昼御座(ひのおまし)
宗久は由利の腹からハンドルに手を戻し運転に集中している。周囲の見えなくなったカップルのように振る舞われても困るが、何か言ってくれてもいいのにと由利は宗久の顔を見た。宗久は気が付いているのか気が付いていないのか澄ました顔で運転を続ける。
幾つかの青信号を通り過ぎ、その次の信号が黄色になり車が停まった。宗久は肘を曲げて両腕を上げると肩を回す。左腕は伸ばし軽く握った拳を由利の胸にポンと当てると弾ませるようにしてハンドルに戻した。宗久は澄ました顔で何も無かったように前を見ている。
白々しいまでの宗久の動作に由利は〈胸を触ったでしょう。変態さん。〉と言おうとして言葉にするのをやめた。車の中が不思議な空間になっていた。車の内装も外の景色も全部のピースが揃ったジグソーパズルだ。
由利はカーステレオの電源を切り目を閉じた。心地良い沈黙が車内に漂い、昔見た懐かしい光景が浮かんでくる。
修一郎、弥生、そして由利の三人で出掛けると運転が修一郎で弥生と由利は後部座席に座る。夕食を終え由利を送る時は弥生が助手席に移る。由利が後部座席から見た光景を今自分と宗久が演じている。
修一郎に
「由利ちゃんも眠かったら寝ていいよ。着いたら起こしてあげるから。」
と言われたこともあった。そう言われると、由利は〈弥生さん眠ってるんだ。〉と勝手な想像をする。修一郎が
「シンデレラは十二時に帰らないと化粧が崩れるからね。〔魔法が解ける〕は素晴らしい暗喩だ。」
と言ったりすると、
「うっさい。」
と弥生は修一郎の脇腹を強めに殴ったりした。修一郎は空かさず言い返す。
「シンデレラじゃなくて白雪姫のお母さんだった。後に白雪姫がいる。バニティーミラーを開いて〈鏡よ鏡、世界で一番美しかったのは誰。〉って言ってみ。過去形だぞ。」
弥生が右の拳で修一郎の脇腹をボコボコ殴るのが由利からも見える。
由利は宗久の脇腹と顎を小突いてみたくなった。でも宗久は運転中だ。子供達の母親としての由利が宗久の恋人の由利を躊躇させる。
それでも由利は車が郊外を走り始め交通量が減ると宗久の脇腹と顎を小突き始めた。
「今日は車が揺れるな。」
宗久はとぼけながら由利の行動を躱す。子供達の顔が浮かび由利は手を止めた。
やはり修一郎と弥生さんにはなれない。それもいいかな由利は修一郎と弥生を思い浮かべる。由利の頭の中では修一郎の車の中が昼御座に変わっていた。御座所には弥生がいる。正面には修一郎と自分がいる。
由利は次の論文に孝謙天皇と弓削道鏡の会話を暗喩で進めようと決めた。
車が信号で停止すると宗久が話し掛けてきた。
「起きてたんだな。静かになったから寝てるかと思った。」
「寝てたら悪さしたでしょ。」
「あぁ、鳩尾をボコってやるつもりだった。一発に纏めて返す。」
「サイテー、ばかぁ。」
由利は宗久の頬を摘んで捻り引っ張る。
「痛ぇよ。」
宗久が笑う。




