見慣れたもの
───あの子の家が燃えていた。
何処からか現れた炎は無情にも、幸福な時間や生活の跡を崩落させる。自然現象、故に容赦すら知らず命をも呑み込む。その終わりは呆気ない。
普段は他人事のように耳にしていた筈の消防車と救急車のサイレンが、あの時だけは鬱陶しくて仕方がなかった。高鳴る和音が鼓膜を揺らす度に、罪悪感が脳を侵食していく。そんな気持ち悪い感覚に苛まれた。
直後に周囲の喧騒の一部分を聞き取り、更に負の感情が押し寄せてきた。
……この家に住む姉妹が、まだ中にいる。
吐き気がした。悪意の気配を帯びた炎を視た僕を襲う眩暈。もっと早く気付いていれば、こんな大事には至らなかっただろう。
無力な自分。この状態は今も変わっていない。だから、こうして過去の夢を見るのだ。
「おーい、俊祐。起きろー」
「何……った!」
ベチン、と清々しいまでの音が部屋に木霊する。朝から頬を叩かれるなんて、誰が想像しただろうか。
「やっと起きたな。もう八時過ぎてるぞ」
流文はベッドの傍らに置いた椅子に腰掛け、僕の目覚まし時計を見せつけてきた。
「あっそう……それより流文、なんで入って来れた」
「俺に部屋の合鍵渡したのお前だろ。てか、それ以前に施錠されてなかったし」
あれ、鍵かけてなかったっけ。
起き上がった僕は強制的に寝惚けた頭を回転させる。流文が隣の部屋だというのに頻繁に遊びに来るものだから、毎回表に出るのが面倒で合鍵をあげたのは事実。けれども昨晩の記憶すら思い出せず、目を瞬くばかりだった。
「かなり魘されてたけど、体調はどうなんだ?」
「……ああ、大丈夫。問題ないよ」
僕は無理やり笑顔を浮かべ、枕元の眼鏡をかける。話し相手が流文であれ誰であれ、普段から火事の悪夢を見慣れている……などと素直に打ち明けられる訳がなかった。
「ところで、それ何?」
流文の手にある書類らしきものを指差す。
「これか? 師匠が言うには、討伐依頼の資料だってよ。俊祐のも預かっといた」
ほい、と唐突に投げ渡され、反射的に掴んだ。
最近、流文の僕への対応が乱雑になっているような。気の所為だと思いたい。
……資料の大部分に目を通し、僕はふと気になったことを流文に尋ねた。
「資料配布なんて珍しいと思ったけど、こんな物騒な事件の現場に僕たち二人で行くの? 正気?」
「いや、水音も来るらしい」
「佐倉が…………は?」
「感情の起伏が激しいな、お前」
「だって……」
佐倉は僕たちに加勢したら、必然的に紅一点となってしまう訳で。その辺り、彼女ならば気にしないと思うが。とはいえ何を差し置いても不安なのは、僕が二人の足を引っ張りかねないことだ。
「そう心配しなくても、俊祐は強いだろ」
心を読んだかのような予想外すぎる一言に、ふと苦笑する。
「この期に及んで、お世辞なんだ?」
「んな訳あるか。本気を出せば絶対お前の方が強いクセに」
僕の視線の先に見える、流文の深い群青の双眸。その奥に宿る光が、彼の潔白を示していた。
「死に物狂いでやった時の話だよ、それ」
「強いのは否定しないのかよ」
「まあね」
ちょっと得意げに笑ってベッドを降り、真っ先にクローゼットへ向かう。ハンガーから学ランと白の羽織を外し、両方まとめてベッドに投げた。
「……俊祐って意外と雑だよな」
「うるさい」
お前にだけは言われたくなかったわバーカ、と頭の中で暴言を吐き散らす。こんなだから流文に生真面目だと評されるのだろう。
クローゼットの前で苛立ちを抑え切れずにいると、流文が椅子を仕舞ってから言った。
「じゃ、俺は訓練所に行く。お前も急がないと食堂閉まるぞ」
「え……うわ、あと二十分!?」
部屋の掛け時計を見て仰天した。食堂は昼の準備のため、午前中の営業は朝九時までと決められている。何であれ、ゆっくりと朝食を楽しむ時間は無さそうであった。
手早く支度を済ませて食堂に駆け込む。だだっ広い空間に少女が二人、テーブルを挟んで対面に談笑していた。
……というか、あれって……桜咲と不知火じゃないか?
横顔でそう気が付いた。話しかけるか迷った末、朝食の方を優先させる。注文して一分も経過する前に、焼き鮭定食(納豆付き)がカウンターから出てきた。
朝食作りは料理上手な白天士の担当だと聞いたが、配膳は誰が行っているのか。それは今も謎に包まれているとか、いないとか。
……さて、残り十分。何処で食べよう。選択肢が多すぎて優柔不断になっていると。
「俊祐くん〜」
「こっち、おいでよ!」
いつの間にバレたのやら。桜咲と不知火の誘いは(後が怖いので)断れず、僕は相席させてもらうことにした。
「シュンシュン君が時間ギリギリに滑り込みなんて珍しいね。何かあった?」
「いやあ、うっかりアラームのセットを忘れちゃってさ」
無論、大嘘である。
「桜咲と不知火こそ、普段はもっと早い時間じゃなかったか?」
「実は、私が寝坊して〜……」
「美里は任務だったからね。怪我がなくても疲労で睡眠時間が長引くのは当然だよ」
恥ずかしそうに話す不知火と、何故かドヤ顔の桜咲。相変わらず仲がよろしいようで。
朝食は悲しくも味わえないまま胃に流し込まれた。あと二分もすれば食堂も一旦閉まる。そろそろ行こうか、と意見を合わせて三人で食堂を出た。
「俊祐君、私と舞花は部屋に戻るけど……」
「あっ、その前に……訊いてもいい?」
二人は同時に首を傾げるも、快く頷いてくれた。本当は静水を探して尋ねるつもりだったけれど、これなら好都合だ。
「安藤は元気だった?」
「美煉のこと、だよね。元気だったよ。昨日の朝、任務前に治療所に寄って、三人でりんご剥いたんだ〜」
「そっか……良かった」
ほっと胸を撫で下ろす。一昨日に重症で運ばれてきたと聞いて、心配だったのだ。
「シュンシュン君も面会してきたら?」
安心も束の間、桜咲が提案した。本日二度目の予想外である。
「……え?」
「美煉、ずっと一人で暇みたいだし、きっと喜ぶと思うよ」
桜咲の横で、不知火が頭を振り同意を示す。
面会に行く予定は全くなかったのだが、ずっと一人なら寂しいだろうなと───そう思ったら気が変わった。
「じゃあ行こうかな」
「よしっ、決まりだね!」
「じゃあ私達はこの辺りで。またね〜、俊祐君」
並んだ背中を見送って、僕は真っ直ぐ治療所に向かう。歩き始めたばかりなのに、心臓がバクバクと喧しい。上手く会話できるだろうかと、緊張は緩和されぬままに寮を出た。




