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シロクロイロ  作者: 双葉ゆず
第三幕 鏡に映る理想郷
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美煉の理想郷

「美煉」

その声で、我に返った。


瞼を開いて咄嗟に振り向く。すると、至近距離に制服姿の少女が立っていた。私と同じ焦茶色の髪を腰辺りまで伸ばし、頭に三つ編みカチューシャを作っている。それも彼女自身が結ったものだ。私なんかよりずっと、手先が器用なのだろう。


そんな彼女の名は――

「……おねえちゃん」

安藤華煉(かれん)。私の姉にあたる人だった。


本当の事を言ってしまうと、私と華煉は同い年。つまり双子――正確には一卵性双生児と言う。一つの受精卵から産まれるために、外見が酷似するらしい。

まさに瓜二つという顔つきなので、どちらが私でどちらが華煉なのか、一見では区別が難しいと聞く。何なら両親でも間違える。それに私も、もう一人の自分が目の前にいるような奇妙な感覚を、物心ついた時から味わってきた。ドッペルゲンガーの疑似体験、と言えば分かりやすいだろうか。……いや、そうでもないかも。

このように見た目そっくりな二人を区別するため、私たちは髪型や服装などで特徴の違いを付けなければならなかった。


「準備は終わった?」

「……え、ああ、えっと」

怒り気味の華煉から目を逸らす。先程までの自分は何をしていたのか。すぐには思い出せなかったが、周囲を見て何となく理解した。


此処は私を含む四人家族の一軒家。その二階にある、私と華煉の部屋だ。そして私はベッドの上に座り、中学校に行く支度をしている最中。更に、時計に表示された日時と、壁に貼られたカレンダーを照らし合わせたところ、今日は入学式だと判明した。

……そういえば、私は華煉と同じ中学校に行く事を目標としていた。小学五年生の頃、華煉が私立中学校を目指したいと言ったのがキッカケだったと思う。


そうだった。華煉の背中を必死に追いかけて、受験に合格して、今日は遂に入学式。私は目標を達成できたのだ。記憶が曖昧だけれど、多分そんな感じだったはず。


自分の置かれている状況を把握し、一人納得していると、華煉が呆れたように溜め息を吐いた。

「……その顔、終わってないのね。わたしも手伝うから、遅刻だけは勘弁してよ?」

そう言った彼女は仕方なさそうな表情で、私の鞄に荷物を詰め始めた。その様子を見ながら、私は「はあい」とだけ返事をする。なんだかんだ世話を焼いてくれるのが、姉の良いところだ。



――手短に支度を済ませて玄関を出ると、家の横の駐車場で両親が待っていた。二人とも既に車に乗っている。エンジンもかけた後のようだ。

「ごめんなさい、遅れちゃった?」

私は謝罪を零しながら、慌てて車に乗り込む。後部座席の右側に腰掛け、足元に荷物を置いた。


「大丈夫よ、時間にはまだ余裕があるから」

「母さんの言う通りだぞ、美煉。……まさか、華煉に急かされたのか?」

助手席にいる母に続き、運転席に座る父も振り返り、私に目を向ける。素直にこくりと頷きを返すと、「ちょっ、美煉……!」という小声が横から聞こえてきた。


……そんなこと言ったって、事実だしなあ。


「華煉。準備を手伝ってやれとは言ったけどな「分かってるよ。分かってるからそれ以上言わないで、パパ」

華煉が父の言葉を遮る。親に当たりが強いのは、世間で言う思春期なのかもしれない。父が押しに弱いのも困りものだ。けれど、こういう時、母が決まって口を挟まないのが不思議だった。私が宥めたところで意味が無いし、結局は放置が最善と母なりに判断しているのだろうか。


ギクシャクした雰囲気のまま、車が発進する。これくらい通常通りの筈なのに、今日は一段と空気が重い。安易に口を開ける状況ではなかった。

気晴らしにと窓の外を眺める。ちょうど桜並木に差し掛かったようだ。風に揺られて花びらが舞い、静かに落ちていく。

「さくら…………あれ……?」

何かが頭に引っかかる。『さくら』。誰かの名前だったような気はする。だが、記憶が曖昧で思い出せない。


「どうしたの、美煉。外に何かあった?」

此方を振り返った母と目が合う。

「うん。大した事じゃないけど、桜が綺麗だなあって」

「確かに綺麗ね。それにしても、桜を見て思わず声が出ちゃうなんて美煉らしい」

「……そうかなあ」

「そうよ」

微笑む母は何処か楽しそうで、嬉しそうでもあった。


今の会話で多少は場が和んだように感じるが、父と華煉は未だ無言で突き通している。この二人、どうしたものか。悩んでいる内に、桜並木の風景は終わりを告げた。




――入学式も無事終了、私たち家族は揃って帰宅した。しかし、父は午後から仕事だと言って、さっさと支度を済ませて出発してしまった。昼食は職場で食べるらしい。


時間は正午過ぎ。お腹も空いたので、私は母を手伝うことにした。三人分の軽い昼食程度、二人で作れば短時間で終わるだろう。

一方、華煉は自室に行っている。「ご飯が出来たら呼んで」という一言。華煉とはそれきり会話もせず、既に数十分が経過していた。


「華煉、もしかして拗ねてる?」

調理器具を洗いながら、母がそう切り出した。……今更では。そんな考えを他所に、私は電子レンジで温めた昨日の白飯を茶碗に盛り付けていた。僅かな逡巡の後、「んー……多分ね」と答えておく。


「最近ずっと、あの調子よね。どうにかならないかしら」

「人間が一度は通る道なんだし、どうもこうも出来ないんじゃないかな」

「あら。大人な思考ね、美煉」

「そう言うお母さんは立派な大人でしょ?」

「あらあら、驚くほど正論。美煉の攻撃で、今にも母さんの心が死にそうよ」

「ふふ、何それ」


思わず笑い声を出してしまう。すると、母は自慢げに言い出す。


「ママジョークよ、ママジョーク。こんな話で笑ってくれるの、美煉くらいだから」

「それは、そうかも。華煉と父さんなら冷めた目で見てきそうだし」

「美煉。あの二人を侮ったら駄目。冷たいどころか、ゴミを見るような目を向けてくるんだからね」

「そこまで酷い娘じゃないよ、わたし」


いつの間にか台所を訪れていた華煉が話に割り込んで来た。母は手から皿を落とし、ぎょっとした顔で華煉を見て叫んだ。

「華煉、いつから居たの!?」

「ママジョークのくだりから。流石に何か手伝わないと、と思って来たけど……ご飯できた?」

「できたよ! あと盛り付けだけ」

しゃもじを片手に私が言うと、華煉は「そう」と短く返して、手を洗い始めた。


「ご、ごめんね華煉」

あまりの衝撃に落としてしまった皿を拾い上げ、母が謝った。一連の流れを聞かれていたので、少々惑っている様子。

「別にいいよ。それに、ママジョークは嫌いじゃないから」

そう話す華煉の目は、私の想像していた冷めたものでも、母の言ったゴミを見るようなものでもなく、穏やかな色だった。表情も薄くはあるけれど、微笑んでいる。


華煉の反応が予想外だったようで、母は目を丸くしていた。しかし、それも一瞬のことで。

「そこは単純に、面白いとか、好きだよって言って欲しかったなー」

なんて、欲張りな事を呟いた。

だが華煉は、不満そうな母はそっちのけで食事の支度を進めている。相変わらず手際がいい。理由として摂食欲求も含め、軽い冗談に答える気は無い、という事だろう。


私は、その逆をいく人間だ。

「私、好きだよ。ママジョーク」

この言葉は嘘ではなく、私の率直な感想である。

「ふふ、ありがとう美煉。こういうのは、お世辞でも嬉しいものね」

母の機嫌が一層良くなったのが、表情を見れば理解できた。これが悪化すると、細かな事で説教を受ける羽目になる。

平和な日常を送るため、親の気分を乱さないようにするのも、私たち子供の仕事だろう。


……あくまで個人的な意見だけどね!



昼食を終え、私は華煉と二人で自室に戻って来た。二段ベッドに、横並びの学習机と椅子、クローゼットがそれぞれ二つずつ。置かれている家具はその三種類だけだ。

この部屋は綺麗好きな華煉によって、毎週日曜日に掃除がなされている。お陰で、私が平日にちゃっかり散らかしても、週末を迎えれば整理整頓されて元通りだ。


椅子につき、勉強を始める。今日は入学式の後に貰った課題のプリントに取り組まなければならない。なんて言ったって、提出期限は明日なのである。半日で十枚とは結構無茶振りな気がするけれど、学校側に文句は言えない。


暫く無言のまま勉強が続いていたが、遂に華煉が口を開いた。

「美煉」

「……うん?」

シャーペンを動かしていた手を止める。勉強中に華煉から話しかけてくるのは珍しい。

「今日の入学式で生徒会長が挨拶してたでしょう?」

「ああ、黒縁眼鏡の……」

「それは副会長。生徒会長はかけてないよ」

本日二度目の溜め息を吐く華煉に、私は首を捻る。

「あれえ……。でも、名前は佐々木……なんとか君だったよね?」

「名字は覚えてるのに他は曖昧なの?」

どういう記憶力してるの、と華煉が眉を顰めた。


だって、()()()()佐々木なんとか君は眼鏡をかけて――


一瞬、思考が停止する。また、だ。何か引っかかる。それだけは確かなのに、依然として思い出せない。


頭の突っ掛かりは一旦放置。私は華煉に対抗するべく、一つ尋ねた。

「それじゃあ、おねえちゃんは生徒会長の下の名前言える?」

「…………………………」

長き沈黙。否定はしないけど、覚えていない事は明確だった。


「……そ、そうだ。美煉、わたしの鏡知らない? 朝から見当たらなくて」

華煉の目が泳いでいる。挙動不審になりながらも、どうにか話題を逸らす選択をしたらしい。あからさまにも程があるだろう。

素直に知りませんと答えれば済むものを。意地っ張りめ、とつくづく思う。けれど、今回は私が折れる事にした。


「それなら……」

()()()()()()()()()()()()()()

六歳の誕生日に、華煉が母から貰った白いコンパクトミラー。中心は黒の大きなリボンで装飾されている。

それを服のポケットから当然のように取り出して、ふと気が付いた。


……どうして私が、おねえちゃんの鏡を持っているの?


違和感はそれだけではない。取り出した鏡にリボンは無く、白の塗料も剥がれていた――というより、表面が焦げていた、と表す方が正しいだろう。


そして、混乱しているのも私だけではない。目の前にいる華煉もだ。

「なんで……なんで、美煉が……それに、ボロボロになって……」

上手く言葉に出来ずに、彼女は青褪めた表情で鏡を見つめる。

……私だって分からない。当の本人でも何一つ。それ故、人形のように黙って座っておく事しかできなかった。


「……返して」

華煉の怒りじみた声音が響く。

「……わたしの、返して」

差し伸べられた手は、少し震えている。

「返してよ!」

久々に聞いた、怒鳴る声。久々に見た、激怒する姉。父との遣り取りがあった午前中も、ここまで不機嫌ではなかった。

本来であれば、素直に返していただろう。そもそも、華煉が怒りの感情を露にするなんて事は有り得なかった筈だ。


だが此処にいる私は、本来の私ではない。今この瞬間も、返却を迫られているにも拘わらず、心の中で『鏡を返してはいけない』と華煉に抵抗している自分がいた。


「返してってば!」

椅子から立ち上がり、華煉が鏡に手を伸ばしてくる。私も咄嗟に椅子を降りた。床で踏み込み、天井ギリギリまで跳躍。華煉とその真後ろの椅子を乗り越え、空中で素早く体を丸める。くるりと一回転し体勢を整えると、両足で安定した着地に成功した。

勿論、鏡は手に持って……と思いきや、いつの間にか宙に放たれていた。重力により、瞬きする内に床へ落下する。その衝撃で、鏡の蓋が開いた。


絶句しているのであろう華煉を余所に、私は鏡を拾い上げた。鏡自体に目立った外傷は無く、綺麗な状態が保たれているようだ。

「…………?」

円い鏡に映る、自分の顔ではない何かを凝視する。視界を埋め尽くす程に燃え上がる炎。それに侵食され、段々と崩壊する⬛︎⬛︎。悲痛な叫び声が、何処からか聞こえてくる。


知っている。この景色、この声音。


「美煉? 何を見て……」

心配そうな華煉の声こそが、契機だった。

「――あ」



記憶の雪崩(フラッシュバック)が私を襲う。


「――っ、あ――ああ――ぁ」


その場で崩れ落ちる。

頭痛、吐き気、更には眩暈。

記憶そのものが私の精神を蝕む。


――忘れたくて奥底に封じ込んできたのに、この期に及んで蘇って、呼吸するだけで死にそうになるなんて。


「――は――あぁ――っ、ぁ――」


見える世界が歪んでいく。

周囲のものは形を保てず、左右に曲がりくねる。

華煉の姿をこの目で捉えるのも、現状は難しい。


止まらない動悸。

全身に走る、痺れるような痛み。

今は耐えるのに精一杯で、体が動かない。


その苦痛に終止符を打ったのは――



バリンッ!


心臓が止まったのではないかと錯覚するくらいに大きな、崩壊の音だった。

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