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シロクロイロ  作者: 双葉ゆず
第三幕 鏡に映る理想郷
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記憶

「っ―――?! 魔術が破られ――」

静水彩奈の一点集中攻撃によって粉々に砕け散った【真円鏡】は、灰みたく跡形もなく消え失せた。目の前で起きた出来事は信じがたく、驚きと共に混乱が入り混じる。


水弓攻撃・【波折り】


反撃の隙など与えるものかと、佐倉水音が弓を引く。幾重にも重ねた波のように連なった矢が押し寄せる。あの速度……魔術で守りを固めようと思ったら、少しでも距離を取らなければ間に合わない。わたしは出来る限りの後退を余儀なくされた。


魔術防御【夜鏡】


空中に留まったまま術を発動させる。すると、暗闇を吸い込んだかのような鏡が全ての矢を呑む。これで水音の攻撃は無効化された……のだが。

「まだ戦う気なのね。あっちは力を使い過ぎて戦線離脱したみたいだけど、おねえちゃんも、そろそろ限界が来るんじゃない?」

「それはこっちの台詞だよ」

後退を続ける今も追って来る、水音の鋭い視線が刺さる。その青空みたいに澄んだ瞳は、見るだけで潰してしまいたいと思う程に、わたしを苛つかせた。

「悪魔に限界という概念は存在しないって、まさか知らないの?」

「そうだね。あなたたちは確かに魔力の限界は無い。私たちと違って無限に戦えるようなものだし」

そう言って目を伏せた……と思いきや。


水弓攻撃・【海原一雫】


雫の如き矢が一閃、瞬速で迫る。

「う、あぁっ……!」

咄嗟に避けたはいいが、右腕が付け根から丸ごと飛んだ。赤黒い液体が滴り落ちる。怪我を負ったのも血を見たのも久方振りだった。

経験した事のない部類の痛みに、固く目を瞑る。悪魔であろうとも痛覚は残るのだ。必死になって叫び声を抑えた分、全身から嫌な冷や汗が流れた。


でも、身体が燃えた時と比べたら全然平気。人間の死因は計り知れないくらいあるけれど、焼死ほど苦痛な死に方なんて、この世にはきっと無いわ。


水音との距離は現在も三メートルほど離れている。いくら研鑽を積んだ白天士でも、身体能力的に悪魔の飛行速度には到底追いつけない。それだけ距離がある癖に直前まで攻撃に気付かず、危うく心臓を射抜かれるところだった。

恐らく彼女は、わたしの視界に映らない背中で矢を番え、射ち時が来るのを待っていたのだろう。その方法なら、弓が上手ければ速攻もできる。お喋りの所為で油断していたが、確実に心臓を狙い射った今の攻撃を見て、漸く理解した。

佐倉水音は相当、弓の扱いが上手い。そうでもないと、わたしを超越する速度で天術を繰り出すなんて不可能に等しいのだから。


魔術回復【魔再生】


もう会話に花を咲かせている余裕は無いと分かってしまったのだ、警戒を強めなければ。水音から遠ざかりつつ、体内の魔力で右腕を再生させる。

こうして身体が新しくなるのは、これで二度目だ。今回は腕だけで済んだが、次の攻撃でどうなるか分からないのも事実。それに、先程の激痛を再度味わうのは御免だ。

ふと水音の様子を窺う……と、これまた驚いてしまった。


いつの間にか地上に戻っていた彼女は俯き、その場で立ち尽くしている。一目瞭然、弓を握る手どころか、肩も足もガクガクと震えている。さっきの水音――わたしを倒すという決意に満ちた、あの瞳も技も全部、嘘みたいだった。

突然訪れた好機。あの状態なら即座には動けまい。今なら殺れる。ついに本領を発揮できる時がやって来たのだと喜んだのに、これは残念である。

「結構、期待していたのだけど。それじゃあ、さようなら」


魔術攻撃【手裏鏡】


手裏剣のような鏡が水音を目がけて散っていく。あれらの持つ鋭利な角は刃物と同等、もしくはそれ以上の威力がある。上手くいけば鳩尾も貫通する筈だ。

……そう思っても結局は、上手くいけばの話で終わるのだ。


星杖防御・【大三角・夏】


夏の大三角が盾となり【手裏鏡】を弾き返す。わたしは身を翻し、彼女らに聞こえないように舌打ちをした。

また邪魔された。水音が止まったら、今度は静水彩奈が動くとは。体力的にも切羽詰まった状態にも拘わらず、ここまで二人で何とか繋ぎ止めている。まるで時間を稼いでいるような。


何の、ために?


跳ね返された【手裏鏡】が魔術領域の端に衝突したのを確認して、わたしは彩奈に探りを入れた。

「おねえちゃん、力尽きるまで戦い続けるつもり? それとも何かの時間稼ぎ?」

「時間稼ぎ? 何の?」

「冗談言わないで。おねえちゃんたちを見る限り、何か企んでいる事は分かるけど、万策尽きるのも時間の問題よ」

「企みも何も、私は必死に戦ってるだけだよ。……けど、水音ちゃんには考えがあったんだろうね」

何を考えているのかすら読めない真顔で彩奈は言った。真実に触れないよう、のらりくらりと躱しているのだろう。それを腹立つなあ、なんて思っていたわたしは、とんでもない愚か者だった。




「おねえちゃん!」



懐かしい声が聴こえる。/癪に障る声が聞こえる。


誰だったっけ?/誰でもいいでしょう?



木の葉の絨毯に乗った、ひとりの少女。彼女は何度も“おねえちゃん”と呼びかけている。その相手は間違いなく、わたしだ。



なんで“おねえちゃん”って呼ぶんだろう?/そんなの知らなくていいでしょう?


あの子は、わたしの何だった?/そんなの思い出さないままでいいでしょう?



少女が段々と近付いて来るにつれて、表情が見えてきた。――泣いている。掠れた声なのは、そういう訳だ。



どうして泣いているの?/そんなの自分には無関係でしょう?


そうは言っても、放っておけないよ。/他人を慰めたって意味ないでしょう?


そんな事ないよ。傍で寄り添ってあげれば、きっと笑ってくれる。/時間は有限なのよ。そんな行為で浪費したら駄目でしょう?


無駄なんかじゃないわ。それに……/ふざけるのもいい加減にして!



いつか闇に堕ちた自分が邪魔をする。あの少女を見ると泣きたくなったし、抱き締めてあげたいと思った。彼女と戦っていた時は全然感じなかった何かが込み上げる。

「お願いっ、お願いだから……!」

そう祈るように叫びながら、少女はわたしに向けて何やら光る物を投げた。飛んで来たそれを反射的に受け止める。手のひらで握った物は、確かに自分の物だと気が付いた。少女を見て感情がぐちゃぐちゃになったのは、これを見てしまったからだろう。

蓋を開くと――ひび割れた鏡がわたしを映す。こんな顔だったっけ、と自分の酷い表情に引いた瞬間。


「思い出してよ、おねえちゃん!」


美煉の声と共に、あの日の痛みが蘇った。






ある日の深夜。二階の部屋で睡眠中、家の何処かから聞いた事のない警告音が鳴り響いた。それが廊下の天井から聞こえているのに気付いて初めて、この警告音は火災報知器によるものだと分かった。


同じ部屋で寝ていた美煉と、一階の玄関から逃げようと階段に向かったが、炎に阻まれて脱出経路の変更を余儀なくされた。一階で寝ている母の安否が心配ではあったが、そんな事よりも自分たちの命を守る方が大切だ。


わたしの提案で、今度は部屋の窓から飛び降りて脱出しようと決めた。危険を伴う方法だが、命さえ助かればいいという判断だった。それに混乱に陥っていたわたしと美煉には、他の選択肢が浮かばなかったのだ。


今も確信している。この選択は間違いではなかったのだと。


でも、わたしは同時に後悔している。

部屋に戻る途中、わたしの前を走っていた美煉の頭上――天井が崩れかけているのを見てしまって、美煉の背中を押したから。


直後に襲った、全身を潰されるような感覚。それよりも、わたしが庇った所為で美煉が涙を流す方が、もっとずっと苦しかった。けど逆の立場だったら、美煉が同じ苦痛を味わうことになっていただろう。


それは嫌だ。わたしはただ、美煉に幸せになってほしいから。

君には笑ってほしいから。


だから、ただ「逃げて」と伝えた。その場に立ち止まり泣いている美煉に必死で呼びかけていた所為か、他に言い残した言葉は覚えていない。わたしが助けたのに、此処で死ぬなんて許さない――そんな想いで美煉の背中を見送った。


あの後、どうなったんだっけ――熱いだとか痛いだとか感覚的な記憶と共に、朧気ながら思い出したことがある。



「俺の名はアルフィア。悪魔国の女王に仕える幹部の一人、アルフィアだ。よく覚えておいて」


消えかかった意識の中、アルフィアと名乗った悪魔は問答無用でわたしを生かしてくれた。それ以降、わたしは華煉の記憶を忘却し、悪魔として生きることになったのだ。

けれどアルフィアに直接会える機会は無く、自分のやりたいことに全力を注ぎ、忽ち時間は過ぎていった。






「ごめんね、“美煉”」

不意に口から零れたのは謝罪だった。美煉は目を見開くと同時に、瞼に涙を浮かべる。わたしも釣られてしまったのか、何か熱いものが頬を伝う。

「……良かった。思い出して、くれて」

美煉は「いいよ」とは言わなかった。許さなくて当然だ。

幼子を攫っては悪魔に仕立てた。適性のない子は迷わず殺した。そんな罪人のわたしが、誰かに赦される筈がないのだから。


「ねえ、美煉」

きょとんとした顔でわたしを見る美煉。

「抱きしめてもいい?」

「いいに決まってるでしょ!」

即答だった。悪魔相手に警戒心なんて欠片も無くて、声に出して笑いそうになる。

美煉が宙に浮かぶ絨毯から飛び降りた。後はわたしが受け止めるだけだ。


「「危ない―――っ!」」


二人の声が聞こえた。おそらく美煉の仲間だけれど、何を見て危険を感じたのだろう。空中でのハグ? それなら大丈夫。わたしがちゃんと美煉を抱きとめればいいのだ。心配することなんて何も――


「よっ、と」


ザシュッ――!


聞き慣れた声と不気味な音が連続する。瞬間、わたしは地に落ちた。

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