変化と共に
お久しぶりの更新です。
今回は美里視点。
第二幕もいよいよ終盤!
最初から相変わらず重たい内容ですが、楽しんでいただけますように。
長い長い夢を見た。
それは、とても懐かしい話だった。
私がまだ小学校にも上がっていない頃。桜咲という名の由緒正しい家で、午前中のみ使用人として働く母は、我が家に帰宅して突然こう切り出した。
「実はね、美里に会ってほしい子がいるの。名前は桜咲舞花ちゃん。美里と同い年の女の子で、お家の事情で幼稚園に行ってないんだって。だから、色々と教えてあげてくれないかしら?」
祖母の横で大人しく絵を描いていた私は、それを聞いて「いいよ」とだけ返す。正直に言うと、その時は舞花に興味が無かった。友達がいない、独りで可哀想。そういった悲哀の感情だけが、私の胸の奥で渦巻く。
実際に彼女と出会うまでは、本当にそれだけだった。
日曜日。私は母と共に裏口から桜咲家にお邪魔した。鶯張り、という特殊な構造の床について聞いた後、舞花の部屋にやって来た。
初めてそれを見た時に無意識に出た感想は、きれい。本当にそれだけだった。真新しい鉄格子よりも目を引く、小さな女の子。苺の実に似た赤い髪。それよりも深い紅色の瞳。極めつけは人形のように真っ白な肌。この子が母の言っていた、桜咲舞花なのだと直感する。可愛いとも美しいとも言い難い彼女の中性的な容貌に、私はこの目で見た瞬間から惹かれていた。別に恋愛感情とかは一切ないのだけど。
「こんにちは」
鉄格子の間に浅く顔を埋めて挨拶する。不意に舞花と目が合って、ドキッと心臓が高鳴った。
「は、はじめまして。わたしは美里。不知火美里です」
ぎこちない私の自己紹介に、舞花は大人びた微笑みを浮かべた。
「はじめまして美里さん。私は桜咲舞花。貴女に会えた事、本当に嬉しいです」
……あれ?
違和感を覚えた。舞花は私と、同い年だと言っていた筈なのに。一瞬でも年上に見えた、なんて。おかしい。そんな訳ないのに。嘘だ。
私は混乱に陥りながら、母に不完全な檻の中へ入れられた。
舞花は良くできた子供だった。物心つく前から桜咲家の後継者と決められ、礼儀作法を、言葉遣いを、マナーを、全てを叩き込まれる。そんな地獄を生き抜いていた。その話を聞いたのは、もう少し後だったと思うが。
「美里さんは外から来たのでしょう? でしたら是非とも教えてください。この家を出た先には、何があるのですか?」
舞花は笑顔を貼り付けたまま、私に訊いてくる。それが怖かった。少し逃げたくなった気持ちだけは、嘘じゃなかっただろう。
舞花にとって、桜咲家は世界の全てであり、外の知識だけは赤ん坊に等しく未知だった。だから私が、それらを教える役目を担った。薄々気付いていたけれど、元から母もそれを狙って誘ったのだろう。私はその意図を汲んで、毎週日曜日に舞花と会った。
最初は何でも知ることから始まった。例えば私の通う幼稚園、本を貸し出せる図書館、食べ物や日用品が揃うスーパーマーケットといった施設。自動車、新幹線、飛行機などの速度も疎らな乗り物に、多種多様な生き物。新しい知識を学ぶ毎に、舞花の瞳は輝きを増した。図鑑を持っていくと更に喜び、いつも私の門限まで話し込んだ。
年長の秋からは小学校入学に向けて、母に買ってもらった市販のドリルに取り組むようになった。全問解き終わったら、お互いのドリルを交換して丸をつけ、間違えた問題を直す。この頃から私たちは既に小学生みたいな事をしていたが、今も変わらず学力はそこそこ。ちょっと優秀かな、くらいの微妙な感じ。けれども、この時の地道な努力は報われたのではないだろうか。
舞花と出会って一年半後。筆記試験と面接を共に乗り越え、私たちは二人同じ私立小学校に入学した。桜咲家が今後も私と舞花の関わりを断絶しないと決めたことで、私は強制的に受験をさせられたが、何とか合格できた。
入学式の日。生まれて初めて外に出た舞花は、胸を踊らせながら言った。
「私が想像していたよりも、この世界はずっと広かったんだね。美里さんは生まれ落ちた日から、この秀麗な景色をずっと見てきたんだね」
羨ましいなぁ。
本心から来ているらしい言葉。
いつかの恐怖を感じさせない笑顔。
彼女なりの柔らかい口調。
全部全部、頭に響いていく。
ほんの一年ちょっと、関わっただけ。なのに人というのは、こうも劇的に変化する。そう実感させられた。
「美里って呼んで。前から思ってたの。私は呼び捨てなのに、舞花は『さん』を付けるの、平等じゃないなって」
「な、なるほど……確かにその通りかも」
舞花は突然の提案に動揺を見せると、何やら考え込んで私と視線を合わせた。目の前に小さな手が差し伸べられる。
「改めて、よろしく美里」
「こちらこそ。よろしくね舞花」
私が舞花の手を握る。これが友達としての一歩を踏み出せた瞬間だった。
いつの間にか小学校四年生。桜咲家の計らいで、私と舞花は四年連続同じクラスだった。あと一ヶ月で五年生に進級だが、来年もまた同じクラスになるのだろうか。そんな風に思いを巡らせていると、口調も同年代らしく変わった舞花は、学校での昼休み中、遂にこう言い出した。
「あの家から出たい」
『あの家』という単語が桜咲家を指しているのは、彼女の態度からして明確だった。自分のいる環境と他の子の環境の相違を知ってしまえば、いつかは家出を目論むくらい、私の思考の範疇にあったけれど、涙目で訴えられるなんて想定外だ。何と返せばいいのか分からない。
「家を出た後はどうするの」
結局、最も気になっていた疑問を口にする。
「……さあ、ね。何処かで保護してもらえるかもしれないし、ずっと一人かもしれない。それでも私は、あの地獄から抜け出したいんだよ」
「それは……っ」
喉まで来て言葉が詰まる。そんなの、家から出られるなら死んでもいいと、遠回しに言っているようなものだ。
舞花が家に居て苦しい理由は分かる。けれど、そうまでして出ようとする心情は完全には理解できなかった。私は週一で通うだけの人間だ。私がいない時に舞花は何をしていて、使用人や親に何をされているのか知らない。自分のプライベートを彼女は話そうとしなかったから。私が聞こうともしなかったから。お互いに、触れたくなかったから。いくら親友とも呼べる存在になったとはいえ、相手の家庭事情に踏み込むのは相応の勇気がいる。
私は舞花の家出の話に反対できなかった。かと言って、頷いた訳でもない。私が首を振る権利は、縦にも横にも無いだろうから。
その日の帰り道、突如転機は訪れた。普段通り二人でお喋りに花を咲かせていると、道路の真ん中に蹲る黒い何かがいた。どす黒い着ぐるみのようなものを纏い、角やら尖った尻尾やら人間には無いものが生えている。視界に入れるだけで、おぞましい恐怖と吐き気が襲う。
逃げよう。その四文字すら言葉にならずに、私は舞花の顔を見た。何故か怖がってはいなかった。茫然と目の前の怪物を眺め、少し興味を唆られているのか目を丸くしている。人とはズレた感性だが、彼女らしいといえばそうだ。
暗黒の怪物は私たちを襲わなかった。その代わりに男の人を見つけては、鋭利な爪を光らせ振り回す。悲惨なまでに飛び散る赤、紅、朱。それらが帰路を塗り潰していく。嗅いだことの無い異臭が辺りに充満する。どれも私たちには刺激が強過ぎた。吐き気も絶頂に達し、二人して思わず目と口と鼻を塞いた瞬間だった。
ザシュッ!
気持ち悪い空気を切り裂く音がした。日本刀の纏う猛火が揺らめいて黒を燃やす。その様は、とても奇麗だった。断末魔と共に闇は晴れ、息がしやすくなったと思ったところに、彼女は走って来た。
「大丈夫か!」
正真正銘の、炎の救世主。突然の出来事に疲弊した私たちを見て、彼女は優しく頭を撫でてくれた。
「……ごめん、もっと早く来れば良かった。よく耐えたな。あいつは倒したから、もう安心して。大声で泣いたって構わない。私が許容する」
謝らなくてもいいのに。そう思いながらも、涙が静かに頬を伝う。まるで母親のように私たちの心を包み込む彼女のあたたかさに、今は甘えていたい。横ですすり泣く舞花も、きっと同じ。大声で泣き叫ぶような事は流石にしなかったけれど、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられた感情の収集が着くまでは、涙が止まらなかった。
それが家出を決断した全てのキッカケ。私たちが泣き止んだ後、織火と名乗った救世主は悪魔について教えてくれた。
夕方に出没するそれは男性のみを襲い、悪魔へ変貌させるらしい。女性を狙わないのは、力の強さが主な理由なんだとか。だから私たちは奇跡的に襲われずに済んだ。見てはいけないものを見てしまった訳だが、それは変えようのない事。これが現実だから、と受け止める以外に為す術はないのだ。
そこまで織火の話を聞いた舞花は、深紅の瞳で彼女を見据えて尋ねた。
「あの……織火さんは悪魔を倒す仕事をしていらっしゃるんですよね」
「ああ。そうだけど」
「私にも、できますか?」
舞花の問いかけに、織火は一瞬目を見開いて視線を余所に向ける。どこか遠くを見ている真剣な瞳は、かっこいい。そんな印象を持つ。こんな人が女子高生なんて、俄には信じ難い話だ。
「多くの命、大々的に言えば世界の命運が懸かっている中で、悪と真摯に向き合い戦う。それが悪魔討伐に関わる、という事だ。相応の覚悟と強靭な精神が無ければ、この先、目に映るものは総じて地獄。それで仕事を辞めた奴らを沢山見てきた。君はどう? それ位の心持ちでいるのか?」
かけられる重圧に息を呑む。舞花も無言で織火を見つめている。
人々の為、世界の為に戦う救世主は、表向きだと皆に注目される憧れの存在、という輝かしいイメージがどうしても付き纏う。実際、内情が真っ黒だったにしろ、外側は変わらない。白天士も同様に、興味や好奇心でなっていいものではないのだろう。先程のような惨劇を繰り返し見る心の余裕は、私にも舞花にも無い。
「気分を害したのなら謝るよ、ごめん。普段はこうまで、とやかく言わないんだけど……君らには帰る場所が有るだろ? 変わらず日常を送れている人の幸福をぶち壊すのも嫌だし。何より、もう帰って来れなくなるかもしれないからさ」
織火の言葉からは、一度踏み込んだら泥沼に足を掬われて出られない、といった闇深さが垣間見える。白天士になるという事はそういう事だと、強調されているようにも思う。
私には無理だ。悪魔の姿を思い返すだけで吐き気を催す私では、対抗できる力と武器があっても関係ない。全速力で逃げ出すか、無抵抗のまま殺されるか、どちらかの結果に陥る自信がある。
やめよう。断って、帰ろうよ。
そう声をかけようと息を吸った時だった。
「覚悟なら充分あります」
強い口調で舞花が宣言した。吸い込んだ空気は言葉を紡ぐ前に口から流れ出る。喉に痺れるような感覚があった。最初に、どうして、と疑問が浮かぶ。次に、なんで。また、どうして。脳内で二つが無限ループする。
「ち、ちょっと待って! まさかとは思うけど、家出ついでに、とか都合のいい事考えたりしてないよね」
「……そんな中途半端な考えな訳ないでしょ。心配なのは痛いほど分かるよ。でも、ごめんね美里。今回だけは譲れないから」
……あれ?
まただ。舞花の態度に違和感を覚えたのは、これで二度目になる。私の方を見てくれている筈なのに合わない視線に、妙な胸騒ぎがする。
以前まで、舞花は私がいなければどうしようもない子供だった。私の決めた事は、舞花の決めた事と同じ。いつも一緒に進んで来た。
けれど、今は違う。私が舞花の決断に引っ張られそうになっている。彼女と離れる事を、一生の別れになるかもしれない事を、本気で恐れて。
家出も悪魔討伐も、するつもりは一切なかった私が、“舞花と一緒にいる”為だけに【白天】へ行くと決めた。気付かぬ内に、私は舞花に執着していたのだろう。傍に居てあげないといけない。そういう風に使命のように、無意識に心の中に留めて。この子には私が居ないと駄目だ。そういう風に自覚も無いまま、舞花を下に見て。
酷いなぁ、と思う。
最低だなぁ、と思う。
でも、無理なんだろうな。
私自身も、もうどうしようもなくなってしまっているから―――。




