閑話2
『(千夏)この後さ、泊まりに行って良い? お母さんもいないし』
『(千夏)渡したいものもあるし』
『(ハジメ)勿論いいよ、夕食も一緒に食べるでいい?』
『(千夏)食べたい!』
『(ハジメ)了解』
千夏からの連絡にそうやり取りを返した僕は、スマホを置いて、献立を考え始める。
前日とはいえ、僕としても流石にそこまで鈍くは無いので、千夏の言う『渡したいもの』がきっと食べ物であることはわかった。
なので、用意するのは満腹になりすぎないもので、二人分簡単にできるもの。
これまで恋人というものができたことはなかったので、美穂と母親以外からのバレンタインデーのチョコレートというものはもらったことは無かった。
そのせいか、少しソワソワしてしまう自分がいるのは否定できなかった。
◇◆
「ただいまー!」
「おかえり、千夏。あれ? 結構寒かった? 少し鼻が赤そうだね」
玄関に迎えに行くと、靴を脱ぎながらこちらを振り向いた千夏の鼻と頬が少し赤くなっていた。
二月になるとはいっても日によってはまだまだ寒い。
「うん、だからあっためてよ」
「おっと、せっかく持ってきてくれたものが潰れちゃうよ? …………ふふ、どうする? お風呂は沸かしといたけど」
そう言って胸元に飛びついて来てくれる可愛い彼女をしっかりと受け止めて抱きしめつつ、僕はそう言った。確かに頬に触れる千夏のおでこはよく冷えている。
「うーん、どうしようかな、花粉もあるから先に入って部屋着に着替えちゃおうかな」
「そうしなよ、僕はこのまま夕食の用意してるから…………これは、どうしとこうかな」
僕は頷いて、潰れないようにとそっと避けたラッピングされた包みに目をやった。
「えへへ、バレバレだけど、ちゃんと後で上げたいから冷蔵庫入れときたい」
「……オッケー、僕が入れとくから、じゃあお風呂入ってきちゃってね」
一瞬、千夏の笑顔に見とれて言葉を失いそうになった僕がそれだけ言うと、千夏はうなずいて二階に上がっていった。
クローゼットの一角はもう千夏の服になっていて、部屋着を取りに行ったのだろう。
僕は、少しドキドキしながら千夏から受け取った、人生で初めて彼女にもらうことになるであろうそれを大切に冷蔵庫に入れた。
お風呂行ってくるねー、という声と共に、千夏が浴室へと向かう足音が聞こえる。
時々、幸せ過ぎて自分が夢の中にいるんじゃないだろうか、と思うことがあった。
でも、そう呟いたら千夏が、じゃあその夢は一緒にうちも見てるね、と言ってくれたから、現実でも夢でもとりあえず良いか、と思う。
◇◆
「ご馳走様、やっぱりハジメのご飯は美味しいなぁ。こういうのを胃袋が掴まれてるって言うんだよね、普通逆なのかもしれないけどさ」
「あはは、元々うちは父親の方が料理してたからなぁ。それに、そう言ってくれて、すごい美味しそうに食べてくれるから僕としても作りがいがあるよ。頑張って飽きられないように精進していかないとね」
本当に美味しそうに食べてくれるから、頬が緩んでしまう。
ただ、そんな僕の言葉が少し不満だったようで、千夏は頬を膨らませるようにして言った。
「絶対飽きないからね? もうすでにおふくろの味の域? 確かにお母さんのご飯はご飯で美味しいんだけど、最近ハジメの料理も似てきてる気が…………というかこの間料理談義してたよね?」
「ふふ、涼夏さんに千夏が好きな味付けは聞いたりはしてるからね。その成果が出てたら嬉しいな」
「…………もうさ、その優しい顔がずるいよねぇ、ハジメは。…………最近は教室でもそんな表情するから、他の女子の視線を集めてるというか」
普通に微笑んでいただけなのに、千夏が難しそうな顔をして僕に近づいて、ほっぺたを両手で摘む。痛い。
残念ながらイケメンでもなんでもない僕の顔を見てどうこうなるとは思えないから、千夏とセットで観察されているだけだと思うのだけど。
「いひゃいから…………もう、多分見られてるのは、仲良いなって見られてるだけだと思うよ? 千夏は気にしすぎだって」
「ハジメが気にしなさすぎなの! 次々と謝りに来る子達もすぐ許しちゃうし」
「んー、でも実際石澤もびっくりする位ちゃんと謝ってくれたしさ。それに、本当に悪意あって呼んでる人なんてほぼいなかったよね、あだ名なんてそんなもんじゃん?」
実際、そもそもとして本名で呼ばれようがあだ名で呼ばれようが、その相手に何かしらの侮りとか悪意があるかないかだと思うのだ。
そして、うちのクラスは特にだが、完全に悪意も侮りもなくて、むしろ今では千夏との会話に聞き耳を立てられている好奇心の視線がほぼ全てになっている。
僕としても謝られたら受け入れる程度の気持ちなのだ。
あれ以来、バスケ部の先輩のお誘いが増えた以外は、基本的に快適に過ごせていた。
まぁ、石澤も先輩に対しての壁になってくれているみたいだし、一度くらいは顔を出しに行ってみてもいいかなと思うが。
そんな風に食後をいつものように過ごしていると、千夏がさて、と言って席を立った。
そのまま冷蔵庫から包みをとって、おずおずと僕に両手で差し出してくる。
「……人生で初めて、手作りチョコというものを作ってみました、お納めください」
「どういう言葉使いなのさ…………ありがたく戴きます。僕も彼女から、というか家族以外からチョコ貰うのは初めてだから、味わって食べるね」
「うん、ゆっこ監修の元、ちゃんと作ったし、味見もしたから変じゃないと思うんだけど……」
そうしてものすごく真剣な表情で見守る千夏の目の前で、綺麗にできているトリュフを摘んで口に入れる。
甘いミルクチョコが、口の中に広がって美味しい。元々何も入っていないシンプルなチョコレートが好きなのもあって、すごく好みの味だった。
そう伝えると、千夏はとてもうれしそうな顔をして――――。
「ねぇ、うちにもちょっと甘さ分けてよ」
「…………ん」
すっと近づいてきた千夏と口づけを交わす。
流れるように侵入してきたそれが、千夏の言うところの甘さを分け合うようにして離れていった。こういうことをさらっとやられる辺りで、僕はドキドキしてしまって、まだまだ敵わないなぁと思う。
「うん、確かにちゃんと美味しくできてるね」
「……ねぇ、千夏」
「ふふ、チョコレートもう一つ食べる? 今度はうちからで」
「……食べる」
初めて彼女にもらったチョコレートの味は、とても甘くて、きっと、これから積み重ねていくだろう中でも、きっと忘れることはないだろうと、そう思った。
◇◆
「あ、そういえば……完全に忘れていたんだけど」
「どうしたの?」
僕の部屋で横になりながら、ふと思い出すように声に出した僕に千夏が問いかける。
「さっき連絡来てて、おじさんが来月日本に戻ってくるかもって……千夏のことは話してるけど、せっかくだから紹介したいんだけど、いいかな?」
「勿論! わぁ、話だけしか聞いてなかったけど、ちょっと楽しみかも」
「ふふ……僕も紹介できて嬉しいよ、また時期が決まったら連絡来ると思うから、よろしくね」
「うん」
そうして、お互いの体温を分け合いながら、僕らは安心するように、まどろむようにして眠りにつくのだった。
時には心臓を高鳴らせて、時にはこうして穏やかに感じる香りに包まれて、来年もまた、当たり前に普通にこうしていられるといいな、と思う。
それはきっとささやかで、そしてとても贅沢で、僕の中のただ一つの願い。




