第1楽章 11節目
(……頑張れ、か)
最後に石澤がかけてくれていた言葉は、小さい声だったのに不思議と聞こえていた。
早紀は経験の少ない子供ではあるが、世の中には頑張ってもどうしようもないことがあることくらいは知っている。
でも、こういう時には確かに、頑張る以外の選択肢を知らなかった。
逃げるなよと、似合わないと言われた。
「……ふふ、どっちが似合わないんだか」
そう呟く。あんな風に、人のために叫ぶ奴じゃなかったと思っていたけど、いい意味での見込み違いだったのかもしれない。
少なくとも、早紀はその言葉に背中を押されたのだから。
「ごめん、佐藤くん、ちょっと時間良い?」
堂々と見えるように、声をかける。
他にもまだ人はいるけれど、背筋を正して、自分が思う限り自分を綺麗に見えるように、真っ直ぐ立つ。
かっこいいと言われた。恋をして情けなくなったと、綺麗になんてなれていなかったと思っていたのに、そう言ってくれる人がいた。
なら少しばかり、頑張ってみようじゃないか。
きっと、足掻くのは格好悪いことでも、情けないことでもない。
◇◆
「改めて呼び出して、ごめんね、まぁ、用件なんてわかってると思うけどさ。…………少しの時間をください」
「…………うん」
早紀がそう言うのを、佐藤くんは真っ直ぐこちらを見ていた。
いや、早紀の考えでは、見ているようで、見ていないのだと思うけれど、こちらに顔を向けていた。真正面から見ることはあまりない。横顔も遠目の顔も格好いいが、真正面から見てもやはりかっこいいなと、そんな事を感じるのは余裕があるのか無いのか。
心臓が早鐘を打っているのが分かる。言葉が出る邪魔になるそれを必死で抑えながら、早紀は最初に言うべきことを伝えた。
「…………私は、佐藤くん、あなたが好きです」
「ありがとう…………でも、俺の答えもわかってると思う。気持ちは嬉しいけどご――――」
「待って!! …………ごめん、実はさっき石澤と話しているのも聞いちゃったから、どう言おうとしてるかも、理由もわかってるんだ。でもその上でもう少しだけ、話、していいかな?」
佐藤くんがいつも通りその言葉を言おうとするのを、早紀は止める。
頑張ると決めたのだ。それならば、みっともなくても良い、せめて逃げずに背筋を伸ばして、ちゃんと伝えたかった。でも、そのためには定型で断られては駄目なのだ。
「えっと、藤堂さん?」
遮られた佐藤くんが意外そうな顔をする、少しだけ、きちんとこちらを見てくれた気がした。
きっとその目には優子しか映っていない、それは知っている。それならせめて、視界の中に位強引に入ってやろうじゃない、そう思った。
私は今、記念で、決着を付けるために振られに来たんじゃない。
「あのさ、一目惚れなんて、馬鹿みたいって、私も思ってた。…………その、私もよく言われるから」
「…………うん」
佐藤くんが納得するように頷く。
きっとちゃんと、早紀の本気は伝わっている。
「だけどね…………自分がそうなってみてわかった。佐藤くんの事を好きって思ったの、本当に一目惚れなんだ、初めて部活で会った時」
「…………そうなんだ、って言うのも変だけど、その、ありがとう? でもさ、こんな事聞くもんじゃないだろうけど、何で? その……藤堂さんも、俺寄りだと思ってた」
佐藤くんが言う。
そう、昔の早紀も「何で知らないのに告白してくるの?」と思っていた。
「それがさ、わからないの。でも佐藤くんが思ってることも分かるよ。好きな理由がわからない好きなんて、信用できないし、付き合うとかもわからないって。…………それこそさ、千夏達カップルみたいに想い合うの、凄いと思うし憧れる。それにきっと、佐藤くんの忘れられないって想いも凄いんだと思う」
「…………」
早紀は今でも、一目惚れを肯定する理由なんてわからない。
だからできるのは、ただ、この熱を、想いを言葉にして届けるだけ。
「…………でも、私のこの想いも、何でかわからないけれど好きって気持ちも、どうしようもないくらいなんだ……直感で好きになったけど、その答えにたどり着くまでにはちゃんと時間もかけてるの」
「…………」
佐藤くんは、無言で聞いてくれていた。
必死で言葉を紡ぐうちに、自分の心臓の音は聞こえなくなっていた。
もう自分がどんな表情をしているのかも、わからないけれど。でもちゃんと、逃げずに言葉にできている気はする。
「佐藤くんの事を全然知らないのはその通り。でもね、初めて見て、恋に落ちて、そこからずっと見てて、ドキドキするのは加速していくの。恋に落ちた時より、一ヶ月前より、昨日より、好きになる。そしてもっと、知りたいって思うの…………」
「…………っ」
「だからさ、あなたに好きな人がいるままでいいから、私に、あなたを知るチャンスを、あなたに知ってもらうチャンスを下さい。お願いします」
そう言い切って、用意していたチョコレートを出す。
中には手紙も入っているけど、手紙以上のことはもう今伝えてしまった。
受け取られなかったとしても、嫌だけれど、物凄く嫌だけれど、あのまま帰っていたよりは絶対いい。
「………………あのさ、恋人とかじゃなくて、友達からってことで、いい?」
「…………え?」
無言の時間が過ぎた後、沈黙を破った佐藤くんの言葉に、早紀はぽかんとしてしまった。
そんな早紀の手から、そっと差し出していたチョコレートの包みが佐藤くんの手に移って。
「俺、女々しいから。……多分、他の誰かを全然そういう風に見れないかもしれないけど、藤堂さんがそう言ってくれたのは嬉しいって思った。というか、全然考えてなかったこと自体に、ガツンって言われた感じ。……だからこれ、頂くね…………連絡先はグループのとこからでわかる、かな?」
そこまで言われてようやく、急激に早紀の心臓の音が復活した。
慌ててスマホを取り出して、アプリを起動させる。嘘じゃないよね、というように見て、グループから選択して、友達のボタンを指でそっと押す。
千夏と揉めてしまったのが昔のことのように思う。バスケットボールのアイコン。
「……断られると思ってたから、夢みたいなんだけど。これ、夜とかに、連絡して良いのかな?」
「うん、返せない時とかもあるけど、基本的にはいつでも。えっとさ、でもこういうの、俺が煮え切らない態度で最低ってわかってるから、いつでも切ってね…………その」
「いいの、私が言ったことだから。チャンスをくれて、ありがとう……そっちこそ、知ってくれた上でやっぱりなしってなったら、そう言ってね」
無しになりたくない、その気持ちは抑えて、目一杯の笑顔をして言うと、佐藤くんが少し照れたように目をそらした。
照れた姿もまた、絵になる。そう思いながら、照れてくれたことに嬉しさも感じる。
この先どうなるかはわからない。
でも少しだけ、競える立場に立てたのだろうか。そう思った。
◇◆
和樹は、何となく様子を見に行くでもなく帰るでもなく、手持ち無沙汰のまま学校の下駄箱にいた。イッチーに連絡するのも何か違う気がしたし、当たり前だが藤堂の連絡先も知らない。
藤堂とイッチーは話ができただろうか。
これ以上は、余計なお世話以上にただの下世話な野次馬だとわかっていたけど、気になりすぎて帰る気になれなかった。
「石澤、あんたこんなとこにいたの? …………ちょうど良かったわ」
そんな和樹が足音に気づいてそちらを向くとともに、そんな声がかけられた。
「藤堂……」
どうだったんだ? そう言おうと思ったときに、目の前にゆっくり差し出されたものを咄嗟に受け取った。
「…………これは?」
声をかけながら、それを見る。
「あのさ、そんなのしかカバンに無かったけど、あげる…………お礼」
それは、どこにでも売っている、キットカットのチョコレートの小袋だった。
「え…………?」
「だから、あんたのお陰で渡せたからお礼のチョコよ。…………その、別に百円に満たない程度ってわけじゃなくて――――」
「うわやべぇ、今までで一番うれしいキットカットかも」
藤堂がお礼と言った後も言葉を続けていた気がしたが、和樹はチョコを貰えた事実の嬉しさそのままに、そんな事を口に出してちゃんと聞いていなかった。
それに藤堂は少し呆れたような顔を向けて――――。
「…………はぁ。馬鹿なこと言ってないで普通にもらえる彼女でも作んなさい。きっと今のあんたなら、そう思ってくれる子は居ても変じゃないと思う…………ありがと、私はスタート地点に立たせてもらえた。あんたの、似合わない檄のお陰よ。それじゃあね」
そうして、言うことだけ言って去っていく藤堂の後ろ姿は、やはり美しかった。
和樹は手の中に残る小さな袋を見る。大事に取って置きたい気もしたけれど、少し悩んで封を切って口に入れる。
「甘いな…………」
それは、今まで食べたどんなチョコよりも甘い味がした。




