姉妹の終わり
「ねえ、なんで冗談だって言って、笑ってくれないの……?」
目の前で横たわる姉の死が間近に迫っている。けれども不思議なことに涙は零れず、言葉だけが流れるように口から出ていく。
背中の傷が深いから、回復まで時間を要するのだろう。華煉の息は荒く、不自由なく話せる状態とは言い難い。でも、彼女の瞳には確かに宿っていた。人間が持つ本来の色彩と、微かな煌めきが。
こんなにも真っ直ぐで綺麗なのに。今の彼女は確実に、悪魔のミーユではなく、人間の華煉に近づいてきているのに。どうして私の姉は「ころして」と懇願するのか。
「他に方法があるかもしれないのに、なんで生きることを簡単に諦めるの?」
華煉は口に出して答えてくれなかった。
その代わりに。
〈美煉、そして二人の白天士さん。口で説明するのは難しそうだから、わたしの意思を脳に直接伝えるわ。よく聞いていて〉
聴き馴染んだ声が頭に響く。多少なりとも違和感はあるけれど、私たちは彼女の話を黙って聞いた。
〈タルテーが槍に毒か何かを仕込んでいたみたい。お蔭で魔力の巡りが狂ってしまって、今はその抑制と意志伝達で精一杯なの。あと十五分も経てば、わたしは自我を失って暴走するわ〉
「そんなっ……」
〈黙って。まだ話は終わってない〉
華煉に注意を受けてしまった。そうだ、今は聞くことに専念しないと。
〈それから、この魔術結界には三つの縛りがあるの。一つ、人間はわたしが許可した者のみ結界に入ることができる。二つ、わたしが死んだ時に初めて結界が解かれる。三つ、結界内では現実世界の六十分の一の早さで時間が経過する。……つまり、貴女たち三人の誰かがわたしを殺さない限りは生きて帰れないってことよ〉
殺す以外に道は無い、と華煉は断言する。残された時間は約十五分だ。彼女が生きるための方法を模索するも、焦りで何も思いつかなかった。
「質問、いい?」
話も一区切りついたということで、彩奈が真っ先に申し出る。
〈どうぞ〉
「三つ目の縛りは、要は結界で一時間過ごしても現実世界では一分しか経っていないって訳だけど、それ必要だったの?」
〈わたしに聞かれても困るわ、縛りを決めたのはアルフィアなんだから〉
アルフィア。たしかタルテーも同じ名前を口にしていた。
『アルフィアによろしく』
そう告げられた水音が、手を挙げた。
「私も聞いていいかな」
〈もちろん〉
「そのアルフィアっていう人は……」
〈上級悪魔よ。それも女王陛下の側近、タルテーをも圧倒する最強の幹部。わたしを悪魔にしたのも、魔術結界の縛りを作ったのもアルフィアだったわ。暫く会っていないけど、何してるのかしらね〉
思わず息を呑む。顔も知らないアルフィアが、気配を消して槍の一撃を放ったタルテーを凌駕する最強の幹部だというのだから、想像もできない強さだ。
しかも華煉を悪魔にしたのが彼だったなんて。許せない――と思いはしたが、彼がいなければ私は今、華煉と話すことも叶わなかっただろう。そう考えると、なんとも複雑な気分になった。
私が悩ましい感情に脳を支配された一方で、水音は更に質問を重ねていた。
「タルテーが『アルフィアによろしく』って言っていたんだけど、何か分かること、知っていることはある?」
〈そうね……考えられるのは、アルフィアが“そっち側”にいる可能性じゃない?〉
「え――」
水音が目を見開き、言葉を失う。私も何一つ、思ったことを言語化できなかった。
なにしろ“そっち側”にいる可能性とは――
「待って、そんな筈は……!」
口を挟んだ彩奈が声を荒らげる。
〈有り得る話でしょう? 貴女たち白天士にとっては信じ難いだろうけど〉
――アルフィアが人間を装い、【白天】に潜んでいるかもしれないということ。
その否定は、誰にもできない。
暫しの沈黙が続いたが、暴走までのタイムリミットが着々と迫っていることもあり、華煉が断ち切った。
〈質問は終わりね。そろそろ決断の時よ、白天士さん〉
白天士三人、揃って顔を見合わせる。
〈わたしは攻撃を受けても抵抗しないと誓うわ。だから後は、誰がわたしを討つのか……それさえ決まれば、この戦いも終結よ。残り五分を切ったけれど、どうするの?〉
加速する焦燥感。脳内に直接響く声は普通でも、実際の華煉は荒々しく息を吸っては吐いている。一秒でも早く苦痛から解放してあげたいが、そのためには彼女を討伐する他ない。そういう結論に行き着いてしまった。
膨張する絶望感。鎮火された後、華煉の遺体は見つかっていなかったから、実は何処かで生きているのではと期待していた。悪魔に変貌していたものの、また抱き合えた。話ができたのに――離婚で父を、火事で母を、此処で華煉まで失うのか。
「みれー」
すっかり俯いてしまった私に、彩奈は静かに訊いた。
「急かすようで悪いけど、みれーは、どうしたい?」
「どう、って……」
分からない。
分かりやしない。
分かりたくもない。
時間、そして選択肢。どちらも少ないことは理解している。しかしながら『どうしたい』の答えは出ない。
「じゃあ、思い出してみて。木属性の攻撃スキル、それぞれ効果と特性を」
「スキル……?」
広範囲の技【小枝斬り】と【銀杏舞】、より数の多い場合に対応できる【紅葉舞】、敵の攻撃を無効化する【水目桜】……彩奈の言う通り、次々に攻撃スキルを思い浮かべる。
その中で見つけた、ただ一つの攻撃手段。
「あっ……」
「その類いの攻撃スキルは、木属性特有のもの。私とみーちゃんが討伐したところで、彼女を更に苦しめるだけだから……より優しく討伐するなら、それしかない」
縛りさえなければ、別の選択肢もあったかもしれない。華煉を救えたかもしれない。
それを考えたらおしまいだ。
過去を顧みるのではなく、今できることを。
『いつ、どんな時も、自分にできる最善を』
炎に包まれた死の間際、この言葉を教えてくれた、最後の家族のために。
私は、この杖を振るんだ――!
ステッキに天力を注ぎ込む。ありったけを使えば、一撃で終わる。それによって少しでも痛みを軽減させる。
これが、今の私の最善だ。
「美煉。最期に、ひとつ」
華煉が声を振り絞る。弱々しい、でも優しい声だった。
「わたしは、頼りない“妹”、だったかも……しれない、けど。家が燃えた、あの時、助けて、良かったなって……思ってる、の」
「……そんなことない! 戸籍上は妹でも、私は今も華煉を、おねえちゃんだと思ってるよ。ずっと、頼りにしてたよ」
双子だから、どちらが姉でも妹でも関係ない。昔、私がそう言ったのをキッカケに、華煉は「わたしのことは、おねえちゃんって呼んで」と私に言って聞かせた。
数年後に、本当は私が姉なのだと両親から聞かされたけれど、今さら変えようともせず、結局は戸籍上においての話、ということで収まったのだ。
それを知る人からすれば、変な姉妹に見えるだろう。でも、私と華煉はどうだって良かった。華煉は姉になりたくて、私は妹でありたかった、それだけの話。
それに、定着した呼び名は、簡単に直せるものじゃないでしょう?
「また、昔みたいに、話せて……嬉しかった。あり、がとう」
美煉、大好きだよ。
それが華煉の最後の一言だった。
視界が歪む。ステッキを持つ手が震える。
ダメ、躊躇うな。とっくに覚悟はできているのだから、絶対にやり遂げる。
木属性特有の、痛みを伴わない慈悲の攻撃スキル。
その一撃を、使用可能な天力のすべてを以て、苦しみから華煉を解放してみせる――!
天力、装填完了。
ステッキを華煉に向けて振り下ろす。
「ありがとう、おねえちゃん」
木杖攻撃――
「【森のさざめき】」
雨、風、土、そして生命。深く広い森に存在する自然と現象が起こす不協和音――即ち、さざめき。華煉を包むように鳴り響いて、徐々に小さくなっていく。
無音になった瞬間。
それが戦いの終わりである。
第三幕、これにて終幕いたしました。
次話から第四幕です! よろしくお願いします!




