第2楽章 70節目
「玲奈ちゃん、どうかしたのかな?」
「え? 何かあったの?」
提案のままにそれぞれに分かれて夏祭りを回ることになったものの、優子がふと気にかかったことをそう呟くと、いっくんが首を傾げるようにして言った。
「いや、こういう提案も玲奈ちゃんらしいと言えばらしいんだけど……なんだか少しだけひっかかるというか。佳奈さんも少しだけ様子が変だった気もしたし」
優子はそう言いながら隣に立ついっくんを見上げるようにする。
まぁ、この幼馴染がそういう機微には疎い事は十分知っているし、それもまた魅力の一つに繋がっているのも確かだった。
ハジメや真司ほどにあれこれと気づかれても、優子はそれはそれで疲れてしまう気もする。
「そっか……うん、全然わかんねーや。俺、何かした方がいいことある?」
「ううん、私も何かできるわけじゃないし。今はせっかくのデート楽しもっか」
そして、そんないっくんが少し考えてそう尋ねてくるのに、優子はくすりと笑ってそう言った。
当たり前のようにしてそっと指先を絡めるようにして手を取って歩きだすと、いっくんも歩幅を合わせてくれるのが心地よい。
春から夏にかけて、優子の停滞した身長とは違って高くなったいっくんとの身長差はまた広がって、もう30センチの物差しを頭の上に足しても届かなくなった。
でも、もう見上げた横顔を遠いとは思わない。
「それにしても思った以上に人がいるなぁ」
「うん。ねぇいっくん、面白そうなお店はある? 今こそその身長を活かすときだよ?」
比較的背の低い優子からは手前の店しか見えないが、人混みの中でも頭が抜けているいっくんであれば見えるだろうかと優子はそう言った。
「うーん、食べ物系もあるけど。お、射的に輪投げに金魚すくい、後ありゃ何だ……あぁ、何か枠を綺麗にくりぬくやつ。食べ物の屋台の先に固まってるみたい」
「へぇ、結構色々あるんだね。景品もあるのかな、行ってみようよ。あ、でも――――」
「うん、俺焼きそば買うから、優子はたこ焼きでどう? でもあんまり離れすぎないでね」
「流石、それで。うん、ありがと」
人の表情を読むような機微には疎くても、こうしてお互いの言葉が少なくても考えが伝わるのは長い付き合いの所以だよねと思いつつ、それぞれの列に並ぶ。
(どうしてだかこういうところのたこ焼きは美味しく見えるよねぇ、家でも作れると考えたら絶対高いんだけどさ)
500円で6個入りのそれに爪楊枝を二本差してもらって、屋台と屋台の間の隙間で落ち合って食べる。通りがかりでお互いに食べさせ合っている夫婦のような知り合いがいたけれどもう突っ込まない。
「はい、優子も食べるでしょ?」
多分人のことは言えないからと、優子は冷静に自覚しているのだから。
◇◆
地元の小学生なのだろうか。少なくとも高学年にはなっていないだろう女の子が同じくらいの背丈の男の子の手を引いて、屋台を指さしているのが見えた。
まだ手をつなぐ、に抵抗があるようで無かった頃。
ませている女子も勿論いたし、既に恥ずかしがっている男子もいたけれど、こんな頃もあったなと優子は思う。
あの頃とは握り方も意味も少し変わっているけれど、相手が同じであるというのは恵まれているのだろう。
「そういやさ、昔金魚すくいで泣かされたような覚えがあってから苦手なんだよな」
同じような思考で、でも少し違った回想をしていたのを悟って、優子は笑う。
同じものを見て、同じように経験していても、同じ時代を呼び起こしても、印象に残っているものも思い出す場面も違う。
そしてきっと、したこととされたことでも違うんだろうなと思いつつ、見上げられていた頃を思い返してしまう。
「あー、あったねぇそんな事も。ふふ、まだ私のほうが大きかった頃でしょ?」
「だな、確か自治会の子供会のお祭りで……結構優子が負けず嫌いだからさ」
「こういう時だけうるさいなぁいっくんは、幼馴染系統の男主人公ならそこはぐっと堪えるべきでしょ」
あはは、と笑いながら冗談交じりで言うと、いっくんは聞き返してくるも顔は完全に笑っていた。
「幼馴染系統の男主人公って何? ってか今度はどんなの読んでんの?」
「いや、最近は悪役令嬢ものが多くて幼馴染ものは全然読んでないけれどさ」
実際、幼馴染が彼氏になった身からすると、少しばかり読んでいられなくなった事実は言わない。
そんな風に時間を過ごしていると、段々とあたりが薄暗くなり始めた。
花火の案内が聞こえて、ふと他の皆も同じように花火を見上げるのかな、と優子は思う。
隣に立つ人を見た。ただ花火が上がるのを楽しみにしている横顔が、表情なんて見えなくてもわかった。
縛られていた嘘が解けた春から少し時間が経つ。
どちらの親にも知られていて照れくさいこともある。普通に喧嘩をすることだってある。
でも、また喧嘩ができるようになって良かったねぇと、ふと母親に言われた事があって、はっとした。
今思えば距離を取った期間は、『普通』にしていたのに喧嘩をすることすら無かった。
全然幼馴染に戻れてなんてなかったんだなと思う。
「楽しみだね」
「うん、後こうして手を繋いで花火を見るってシチュがいい」
「……わかる」
全部が全部好きだというわけじゃない。
具体的にどこが好きだというわけじゃない。
でも、ただ好き。きっとそれだけで十分。
もう、嘘は必要じゃなかった。




