真剣勝負
目が覚めると、私の視界は純白に埋め尽くされていた。
夢を見ていたのだろうか。ずっと思い描いていた未来。絶対に叶わない日常。鏡を見る瞬間までは幸せだったのに、唐突に突き付けられた過去。
フラッシュバックのお陰で今、現実に戻って来れた訳だけど、精神的苦痛は僅かに残っている。
取り敢えず上半身を起こしてみて、気付く。眼前に置かれたアンティーク風の姿見。中心からひび割れてはいるものの、鏡としての機能は失われていないようだ。そこに映るのは、いつにも増して青白い顔をした自分。そして、目を見開いたまま微動だにせず立っている、まだ幼い男女。正直なところ、気になるのは後者の方だ。
少年の方はスーツ、少女の方はドレス。ふたり揃った黒い洋装に目を瞬く。何かの間違いでなければ、彼らは人外――悪魔だろう。
起きた直後に気付いた、体にのしかかるような重い空気は、恐らく魔力の気配だ。これを肌で感じるのは初めてではない。だからこそ解る。
……あのふたりは、只者じゃない。
きっと、試験で遭遇した悪魔よりも遥かに強いだろう。
更に絶望的なのが、この状況。周辺を見渡さずとも理解できる。水音も彩奈も此処にはいない。推測するに、此処は魔術領域の中なので、何処かにいる可能性はある。
だからと言って、たった一人で悪魔二体と真面に戦えば、勝算は無いに等しい。
けど、それは戦わない理由にはならないよね。
覚悟を決めて立ち上がると、背後から少女の声が飛んできた。
「目が覚めたみたいね、おねえちゃん」
「―――――」
腕時計の武器ポケットに伸ばした手が止まる。振り向かずとも、確信してしまった。
私は、この悪魔の少女を倒せない。
「はじめまして。わたしの名前はミーユ。こっちは友達のタルテー」
「……なんで紹介した」
意気揚々と話す少女――ミーユに、タルテーと呼ばれる少年が小声で口を挟む。
「別にいいでしょう? 名前が【白天】に漏洩しても、大した情報にはならないんだから」
「そう? 用心するに越した事はないと思うけどね。……で、どうするんだっけ?」
「愚問ね。殺す以外の選択肢なんて初めから存在しないわ。あなたの名前と違って、理想鏡界の情報漏洩は困るもの」
口封じの為だけに殺すって嘘でしょ!?
危うく、そう口走りかけた。思った事をすぐ口にする悪い癖だ。もしかすると瞬殺されていたところだった。
運のいいことに、悪魔は会話に気を取られているようだ。小さく安堵の息を吐いてから、音を立てないよう注意し、今度こそ武器ポケットからステッキを取り出す。
「へぇ、ひとりで殺る気なんだ?」
腕を組んだタルテーが、不敵な笑みを浮かべる。逆にミーユは真剣な表情で、淡々と答えた。
「勿論。自分のテリトリーくらい、自力で守り抜くわ」
「それはそれは。実に君らしい、自信満々な回答だ。じゃ、取り敢えず自分は退場する。吉報を待っているよ、ミーユ」
ミーユの返答は聞かず、タルテーは足元の黒い渦に飲み込まれていく。初めて見た現象だったが、あの渦こそ悪魔の移動手段であり、異空間と繋がっているのかもしれない。
私はタルテーを追わなかった。一人で無理に戦って死ぬより、敵を逃がした方が断然いいからだ。
ただ、敵が減ったからと言って安心している場合ではない。ミーユは一歩こちらに歩み出ると、にこりと作り笑いを浮かべた。
「では改めて。はじめまして、おねえちゃん。まさか理想鏡界を脱出するなんて、流石は白天士さん。普通の人間とは精神力が段違いね」
「理想、きょうかい?」
私が首を傾げると、敵の立場にありながら親切に、ミーユが解説してくれた。
「そう。鏡に入った人間の理想そのものを具現化する――つまりは、自分だけの理想郷を体感できる、鏡の中の世界」
それが理想鏡界なるものだと、彼女は言っている。
……どうしよう、説明聞いても全然分かんない。理想の具現化? 理想郷を体感できる? そもそも理想郷ってなに、美味しいの?
あまりの情報量に、私の脳はキャパオーバー寸前だった。今なら頭が大爆発を起こしてもおかしくない程度には。
そんな私を察したらしく、ミーユは呼吸するように溜め息をつく。
「別に、分からなくていいよ。おねえちゃんは今から殺されるんだから、理解しても意味ないもの」
「……そうかな」
「そうよ」
当たり前だ、と言うように肯定したミーユから、冷ややかな眼差しを向けられた。その表情に、私は反論を口にする。
「この世に意味のないことなんて、一つも無いと思うけどなぁ。その時は不必要だと感じていても、いつか生かせる瞬間があるかもしれないし」
「……それは、未来ある人間に限った話でしょう」
「そんな事ないよ。死に際まで何が起きるか分からない、想定し得ないのが人生なんだから」
「知ったような口を利くのね」
ミーユこそ偉そうな物言いだ。けれど、それも正論である。
「うん。だってこれは、あなたが――おねえちゃんが私に教えてくれた言葉だから」
そう言い切った瞬間だった。
「…………っ!」
ミーユの貼り付けていた笑顔が剥がれた。頭を抱えたと思えば、その場で屈み込んだ。私のフラッシュバックと似た状態に陥った様子である。
……でも。
「今のそれ、ものすごく癪に障るわ。二度と言わないで」
怒りを募らせたミーユが、私を睨み付ける。
「……ごめんなさい」
反射的に謝ると、ミーユは眉を顰めた。
「敵に謝罪なんて……ほんっと、理解できない精神構造ね」
敵。その言葉を聞くと、息が詰まる。
講義で聞いていた通りだ。悪魔は人間時の記憶を丸ごと忘却している。その理由は、悪魔にとって都合が悪いという一点に尽きる。何かの拍子に思い出すケースもあるらしいが、相当厳しいだろう。それでも今の反応を見るに、少なからず希望はありそうだ。
彼女の名は――安藤華煉。以前まで、私の姉にあたる人間だった。
“あの事件”によって亡くなったとされていたが、現在は悪魔に変貌しているようだ。
自身の姉を、自分の手で殺めたくはない。それに、今のような場合を想定し、第二試験のステージⅡにて木織を模倣した悪魔がいたのは知っている。けれど、いざとなると『倒さないと』ではなく『無理だ』という気持ちの方が大きい。
それ故、この戦いを平和的に終結させるには、どうにか人間時の記憶を蘇らせるしか方法は無いと思う。
「ごめんなさい、おねえちゃん。何かお話しながら戦うつもりだったけど、気が変わったわ。できる限り苦しめた後、死んでもらうね」
ミーユが右手を前に出す。魔術の構えだ。
「な……っ、待ってよ! 一人で勝手に喋っておいて、何で戦闘態勢になってるの! 思い出してよ、おねえちゃん!」
「うるさい! 美煉なんて知らないわ、大人しく死になさい!」
いま、何て……?
驚くのも束の間、ミーユの全身から魔力が溢れ出る。
「【魔術結界、型式消去。鏡界迷路へ変更。再構築、開始。――完了】」
聞いたこともない詠唱の後、一瞬で周囲の景色が変わった。
私たちを囲うように展開された鏡のドーム。何十枚、何百枚とある鏡が隙間なく埋め尽くされている。中には水音や彩奈、私の友だち、他にも複数の子供が映っているものもあった。
「閉じ込められてる……?」
見たままの感想が口をついて出た。
「ええ、そうね。どちらかと言えば人質だけど、その辺りの位置付けは何でもいいわ」
そう答えつつ左手を掲げたミーユが、手のひらに魔力の弾丸を精製する。
来る!
即座に反応し、手に持っていたステッキに天力を注ぎ込む。
「それじゃあ、真剣勝負をはじめましょう」
ミーユのかけ声によって、本格的な戦闘が幕を開けた。




