被害者Xの献身〔10〕
鈴木蓮は警察官谷中の話を真剣に聞く気にはなれない。谷中が蓮に質問する内容はいつ頃聡美と知り合ったか、どちらから声を掛けてきたか、コンサートで撮った写真とそれらを掲載しているSNSについて、それと弁当屋大森に一日に二回から三回行く事に関してが殆どだ。聡美が携帯で永沢や服部とやり取りした内容には一切触れなかった。これが公開されれば被害者は聡美ではなく蓮の方だ。
当然ながらハッキングを行って交信記録を知り得た事は谷中に言えない。
蓮は谷中に強い口調で言った。
「僕がストーカー行為をしたのかどうか、最初のきっかけからきちんと調べてもらえませんか。まず握馬さんと僕との交信記録、そして握馬さんのマネージャーである服部さんとの交信記録、更にに服部さんと握馬さんのプロデューサー永沢さんとの交信記録を調べてください。経緯が分かるはずです。当然事実も分かります。」
蓮の心の中では複雑な気持ちが交錯していた。
〈まず、警察は谷中は交信記録を調べてくれるのだろうか。単純に自分の一方的なストーカー事件として幕を引きたいのか。仮に交信記録を調べた場合にどのレベルまで到達できるのか。もし自分がハッキングしたことが分かってしまったら、それは怖いと言うよりむしろ嬉しい。日本のサイバー犯罪に対する対応力の低さに自分は失望している。警察だけではなく国家としての対応能力も同じだ。こっちが発覚したらストーカーの冤罪と違って堂々と罪をかぶってやろう。〉
蓮の心が顔に表れた。蓮を見た谷中は強い口調で
「交信記録なんか関係ない。あなたたち二人の問題なんだ。被害届が出ている以上、あなたは犯罪者で彼女は被害者だ。犯罪者はそれなりの罰を受けなければならない。今回は誓約書を書いてもらいます。」
蓮はおかしくて仕方がなかった。今の自分は刑事ドラマや裁判ドラマの冤罪被害者役だ。
〈こいつらほんとに大丈夫かよ。もしもこういう奴等が要人警護をやったら要人を盾にして自分の身を銃弾から守りそうだ。〉
蓮はアクション映画のそんなシーンを思い浮かべていた。屈強な主人公が左手で敵の首を掴み盾にしながら銃弾を避け、右手で銃を撃つシーンである。
谷中は相当イラついていた。蓮は素直に誓約書を書くと警察署を出た。
マンションに帰る途中の電車の中で蓮はふとハッキングして辿り着いたある送信履歴を思い出した。それは無名の作家がマスコミと携帯会社の共謀で作品を盗まれた際、SNSに投稿された内容を警察が作家自身の投稿と誤認した記録だ。警察は犯罪の予兆としてマスコミと携帯会社に協力を求めていた。作家は検閲のための送信が転送されている事に気付いていたので、ある日〈これは私がパソコンの中に保存している小説であり友人宛の個人情報でもあります。〉と入力した。その後マスコミも警察も大騒ぎになり、警察はマスコミと司法取引を行って隠蔽した。
蓮は作家の名前をこそ思い出せなかったが、小説のタイトルと主人公の印象的なセリフが鮮明に記憶に残っていた。
タイトルは『滑る大捜査線〜携帯電話を盗聴せよ』。主人公のセリフは「携帯電話、盗聴できません。」だった。
ターミナルの駅で大勢の人が降りたので蓮は空いた座席に座った。
谷中との応対で疲れ切った蓮がウトウトしていると、女子高生の集団が乗り込んできて話し始めた。その場だけが花が咲いたように賑やかで、どうも体育会系の学生のようだ。会話の一部が朧気に聞こえる。
「先輩、大学卒業したらウチの学校の先生になってくれるんでしょう。」
「そうね、採用してもらえればよ。」
「先輩だったら絶対大丈夫だよ。美人だし足速いしぃ。」
「美人は関係ないんじゃないの。それに今のアスリートには私なんかより素敵な人がたくさんいるわよ。ゲストで指導に来てもらったら。」
「そんなことないですよ。氷山先生だって陸上の顧問を先輩に任せて学問に専念したいみたいだし。」
「先輩、氷山さんが気になってたでしょ。」
「氷山、それ誰。」
「先輩、顔赤いよ。」
蓮は少しは懐かしかった。先輩と呼ばれている女性の声は眠りに落ちそうな蓮には東郷やよいの声に聞こえた。




