蟹沢 敏浩 (かにさわ としひろ)
「蟹沢さんの彼女に頼まれたの。」
由利は宗久の問いにそう答えた。そして続ける。
「倉利 須美って名前で、彼女って言うか蟹沢さんの小学校からの幼馴染。話の発端は弥生さんの提案から。蟹沢さんは仕事が忙しいのに無理して先生の校閲やってたでしょ。弥生さんが私に〈由利ちゃん文学部だから、アイツの下手糞で訳のわからない文章を校閲してあげて。お給料は私が払うわ。〉って持ち掛けて来た訳。場所はアパートか〔茶庫〕が多かったな。茶庫で校閲してるとマスターが夕食出してくれるでしょ。」
由利が言い終えると宗久は
「つまり被告人は校閲ではなく茶庫の料理が目的だったのですね。」
とさっき迄の乗りのまま尋ね返し、
「被告人、料理ではなく校閲のいきさつに戻ってください。」
とつづけた。
由利は
「時系列で話してるだけでしょ。茶庫にいると弥生さんが来たり蟹沢さんが須美さんを連れて来たり。」
と楽しそうに話す。
「だよな、由利に連れられて初めて行った日は〔鮑のステーキ〕出されてぶっ飛んだ。しかもサービス。一人分だから、あれ絶対由利のためだろうね。」
宗久も楽しい記憶を軽やかに話す。
「裁判長、本題に戻ってください。って、ま、いっか。」
と由利は受け答える。
「茶庫の群像劇の一つが校閲か。由利の青春の一頁。」
宗久はそう言うと、
「そう、そして変態梨田宗久が吉野由利さんの青春に終止符を打ちました。」
由利は宗久に言い返した。
偶然なのか弥生が魔法を使ったのか、由利の脳裏に当時の記憶が蘇る。
「なんで変態なんだよ。ストーカー殺人事件みたいに言うな。」
運転に集中している宗久が淡々とした口調で喋る。
「モーターショーで私のお腹とおヘソをガン見したんでしょ。変態さん。」
由利が言い終えると車は赤信号で停止した。由利は宗久の左手を取りシャツをめくると宗久の手のひらを直に自分の腹部に押しつけた。宗久は無言のままだ。信号が青に変わると宗久は左手をハンドルに戻し車を発進させる。
信号が赤から青に変わる短い時間が由利にはとても長く感じられた。




