張り込み
今日は夜勤の可能性がありつつも、午前中は普段通りの生活を送った。五時起床、からのランニング、その後は食堂で朝食作り。更に学校で午前のみ授業を受けて【白天】へ帰って来た。早めに昼食を摂り、数時間も仮眠すれば、集合時間の午後三時半である。
待ち合わせは【白天】の門前にと、朝食の時間に彩奈と美煉、私の三人で決めていた。その際に今日の作戦の確認も済ませてある。残すは現場調査だ。
身支度を整え、私が門前に来た頃には、彩奈と美煉が待っていた。何やら雑談で盛り上がっているらしい。二人は今回が初仕事になる筈だが、リラックスしている様子で緊張を感じさせない。
「あっ、水音ちゃん来た」
「やっほー」
此方に気付き、即座に手を振ってくれる二人。少々待たせてしまった事を謝るつもりだったけれど、その必要は無さそうだ。
「こんにちは。今日はよろしくね」
「うん、こちらこそ。戦いで役に立てるかは分からないけど、道案内は任せて」
私と美煉で握手を交わすと、彩奈が横から「頼りにしてるよ、みれー」と呟く。美煉は照れ臭そうに笑いながら、腕時計の依雲に呼びかけた。
【白天】を囲う広大な森を抜けるには、依雲の案内が必要不可欠となる。美煉の出番が回ってくるのは、その後だ。
森を抜けた先は、閑静な住宅街だった。今は光の無い外灯、建ち並ぶ家々、疎らな人通り。よく目にする景色のようでいて、本当は見知らぬ場所。周囲は身に覚えのない空気に包まれている。
「此処は埼玉県都市部のはずれにある、美煉さんの住まう街です。残りの案内は美煉さんにお任せします」
「了解!」
明るい返事と共に敬礼した美煉は、素早く先頭に回って歩き出した。私と彩奈も後に続く。
――歩いて十分程で小学校に到着した。私の通っていた小学校よりも一回り校舎が大きい。校庭には見た事のない遊具が幾つも設置されている。
なんだろうアレ、壁に石がくっついてる……クライミングか何か?
敷地面積も広い。児童の数が多いのだろう。
……と思ったが、人影が一切なかった。平日の午後四時に(児童はまだしも)教師すら不在とは考えにくい。悪魔の仕業というのも有り得る話だ。気になったので、玄関に入ったタイミングで美煉に訊いてみた。
「美煉ちゃん。人の姿が見えないけど、何かあった?」
「そう、今日は先生達の研究会で早帰りなの。だから、放課後に校庭で遊ぶのも禁止されてる。先生も他の小学校に行ってる筈だから、今は誰もいないかも」
研究会は私の学校でも何度かある。他校の先生方が授業の見学に来たり、美煉の話のように他校に赴いたり。どちらであれ、先生は忙しないイメージだ。
「……もし誰もいないなら、校舎の鍵が開いているのは変だね」
彩奈の言う事は尤もだった。何百人もの重要書類が保管されている学校は、ある意味、個人情報の宝庫だ。「忘れたんだと思うけどなあ」と美煉が呟いているが、防犯面を考慮すれば、施錠し忘れるなんて事はそう無いだろう。
……いや、それ以前に。
「美煉ちゃんはともかく、私と彩奈ちゃんは明らかに不法侵入じゃない?」
「それは大丈夫。織火様が学校に事前連絡して、許可証を貰って来てくださったから」
彩奈はそう言った後、そういえば忘れてた、と小声を洩らしつつ、許可証を渡してくれる。いま思い出したようだ。彩奈らしい。
聞いていなかった事にしておこう。
許可証は、名刺サイズの厚紙がラミネートされた簡素なものだ。ご丁寧にネックストラップとホルダーまで付いていた。
「よおし、これでやっと入れる、ね……」
準備万端! ……という事で、校舎に足を踏み入れようとした美煉がピタリと動かなくなった。言葉の続きも出てこない。
「どうしたの、みれー」
「……私たち、土足で入ってもいいのかなあって」
「え、四六時中履いてるんじゃ……」
私がそう呟くと、美煉と彩奈がぽかんと口を開けたまま、こちらを見てきた。
いつ戦いに転じるか分からない白天士は、睡眠時以外は指定された靴を履くように命じられている筈だ。その靴は天界製で、討伐の際に動きやすく、着地時の身体への負担軽減などの効果がある。
私はこれらについて大まかに説明したが、二人は初耳だと言い張った。しかも学校では上履きに履き替えているらしい。
嘘でしょ?
「それなら他の白天士は、水音ちゃんは学校でどうしてるの?」
「天術で洗浄してるよ」
「そんな天術あったっけ!?」
「まぁ……うん」
「ええっ、どんなの!?」
美煉の質問攻めに遭いながら彩奈に目を向けると、その場で呆然と立ち尽くしていた。二人が理解できるように、今度は靴の洗浄について簡単に教える事にする。
「私が使っているのは、天術の応用。水属性の回復スキル【癒雫】を靴にかけて、汚れを落としてるの」
「そんなこと出来るの!?」
これまでかと言う程、美煉は焦茶色の瞳を輝かせ、「すごい!」と何度も褒めてくれる。対して私は「いや、大袈裟だよ」と首を左右に振った。
この応用法は、靴が脱げないならどう対処しようと考えた時、ふと頭に浮かんだ、ただの思いつきである。賞賛されるような大層な事ではない。
「大袈裟じゃないよ」
彩奈が口を開いたのは突然だった。先程の硬直から打って変わり、真剣な眼差しを向けている。今度は私と美煉が固まってしまう。だが、彩奈は気にせず話し始めた。
「天術の応用は講義では習わない。それに、実践しているのもキンハぐらい優秀な白天士だけ。普通は討伐に備えて天力を節約しようとする訳だから、靴を洗おうと考える人は少ないと思う」
「で、でも……この前の初仕事の時、舞花ちゃんが新しい攻撃スキルを使っていたし、あれも応用の類いに入るよね?」
という私の意見は、呆気なく否定された。
「舞花ちゃんのは独流と大して変わらないけど、応用と比較すると前提から相違がある。言い換えるなら、独流は創造、応用は再構築――白天士としては後者の方が難しいのに、それを水音ちゃんは簡単に出来ている。だから大袈裟じゃなく、すごい事なんだよ」
「な……成程」
私は彩奈の話に何度も相槌を打つ。何がともあれ、理屈は分かった。美煉は理解が追いつかなかったらしく、ずっと首を捻っている。
そんな彼女を見兼ねてか、何の前触れもなく腕時計に依雲が現れた。
「つまり……スキルを新しく創り出す独流よりも、既に完成された天術を改良する応用の方が難易度が高い、という事です。分かりましたか、美煉さん?」
「う、うん! 何となくだけど……とにかく、応用は難しいんだね」
「はい。結論はそうなります」
解説を終え、依雲は腕時計からサッと消えた。行動が速い。
一通りは話が尽き、静寂と化したこの状況で、何を言うべきなのか。最適解を探している内に、黙って依雲の話に耳を傾けていた彩奈が、小さく頭を下げた。
「ごめん。勝手に色々、話して」
「それは全然……」
大丈夫だよ、と続ける筈が一転。彩奈が気恥ずかしそうに口を挟んだ。
「別に、水音ちゃんを悪く言うつもりは全くなかったんだけど……私の言い方、嫌味みたいだったでしょ」
だからごめん、と彩奈は更に謝罪を重ねる。
「もう、彩奈ってば心配しすぎ! そんなの水音ちゃんは気にしてないから、ね?」
美煉はそう言いながら、彩奈の背中を私の方に向けて押した。不安そうな瞳の色が変わり、彩奈は「うわっ」と声をあげる。私との距離が一気に縮まった。彩奈の緊張感に釣られつつ、私は言葉を紡いだ。
「えっと……美煉ちゃんの言う通り、そんな気にしてないよ。寧ろ勉強になったというか! ありがとう、彩奈ちゃん」
「ほーらね!」
美煉が自慢げに笑う。彩奈は私と美煉を見比べて目を白黒させながら一言、「そだね」と呟いた。
「……ていうか、彩奈って本当に天術に詳しいよね。一人で勉強してたの?」
「秘密」
彩奈が人差し指を口に当てる。
「えっ、なんで!?」
「んー……今は語るべき時ではないから、かな。真実はまだ、知らなくてもいいんだよ」
「何それぇ……」
意味が分からない、といった反応の美煉を見て、彩奈が楽しそうに笑っている。「あの探偵だね」と私が言うと、彩奈から「それそれー」との答えが返ってきた。予想は正解だったらしい。彼女も読書家なのだろう。
「あうぅ……気になるけど、お仕事が優先だよねぇ……」
「時間もあまり無いしね。二人とも、良かったら靴の洗浄しようか?」
「お願い。みれーもする?」
「するー!」
私は回復スキルで三人分の靴を洗った。これで気兼ねなく校舎を歩ける。再度、美煉が先導し、私たちは階段の踊り場に向かった。
「これだよ」
階段を上る最中、美煉が指差した先にあったのは、一面の大鏡。私の身長以上の縦幅で、想像より遥かに大きい。古いからか、いたる所に汚れがある。
現在、午後四時ちょうど。鏡の前に三人、横並びで立ってみたが、何も起こらない。
「あと四十分くらい見張りだね」
「暇……」
憂鬱な私と彩奈とは裏腹に、美煉は流行りの歌を口ずさみながら、腕時計を弄っていた。
「みれー、何してんの」
「えぇ〜、知りたい?」
「興味なかったら訊いてない」
「実はねー」
弾んだ声でそう話す美煉が腕時計の液晶画面をタップした瞬間、腕時計からビニール袋が飛び出した。あの膨らみからして、何か入っているようだ。
「ででーん!」と効果音を口にしながら、美煉が袋の中身を出してくれる。コンビニのあんぱんと、紙パックの牛乳だ。それぞれ人数分、きっちり揃っている。腕時計を弄っていたのは、これらを取り寄せるためだったようだ。
「やっぱり張り込みと言えばコレだよねぇ」
「……そうなの?」
「水音ちゃん、もしかして知らない?」
美煉と彩奈によると、あんぱんと牛乳の組み合わせは、刑事の張り込みの定番らしい。所謂“お約束”、というヤツだとも言われたが、テレビの無い家庭で育ったもので、そのあたりの知識には疎かった。
「じゃあ、パンを咥えた女の子が曲がり角で男の子にぶつかるのは知ってる?」と美煉に訊かれたけれど、全く分からず。様々なお約束に対して私が「知らない」と答え、二人が驚愕した顔になる、という謎の無限ループに突入していた。
驚いたのは私の方なのに、二人のリアクションに戸惑うばかりで。お約束で話が盛り上がり、あんぱんと牛乳で小腹を満たす内に、四十分はあっという間に過ぎていった。
次回更新は、諸事情により2月になります。
かなり期間が空いてしまいますが、ご理解いただけると幸いです。




