夢のような
眩しかった。
視界の端で瞬く、ひとつの星が。
「あ、駄目だよ動いたら」
真正面から、私を制止する声がした。私は無意識に、あの光を追おうとしていたらしい。薄く瞼を持ち上げると、空色の髪が揺れているのが見える。そこで水音だと確信した。
「……あ、」
「ごめん、話は後。今から止血と……骨折も多少は治してみるから。大人しく、ね」
水音の声色は相変わらず優しいが、中には悪魔への怒りか、激情も混ざっていた。
「水回復・【癒雫】」
そう水音が詠唱した途端、横腹の痛みが引く。代わりに水の柔く冷たい感触が伝わってきた。……不思議と満たされているような、そんな感覚が徐々に強まる。
ポチャン、ポチャン、ポチャン。
雫の落ちる音が鳴る。規則的なリズムで、心音のように。他の音は聞こえない。一粒の雫が延々と落ちているだけ。それは心地よく、静かに眠りを誘ってくる。
意識が沈んでいくのが分かる。眠気には抵抗しない。寧ろ不可能だった。水面を揺蕩うように、私は睡魔に身を預けた。
*
「…………ふぅ」
ほっと息をつく。目線の下で、地面に横たわり寝息を立てる美煉。今の彼女の表情は、スキル使用前とは比べ物にならないほど穏やかだ。
時を少し遡る。
私は理想鏡界を脱出した直後、この白い空間を無我夢中で走った。すぐに彩奈と合流して此処に辿り着いたかと思えば、嘲笑うミーユと重傷を負った美煉を見つけた。
傷が深い程、治癒に必要な天力量は増大する。彩奈もそれを解っていたようで、「私があの悪魔と戦う。水音ちゃんは美煉の回復を」と言って、美煉を私に任せた。
彩奈の指示は的確で、賢明な判断だった。事実、私の天力量は彩奈の天力量を大きく上回っている。織火が言っていたように、今回の任務は人命が最優先だ。何としても、美煉を命の危機から救わなければならない。それなら、治療するのは私の方が向いている、という事で。
そのような経緯の後、私は全力で回復スキルを駆使した。お陰で現状、美煉は一命を取り留めている。
「良かった……」
ふと安心が口に出る。血の海を目の当たりにした時はもう駄目なんじゃないかと思ったけれど、すんでのところで間に合った。
ドォン!
「爆発音……!?」
咄嗟に振り向くと、色彩豊かな星々がミーユに向かって一斉に突撃していた。砂埃にも似た煙が巻いている。容赦のない大胆な攻撃に、私は数秒だけ愕然とした。
惚けている暇はない。彩奈の助太刀に入り、一刻も早く悪魔を討たなければ。
弓に矢を番え、私は戦場へ駆け出した。
頭の片隅で、理想鏡界で起きた出来事について考えながら。
*
「やり過ぎたかな……これ」
天力を体内に駆け巡らせつつ、私は上空から様子を見ていた。(正確には魔術領域の中なので空の概念も存在しないのだが)
星属性の攻撃スキルである【一番星】と【おうし座流星群】の連撃により、周辺は濃い白煙に覆われていた。それも敵影すら捉えられない程。
――この真っ白な謎空間に来て数分後。水音に治療の役割を任せ、私は先手必勝とばかりに【一番星】を発動した。勿論、感情的になって考えなしに敵を叩いた訳ではない。
確かに美煉を傷つけたのは許せないし、ぶっ飛ばしてやりたいとは思う。それはもう物凄く思っている。
けれど、黒いパーティードレスの少女が中級悪魔だと一瞥を投げれば判断できたし、油断ならない相手であるとも認識していた。だから一撃で仕留められる【一番星】を初手に選んだのだが、そう簡単に上手くいくものでもなかった。
悪魔の健在を確認し、即座に別の攻撃を仕掛ける。確実に当てるには広範囲の技が効果的だろう。
……次は逃がさない。
そこで使ったのが【おうし座流星群】。輝かしい無数の星が、滝の如く流れ落ちた。
――そして、今に至る。
星の速度は侮れない。どう動こうと逃げ場はない筈なのだが……。
「はぁ……邪魔しに来たと思えば、こんな物騒なのを立て続けに撃ってくるなんて、寝起きで頭おかしくなってるんじゃない?」
皮肉を言う悪魔の少女は、無傷だった。
「よく自力で脱出できたね、二人のおねえちゃん。そこは褒めてあげる」
微塵も嬉しくない拍手を贈られ、目のやり場に困った。すると、ふと背後から人の気配を感じ、チラッと横目で見てみた。私の傍で、水音が弓矢を構えている。狙撃の準備は万端、と言ったところか。
気持ちを切り替え、私は悪魔の方に向き直る。
「あなたには自己紹介してなかったわね。わたしはミーユ。見ての通り、中級悪魔だよ。……よろしくね?」
鋭い視線を向けてくる、黒い絵の具で塗り潰したような瞳。その奥を見ようとすると眩暈がするくらい、眼前の悪魔のそれは酷く濁っていた。
そんな瞳が大きく見開かれた瞬間を私はこの目で見てしまい、心臓が飛び出しそうになった。恐怖もそうだが、色々な意味で。
「そうだ。死んでもらう前に、聞いておかないとね」
不気味な笑みを浮かべたミーユは、更にこう続けた。
「わたしの創った理想郷は、楽しかった?」
理想郷。
想像が形となった世界。或いは自分の理想的な世界である。
また、同じ英語でユートピアを指す言葉として、桃源郷も存在する。これは平和な世界や仙境のことなので、理想郷とは別だ。
……その理想郷を、ミーユは「わたしが創った」と言った。
確かに悪魔は、実在し得ない空間を創造する能力を持っている。私が今いる場所もその一つ、魔術領域と見て間違いない。だから理想郷を魔力で編み出す事も可能ではあるのだろう。
けれど、彼女の言う理想郷とは何を指しているのか――それが理解できなかった。
「あら……理想郷を知らないの。じゃあ、空色の髪のおねえちゃん。あなたなら分かるでしょう?」
ミーユは『空色の髪のおねえちゃん』に話題を振った。敵に注意を払いながら、私は水音の方を見る。
「……勿論。彩奈ちゃん、此処に来る前に、夢みたいなものを見なかった?」
「夢?」
「そう。見る夢は人によって違うし、私も上手く説明できないんだけどね」
そう言った水音が苦笑いを浮かべる。彼女の話を聞いても「これだ」と思える事がなかったので、私は今この瞬間から順に時を遡って回想を始めた。
ミーユと戦う前に、水音と合流した。それまでは、この白い空間を一人で彷徨っていた筈だ。それ以前は――。
ハッと気付く。自身の鈍さを実感した。
「まさか……!」
漠然とした驚きが口を衝いて出る。
水音の説明は八割方、正しかった。踊り場の大鏡に入り、魔術領域の中で目覚めるまで見ていた何か。それは自分の理想を夢に反映させたようなものだ。
漸く理想郷を理解した私を見て、ミーユは悪意の滲んだ笑みを深くした。
「その“まさか”よ。楽しかった? 嬉しかった? 久しぶりのお兄さんとの邂逅は」
心臓がバクンと鳴る。『お兄さんとの邂逅』――私が見ていた夢の内容は、確かにそれだった。
「なんで、知って――」
「明言した筈よ。理想郷はわたしが創ったって。わたしの魔術領域に入った時点で、あなたたちの情報は全て開示される。そこで収集した情報を元に理想郷を創るのだから、知っていて当然なの」
私は首を捻った。ミーユの魔術について少し聞き出せたのは良かったが、やはり引っかかる。
同族を増やす事が悪魔の共通目的だ。それを達成したいならば、人間に黒い絵の具を塗ればいいだけの単純な話だ。けれどミーユは、人間を魔術領域に入れて理想郷を見せ、その上で黒い絵の具を塗る、という複雑な手順を踏んでいる。共通目的を果たす為だけにこうまでする必要性が見い出せない。
憶測だが、ミーユには他にも目的があるという事なのだろう。
「理解できた? なら早く、わたしの質問に答えて。理想郷は楽しかったの?」
ミーユが回答を煽って来る。
なぜ彼女は私にだけ質問するのだろうか。水音だって理想郷を見ている筈なのに。
私は疑問を抱きながら、あの夢のような出来事を思い浮かべながら、こう答えた。
「……楽しかったよ。でもミーユ、あなたは絶対に許さない」
手に握り締めたステッキの先端に、星のような光が宿った。




