儀式の終わり
「あら、舞花じゃないの」
玄関扉を開け、母が私を出迎える。「おかえり」という世間一般の挨拶も、親愛も何一つ無い。昔からそうだった。両親も使用人も皆等しく延々と、貼り付けたような笑顔を浮かべている。心から私を想う人なんて最初から、第二の生を受けてから誰も――。
斎藤を倒してから今日で一週間。覚悟は決めてきた。だから再度、こうして実家にやって来たのに、緊張感は拭えない。隣に美里が居れば少しは落ち着いていられただろうけど、彼女を家庭事情に巻き込む訳にはいかなかった。元から一人で解決するつもりで単独行動を取っていたのだし、当然と言えばそうなのかもしれないが、やっぱり心細い。いつも本調子で過ごせたのは、紛れもなく美里のお蔭なのだ。
それに前回と違って、足を運んだのは一人だけれど、想いは四人ここに在る。私、沖田、斎藤、そして舞衣。あの戦いを契機に全ての真実を知り、全ての願いを聴き入れた。今より数百年前に彼らが切望した未来を、私が実現させる。
させてみせるんだ。
「行くわよ、舞花」
今度こそ、逃がさないから。悪意で濁った目がそんな風に語りかけてくる。色白な細腕が此方に伸びてくる。どうやら、あの座敷牢に連れて行くつもりらしい。母親を恐れていた以前の私なら、抵抗しなかっただろう。でも今日は恐怖も何もない。従順な自分は、とうの昔に捨てている。私は容赦なく、母の手を力一杯振り払った。
「っ……!?」
余裕げに微笑んでいた母が、初めて動揺を見せた。
しかし切り替えも早い。私が払った箇所が痛むらしく、手を押さえながらも睨んできた。少し攻め過ぎた。力の加減をした方が良かったかもしれない――そんな罪悪感が胸の奥で芽生える。不本意ではあったが、私は「ごめん」と一言謝った。そして続ける。
「今日は話をしに来たの。桜咲家で執り行われている、桜舞の儀式について」
「……なっ……」
母は二の句が継げないようで、その場で黙りこくった。何故それを、とでも言いたげな表情で私を睨み続けている。
無理もない話ではあった。私が知識として有しているのは【朧桜】の物語のみだと、母は思っていたのだろう。実際、私は斎藤の遺した『記録』を読むまで、桜舞の儀式に関して何も知らなかったのだから。
「……その話は何処で聞いたのかしら」
「…………」
私は黙秘を貫いた。
母を初めとする桜咲家の人達は、悪魔(たぶん斎藤)に神社の拝殿内で拘束されていた時の記憶がない。そのため、悪魔については秘匿するよう織火から事前に指示が出ていた。どうせ信じてもらえない、というのが彼女の見解である。……という訳で残念ながら、母の質問には答えられないのである。
「もう知られてしまった以上、敢えて言っておくけど、私なら貴女を儀式の生贄にすることもできるのよ?」
「……確かに、そうだね」
母の脅しに、私は端的に言葉を返す。分かりきった事だったが、現在も儀式は継続しているようだ。
今日は来て正解だったと思う。儀式が行われるのは一年に一度。斎藤の『記録』によれば、日付は五月三十日。江戸時代、儀式が始まった年から三年ごとに換算したところ、ちょうど今年は桜咲家の人間が生贄となる年に当たる。
今なら、まだ間に合う。桜舞の儀式を止められる。
「それを言うなら私だって、あなたを斬るくらい簡単だけど?」
腰に携えていた日本刀を鞘から引き抜く。それを見た母が目を瞠る。
「待ちなさい舞花、冗談はよして!」
「本気だよ。見れば分かるでしょう?」
私が手に持った日本刀は【朧桜】だ。脅しに使う予定はなかったのだけど、母が背中に包丁を仕込んでいると気付いた時点で平和的に解決できなさそうだったので、こればかりは仕方ない。桜咲家の現当主であり、儀式を執り行っている張本人であろう母ならば、この刀が本物だと分かっている筈だ。
「私は今後一切の、桜舞の儀式の取り止めを求めます。応じないならば問答無用で斬りますが、いかがなさいますか?」
わざと口調を変えて【朧桜】の刃先を向けると、母は素早く後退り、愚かにも地面に尻もちをついた。背後に隠し持っていた包丁が投げ出される。彼女は額に大粒の汗をかいたまま、こくこくと何度も頷いた。
「分かった……儀式はもう、やらないから……舞花も部屋に戻らなくていい、自由にしてくれていいから……許して……」
命乞いでもするように震えた声で懇願する。つい最近まで、私にとって最大の脅威だった母が、途端に弱々しい人に見えた。
元から刀を振るつもりはない、強行手段に出ただけだ。私は包丁を押収した上で【朧桜】を鞘に仕舞い、母に目を向ける。玄関と廊下の床の段差に凭れかかり、視線を動かさず静止している。いわば放心状態だった。
もう用は終わったのだ。此処を訪れるのは、恐らく今回が最後となる。後悔なんて微塵もない。
……本当は、話し合いで解決できなかったのが悔しいし、刀で脅迫したのも納得いかないのだけど。
玄関扉に手を掛ける。後は右にスライドさせて閉めるだけ――なのに手は動かなかった。
母に視線を移す。予想外にも、しっかり目が合ってしまった。
「……まだ何かあるの?」
それ以上は、何も言ってこなかった。言葉を探している訳でも待っている訳でもなくて、ただの独り言みたいに。
冷ややかな静寂が辺りを包む。何を言えばいいのか、答えが見つからない。とうとう、この何処か淋しい空気に居た堪れなくなり、私は小さく息を吸った。
「産んでくれてありがとう、お母さん」
咄嗟に口に出した、その言葉は在り来りな感謝の意だった。
親に愛情を注がれた覚えはない。素直に従わなければ包丁で切りつけられる。学校に行く以外の自由は許されない。後継者故に、厳しい教育をされてきた。
でも、生きてきて良かったと心から思う。だからこそ、せめて産んでくれた事への感謝はしたかった。この場に父もいたなら両親共々に伝えたけれど、もう二度と帰るつもりはないのだ。母に伝えられただけ良しとしよう。
今度こそ、玄関扉を閉める。ゆっくりと横に動かしていく。
「ありがとう。長生きしてね、舞花」
完全に締め切る直前。いつになく弱い柔い声が、私の耳に届いた。
扉は閉まる。
風は頬を撫で、桜の木々を揺らす。
時間は刻々と過ぎていく。
何もかも、静かに――
『ありがとう。長生きしてね、舞花』
冷厳さの欠片もない暖かな声を反芻する。あの言葉はきっと嘘じゃない、本音だった。
母はあの時、どんな想いで――
「はは……馬鹿みたい」
扉の前で無意識にそう零し、その場でしゃがみ込む。熱くなった目を擦った。
初めから愛の一つも無かったって分かってる。もう会わないと突き放したのは私自身だって分かってる。あのひとは桜舞の儀式を止めなかった悪いひとだって分かってる。
……けど、あのひとは私の母親だ。嫌でも私を育ててくれた。これから一度も会わなくても、血縁関係は断絶されない。繋がりは、何時も“ここ”に。
それ故なのかもしれない。あの母親の声を、もう一度聴きたいと思ってしまうのは。
生家の前で少しだけ泣いてしまった私の姿が誰にも見られていませんように、と切に願った。
第二幕はこれにて終幕となります。
今回は【白天】の裏側コーナーはありません。
次章より第三幕が開幕しますので、どうぞお楽しみに!




