって結構可愛いし何よりそのむ――――」


将大(まさひろ)? お姉ちゃん今包丁持ってるからね? ちょっと手が滑っちゃうかも」


「わぁ馬鹿姉! 滑ったって包丁はそんな動きしねぇよ!」


 ギャーギャー言いながら逃げるようにしつつ、その実仕込み中の茶碗蒸しを上げに行く辺り、弟も慣れたものである。


「うぅ、もう嫌だ、この家族」


 信じられないとは思うが、これが優子とその元彼に関する家族とのやり取りの光景だった。

 付き合っていた時は、あらやっとなの、と言われ、別れたといった時は、倦怠期ってやつねと言われた。そして現在はこれである。

 優子の知る幼馴染モノの物語の中では、もう少し世界にはデリカシーというものや恥じらいというものがあるはずなのだが、残念ながら現実は無情だった。



 ◇◆



 櫻井優子には、幼馴染の男の子がいる。

 名を佐藤一(さとうはじめ)。最近は色々あった結果、イッチー呼びが広がり始めているが、優子にとっては昔からいっくんという呼び名の男の子だ。

 小学校時代は特に成績が良い以外は目立たなかったいっくんは、順当に優子と同じ地元の中学に入学し、そして、中学一年生になると同時に、優子の彼氏と相成った。


 優子は割りと敵を作らない人間で友人も沢山いたが、そこまで異性との付き合いが豊富だったわけではなく、小学校後半から読み漁ったライトノベルや少年少女ジャンルを問わない漫画の世界の中の、恋人というものに憧れていたし、異性として意識をし始めた幼馴染とあっさり付き合うことに対して、その時は何の躊躇いもなかった。


 周りもお似合いだと言ってくれ、家族も祝福してくれて、そう、あの時の私はとても幸せだったのだと今でも思う。


 幼馴染とはいっても様々で、優子といっくんは、別に一緒にお風呂に入った経験は記憶に無いような写真が残っている程度までだし、元々お互いの部屋に入り浸るような関係だったわけでもない。

 家族同士が仲が良く、ご飯を共にすることもあったし、出かけることもあったが、兄弟同然というほどでもなく、きちんと異性としての友人として育ってきた。


 だから恋人に名前を変えても、本当にゆっくりと関係を進めていった。


 普通に学校から帰る時、幼馴染で家も隣だから、と偶に一緒に帰っていた時とは違って、変な言い訳もなく彼氏彼女として帰るということに恥ずかしがる時期を乗り越え。

 純情よろしく、手をつなぐことにすら三ヶ月という長い時をかけて。

 キスまで至れたのなんて、中学二年の秋のことである。まだ、彼が優子が少し背を伸ばすだけで唇を重ねられた頃だった。


 隣を見たら当たり前のように見えていた横顔が、いつの間にか見上げないと見えなくなってしまったのはいつの頃だったか。


 友人の南野千夏の彼氏になった、いっくんと同姓同名のハジメくん。

 彼を初めて見た時のことは覚えている。何故ならそれは、振り返った時に、終わりの始まりを告げた瞬間として優子の中に刻まれているからだ。


「あれ? いっくん、同じ名前の人がいるよ?」


「え? マジで? うわーホントだ、しかも同じ二年っぽいのにレギュラーじゃん! 優子もっと近く行って見ようぜ」


 そんな風に幼馴染が憧れのように見ている前で、ハジメくんは活躍していた。

 多分今の千夏ちゃんがあれを見たら、もうやばいだろうな、そう思って少し笑ってしまう。


 そして、そんな同じ名前の男の子に見事に影響された優子の彼氏は、遅ればせながらバスケ部に入部し、それまで有効活用されていなかった抜群の運動神経で、急激にバスケというものを吸収し始めた。

 最初は、優子も純粋に応援していたし、仲の良い友人もいたことから部のマネージャーにもなった。背が伸びるための食事研究、とやらもした。

 というか、中学二年から中学三年生までの間、幼馴染の食事を管理していたのは優子である。我ながら健気なものだ。


 元々そういう素質があったのか、優子の研究の成果か、本人の努力か。

 そのいずれか、または全ての効果により、いっくんの身長はみるみる内に伸びていった。

 中学の最後の方は成長痛で大分苦しんでいたが、その代わりといっては何だが、今では180オーバーの、高身長イケメンスタイルを手に入れている。


 元々頭は良かったし、性格も良かったのは優子が良く知っている。髪型を整えたら格好いいのも、優しい瞳が前髪の奥に隠れているのも、実はまつげが長いことも、知っている。

 動くのに邪魔になるからと、その整った顔立ちが目立つような短めの髪型になり、身長も伸びて、筋肉とリーチが足りなかった身体が完成していくのを優子はずっと傍で見ていた。努力しているところは尊敬できたし、何故かその過程では気づくことは無かったのだ。


 中学三年生の秋頃からだろうか。

 男女問わず、他の人達からのいっくんへの評価がどんどん変わっていくにつれて、それまでの学業優秀と明るい性格というものに加え、容姿端麗と運動神経抜群という属性が装備されたことに気づいたのは。

 そうして初めて、優子は自分の彼氏がいつの間にか超人に進化を遂げていた事を理解したのだった。


 他校にバスケの試合に行くたびに、一目惚れとやらで誰かに告白を受ける。

 同じ中学の同級生は優子の手前大きな声では言っていなかったが、幼馴染でずるい、という声はよく聞こえてきたし、後輩には彼女がいるんですか? と聞かれて無自覚に優子の事を言うものだから、先輩の彼女を見に来ました、とかいう偵察隊が数多くやってくる。


 優子は、はっと目を引く美人ではなかったがクラスでも可愛い方だと言われてはいたし、後は顔を見て、胸を見て納得されることも多かった。女子の方が露骨に視線を向けてくるのである。体型がちんちくりんだったころから付き合ってましたが何か?


 終わりは突然だった。


 そんな風に過ごした中学三年生が終わり、卒業式を終えての春休み。

 唐突に優子には限界が訪れてしまった。学校という環境から解き放たれた僅かな期間が、それを優子に自覚させてしまったのだ。


 何か事件があったわけではない。

 物凄く辛い出来事があったり、変な相手に絡まれたわけでもない。家族の仲も良好だし、幸せな環境だと思う。

 彼氏であるいっくんと喧嘩したわけですらなかった。


 それなのに、ただ、少しずつ、摩耗していた心が、唐突に臨界点を迎えた。



「本当にごめん…………いっくん、私と別れて欲しいの」


「…………え!? 何で? 俺なんかした? 謝る」


「ううん、いっくんは悪くないの、全部私のせいで、私の気持ちの問題」


 急な言葉に、慌てるいっくんは何も悪くなかった。

 ただ、これ以上いっくんの彼女でいたら、優子は見えない何かによって擦り切れてしまいそうで。


「誰か他に好きなやつが出来たってこと?」


「……は? そんなわけないでしょ? はっ倒すよ!? ……ったく、他に好きなやつがいるやつがあんなにまめまめしくご飯作ってあげると思ってんの?」


 なのにちょっとそう疑われるとイラッとする心は残ってしまっていて、そんな自分も嫌になる。


「はい、ごめんなさい。……え? じゃあ何で?」


「あのさ…………もう彼氏彼女は無理。疲れた。幼馴染のままの方が良かった」


 言うまいと思っていた言葉が、溢れ出てしまった。

 それにはっとしたように、いっくんは呟く。


「…………ごめん、俺のせいだよな」


「いっくんが何を思ってそう言ってんのかわかんないけど、彼氏が格好良くなって疲れたとか、贅沢すぎて何様って感じでしょ。とりあえずさ、嫌いになったとかでもなくて、本当にもう無理なの」


「…………わかった…………でもさ、俺が勝手に好きなままでいるのは別にいいよな?」


「えぇ? モテるんだからさっさと次の彼女作りなよ…………大丈夫! すぐいい子が見つかるって」


「こら……それは優子だけは言っちゃいけないやつだろ!!」


「あはは…………まぁまぁ。ほらね、なんかさ、彼氏と彼女じゃないって思ったら、めちゃくちゃ気楽だー」


 好きなままでいようとするいっくんを見て、嬉しいなんて思ってしまうかもしれないこの気持ちは、ただのずるさだ。未練だ。

 だからわざとらしく、幼馴染でしか無かった頃を必死で思い出す。

 目の前のいっくんには申し訳無さで一杯ではあるものの、解き放たれた気持ちがあるのも事実だから。


 こんな思いで、彼女で居続けることなんて出来ない。


 そんな気の抜けたようなポーズをする私を見て、いっくんは何とも言えない表情を浮かべて。

 もう一度、わかったよ、と呟いたのだった。



 ◇◆



 そして、同じ高校に入学し、瞬く間に人気者になったいっくんと、そして様々なしがらみから、高校で公に絡むの禁止令を出した優子がいて。

 いっくんは何だかんだ文句を言いつつ、家では普通に幼馴染をやるということと、ちゃんとメッセージは返すということで手を打っていた。

 二人で通っていた中学は進学校というわけではなかったので、今の結構学力は高い高校に、同じ中学出身の人は多くはないものの存在する。そのため、一人ひとりに別れた旨と、気まずいからあまり広めないで欲しいというお願いをしている。

 正直早紀ちゃんにはバレる前に話したい。でもうまく、話せる自信がない自分もいる。


「もう自分の恋愛とかより、推しの二人を近くで愛でるほうが心が平穏だよ」


 そう言葉を漏らす、それもまた本心だった。

 心の最奥にしまわれた想いをごまかせる程度には、本心だった。


 そこからずっと、関係性は変わっていない。


 ただ、そんな二人の関係に少しばかりの変化が訪れはじめたのは、友人であった南野千夏と、いっくんではないもう一人の佐藤一くんの物語によるものであった。


 この冬が終われば、また、別れを告げた季節がやって来る。



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