妖怪腹出し
「それにしてもびっくりだな。内広さんが元アイドルだって知った途端に先生の気持ちが一瞬で凪いでしまった。人の気持ちってこんなに簡単に変わるものなのかな。」
「それちょっと違うと思う。内広さんが本気で先生のことを好きだったら信じたはず。先生は握手ビジネスだったと思ってる。極端な話、有名女優さんが本当に先生を好きになったとしてら先生は驚くだろうけど真剣に彼女を主役にした小説を書くんじゃないかな。でもちょっとお付き合いして、なかよしになって〈自分を主役にした小説を書いて欲しい。〉じゃ先生は書かないって言うか書けないよ。仕事で書いたとしてもその女優さんは脇役、主役は弥生さん。スポンサーが弥生さんと女優さんの役を入れ替えるって言えばビジネスとして〈どうぞ。〉って言うだろうけどね。」
「由利は本当に詳しいな。」
「当然でしょ。私は先生のアシスタントだぞ。校正・校閲、ブロットの整理までしてるの。」
宗久は自分の疑問に丁寧に答え、関連した事象まで引き合いに出す由利に感嘆するのみだ。そこで由利に尋ねた、
「だけど、どうして由利は先生の心の中が読めるの。」
「読んでるんじゃないの。先生が心の中を晒け出してるの。」
「由利の前でか。」
「違うよ。先生と弥生さんが私の前でだったら本気で言い合いするの。昔、日比谷公園のベンチで先生と弥生さんが口論みたいに話してた。私がその横に座ってたら、老夫婦が驚いて〈お知り合いですか。〉って。だから〈すいません。父と母が喧嘩してます。〉って言った。旦那さんは〈止めなくていいの。〉と言ったけど奥さんは〈仲がいいご夫婦。羨ましいわ。〉だって。」
「僕も由利とそうなりたいな。」
そう言いながら顔を近づけてきた宗久の頬を由利は
「私はやだ。」
と笑いながら押し戻した。
「だけど『轆轤首』は由利が主役だよね。」
宗久は話題を切り替えた。
「違うでしょ。千代がヒロインでその恋人が主人公。」
「そうかなぁ。それに先生は由利の描写に苦労したみたいだよ。しなやかな上半身を描写する際に胴が長いと受け取られないように。」
「それは大ちゃんが私に変なことをして、先生に喋るからでしょ。」
由利は恋愛時代を思い出して照れたように言った。
「でも文学的で芸術的な表現だな。できれば由利が主役の小説をもう一本を書いて貰うように頼もうかな。」
「変なの頼まないでよ。」
「『妖怪腹出し』だ。」
「またモーターショーの話。コメディだわ。でも、大ちゃんは腹出しがどんな妖怪か知ってるの。どうせお腹を出した妖怪ぐらいにしか思ってないんでしょ。」
「そう、だから先生に任せる。」
「つまり私が校閲するんだ。」
宗久は由利が怒るかと心配していたが意外に嬉しそうにしているので安心した。
「腹出しはお腹の顔で人を脅かしたりもするけど、宿がない人を泊めてあげたり困っている人の悩みを聞いてあげたり親切な妖怪だって言われてるのよ。」
「だったら由利にぴったりだ。モーターショーの僕の悩みを解決してくれた。」
「じゃあ、次の社員旅行から余興は腹踊りにしようかな。もう羞恥心も感じない年頃だし。」
「いいねぇ、それ。」
「真面目に受け取るな、バカァ。」




