空腹一揆
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
――というわけで、戦国時代の加賀の国は100年近い自治を行う体制に入ったんだ。
16世紀なかばには、いまに残る金沢城の場所に尾山御坊が作られ、北陸を中心にわかに一向一揆の勢いが強まった。それはかの上杉謙信、織田信長をして一筋縄ではいかない、頑強な抵抗を見せたというから、その団結力は特筆に値するだろう。
――他の地域での一揆はどうだったかって?
うん、はじめて近江で起こった一揆に加え、畿内、三河、越前の一揆などが歴史に残っているけれど、ことを細かに見ていくと、小競り合いのたぐいは更にたくさん起こっていたようだね。
先生の地元にも、一揆がらみの奇妙な話が残っているんだ。
授業もスムーズに進んだし、脱線話で聞いてみないかい?
先生の地元には、かつてそこをおさめる大名家の小城があったと伝わっている。
いまはもう跡さえ残っていないが、かつて矢倉だったものを改修した簡素なもので、かつての敵国を見張る役割があったらしい。
いったん婚姻によって停戦をしたものの、嫁いだ姫が産後のひだちが悪かったようで、早世してしまう。
縁戚でなくなったものの、すぐに敵対関係に戻ってしまうのは、義理という目線から他勢力がいい顔をしない恐れがあった。その後も互いの子供の関係もろもろのおかげで、同盟や婚姻が結びなおされることがなく、小康状態が続いていたという。
関係が解消されてより5年。
かの大名家に一揆のきざしあり、という情報が相手大名の耳へ舞い込んできた。
2年連続の不作により、領主が急な重税をかけたところ、民衆の不満が一気に高まって反抗にいたったという話だった。
大名家領地にほど近い城を任されていた武将は、何度か細作を送り、情報を吟味。いまこそ侵攻のときとみて、すぐさま戦の準備に取り掛かった。
彼の仕えている主も、かの大名家を攻めるうえで、憂いとなりそうな他大名家との関係を深めている。攻撃に乗り出すには、ころあいと見てよかっただろう。
主から許しを得た武将は、手勢を募って話に聞く、一揆にさらされている城下を目指して進発した。
兵数およそ1300。件の小城を落とすには、十分な兵力の計算だった。
到着までの行程は、およそ5日はかかる。一揆の痛手から回復しきらないうちに、早めに叩いておきたいところだった。
その行軍3日目のこと。
夕暮れどきを迎えて、平野に陣を張ろうとしている武将の軍に、「礼の者」たちが訪れ始めたんだ。
戦国の世だと、場所柄によっては自分たちの生活を守る者が、頻繁に変わることも起こる。特に戦などで、元いた領主側が侵攻側に後れをとったりすると、機嫌のうかがい方が大事になってくる。
礼の者たちは、そのための保険のようなもの。「こうして早い段階から貢献しているのだから、お目こぼしをお願いします」と申し出ているわけだ。
武将はそれを快く受け入れる。彼らから提供される食料によって、道中の兵糧が温存できるのは、行軍にとってありがたいことだ。毒見も済ませたうえで、その夜は兵たちに存分に飯をふるまい、士気を高く保とうと考えていたらしい。
武将も腹を膨らませ寝入ろうとしたところで、ふと思いつく。
一揆を起こすほど食料に困っているはずなのに、なぜに礼の者たちはあれらを差し出すことができたのだろうか、と。
あくまで一抹の不安。きっと苦しい自腹を切ってのことだろうと、満腹感からくる希望的観測が、それ以上の追及を頭へあきらめさせていた。
だが翌日。武将の抱いた不安は、不可解な現象となって現れたんだ。
最初に気づいたのは、寝ずの番をしていた兵たちだった。交代で周囲を警戒する彼らが、いよいよ夜明けを迎えようという時間になって。
登りくる朝日の光が目に届きながらも、その大半がある建物によって遮られてしまっているんだ。
やや遠方に位置する小山の上の砦。すでに長く使われていないことは調査済みだが、取り壊されてもいない代物が、ふたをしているんだ。
この時代、領主に対しての大それた一揆はもちろんあるが、それよりさらに小さな村同士での争いもある。水利権をはじめとする火種は、そこかしこに転がっていた。そのための施設として準備されていたこと自体は、珍しくない。
番兵たちが気にかかっていたのが、その朝日を浴びて伸びる影のことだ。
草原をなぞり、この陣全体までもきれいに隠すほどになった、巨大な影。あたかも夜を少しでもここに貼り付けておかんばかりの広がりは、肌寒さを覚えさせるほどのものだったとか。
怪しく思った番兵たちが、次に耳にする音。
それは草のそよぎにも似た、いくつもの足音だった。自分たちが歩くときに、さんざん聞いたものだから、聞き違いはない。
方向はあの砦のある山の方から。しかし、いくら警戒してもそれらしき人影が姿を見せないらしく、兵たちは首をかしげてしまう。
全員の耳に音は届いている。幻聴ではない、だが敵の姿もないのに非常事態を皆へ告げていいものか。
相談しているとき、兵のひとりが「あっ」と声をあげた。
皆の視線が向くと、彼はやたらと尻のあたりに手を当てている。誰かに、後ろから押されたような、そのような感触がしたのだという。周囲を見やるも、やはりそれらしき者の姿はない。
そうこうしている間に、またひとり、もうひとりと似たように身体を押される者が出てくる。それは押しのけるというより、むしろ道の途中にいるからぶつかっていったような、そっけなさを覚えるものだったとか。
だが、ほどなく彼らは一大事に気づいてしまう。
味噌や握り飯を入れていた腰兵糧。その中身が、完全になくなっていたからだ。
察した番兵たちは、速やかに陣全体へ通達するも、時はすでに遅かった。
領内から持ってきた兵糧は、ほぼ底をついてしまっていたんだ。ほんの半刻前までは確かに水や米が詰まっていた瓶や俵が、頼りない軽さでもって皆を迎える。
これでは戦うどころか、進むことさえできはしない。武将は目覚めてそのことを悟ると、すぐさま撤退の指示を出し、領内へ戻って軍の再編成に追われることになったんだ。
件の小城に関しては、最終的に一揆勢に屈した。
城内の兵糧庫が軒並み荒らされたばかりでなく、城下にあった米屋などからも食料がいっぺんになくなった。
しかしそれは、一夜にして突然消え失せたものであり、誰もそれがなくなるところを見なかったという。
のちの大名直々の軍が派遣され、一揆を起こした村は焼かれてしまうが、そこには村全体の何年分にも及ぶほどの、山のような食料の備蓄があったそうな。