被害者Xの献身〔11〕
鈴木蓮は電車のゴタゴトのリズムが心地良くてウトウトしたり、駅で停車して慣性の揺れで目を覚まし警察署での出来事を思い起こしたりしていた。
蓮はオフィス勤務の日だと弁当屋大森に朝の七時に朝食を買いに行く。十一時三十分頃に昼食を、午後六時頃には夕食を買いに行った。時には閉店前の夜十時に行く日もある。
聡美はアルバイトの日に蓮が来ないと
「今日は外回りみたい。」
と大森親子には寂しそうに話していた。だからこそ父の大森勝隆も息子の光志も聡美がストーカーの被害届けを出した事が未だ信じられない。
蓮が〈大森〉を利用する頻度が高いのは単純な理由だ。会社から徒歩二分、自宅からでも三分の距離にあるからである。
それなのに谷中は一方的に蓮が聡美に会いたいから大森に通っていると思い込んでいた。
「大森親子はあなたが聡美さんを探しているんだと思っていますよ。」
大森親子が聡美の態度に驚いているのを知っている蓮は谷中のあまりにも馬鹿馬鹿しい言葉に返事をする気もなくなりまともな返答をしなかった。
「大森さんたちは僕がそんなふうに見えるんですか。いい眼科医を紹介しなくちゃいけませんね。僕の顧客には眼科医もいます。」
そんな蓮の言葉に谷中は
「あまりふざけたことを言うと逮捕しますよ。」
と不機嫌な表情で言う。更に、
「どうして大森さんはあなたを出入り禁止にしないなのか不思議です。」
と付け加えたのだった。
そんな警察の谷中の対応に蓮は呆れ返った。逮捕されてみるのもいいかもしれない。刑事訴訟に発展したら、その時は民事訴訟で対抗するのも手である。その時に聡美達が携帯でやり取りしている内容がどうやったら公開出来るかを考えた。真実を無能な警察官に突き付けたい。
蓮は谷中に誓約書を書かされた。誓約書を書くことにはあまり抵抗がなかった。警察署を出て空を見上げると脳裏に東郷やよいの姿が浮かんだ。聡美に好意はあるが愛情はない。むしろ、やよいの方に聡美以上の好意がある。谷中が蓮に書かせた誓約書の内容は虚偽有印公文書作成教唆容疑になるのではないかと可笑しかった。
聡美が大森で働くずっと前から蓮は大森の常連だ。蓮にすれぱ弁当大森は蓮の顧客で親子はそれを警察に喋ったはずなのに谷中は無視している。蓮と大森親子は仲がいい。三人で呑んだ時などは酔った勢いで光志に〈弁当三兄弟だね。〉と言われ〈違うよ。〉と蓮が答えると親子は驚いていた。
蓮は警察にストーカー容疑をかけられた事よりも警察のレベルの低さに失望した。ストーカー容疑を仕掛けてきた永沢にもさほど腹は立たなかった。芸能界なんてこんなもんなんだろうな。そこまでして聡美を売り出したいのか、そして育ての親として自己顕示をしたいのか、はたまた聡美自身が目的なのかと割り切った。
蓮はITに関してはスペシャリストだが法律には詳しい方ではない。もし民事で谷中と対決することになったら勝てるのだろうか。
谷中は
「誓約書を書いたんだから裁判では勝てませんよ。」
と言った。
刑事裁判で負けても民事裁判で勝てば、よく言われる〈試合に負けても勝負で勝った〉事になるのだろうか。
蓮は谷中だけには許し難い感情を覚えた。永沢には憐れみを感じ、聡美だけは『被害者Xの献身』と言ったら良いのか、出来るものなら助けてやりたい。民事訴訟を起こすなら相手は谷中だ。
握馬聡美は久しぶりに弁当大森に行きたくなった。最近、大森の前の通りは避けていただけにアパートのから身近な場所なのに妙に懐かしく感じられた。
聡美は気まずさを隠すため大森の向い側の歩道を歩いた。道路を挟み向い側から大森の店頭を覗くと蓮の姿が目に映った。
〈蓮、今もお弁当買いに来てるんだ。〉
聡美は蓮の姿を見て無性に話をしたくなった。
〈後ろから声を掛けて驚かしてやろう。〉
ガードレールを乗り越え、道路に飛び出した聡美は全身に衝撃を感じた。




