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シロクロイロ  作者: 双葉ゆず
第二幕 呪われた街
29/60

遺された秘刀



沖田は花が咲く瞬間のように、ゆっくりと目を開ける。視界が曇っていて見えにくい。

「沖田さま」

舞衣が声をかけて、沖田の顔を覗き込む。寝起きだからか、まだ焦点が定まらず、何処か遠くを見つめているような目をしていた。

「ケホッ……舞衣様、でしょうか」

「はい。お目覚めになられたようで安心いたしました」


沖田が上半身を起こして伸びをする。後ろを振り返ると障子は開いたままで、真昼の太陽が縁側を照らしていた。


「おはようございます、沖田さま。ただ今、お茶を淹れてきたのですが、飲まれますか?」

「いただきます」

お茶を飲み干すと、沖田は乾いた咳をすると

同時にお腹を鳴らし、無言で空腹を訴えた。一瞬で顔が真っ赤になる。

「すみませ……ゴホッゴホッ」

昨夜と同じ咳に戻った。舞衣はそう思いながら、「大丈夫ですよ。お食事、お持ちしますね」と一言伝え、部屋を出た。



数分で舞衣は食事を手に戻って来た。彼女の背後には白衣を着た男がいる。寝不足のようで、目元に薄く隈ができていた。

彼こそが舞衣の父親。ここ桜咲医院の院長であり、桜咲家の主である。

「沖田様。体調の方はいかがでしょうか?」

「まだ咳が出ている状況で……ゲホッ、昨晩ほどではございません」

家主は沖田の様子を見つめ、小さく頷いた。

「左様でございますか。それでは、お食事の後から診察をいたしましょう」

沖田は家主の言葉に頷いた。


舞衣から料理が乗ったお盆を受け取り、膝の上に置く。これは沖田にとって、朝食をぶっ飛ばしての昼食。お昼は昨日の粥に代わり、鰹だしのきいた、温かいきつねうどんだ。

「いただきます!」

そう挨拶して、沖田は箸を手に取り、麺を吸い上げた。しっかり噛んで飲み込んだら、油揚げを齧る。更に出汁を飲み、はあ、と感嘆の息を洩らした。


「とても美味しいです! ゲホッゲホッ……咳を我慢してしまうくらいに! 何と表せば良いのか分かりませんが……ゴホッ」

あまりの美味しさに、沖田の目は一番星の如く煌めいている。病人とは思えない。


「沖田さまに喜んでいただけて感無量です」

舞衣が嬉しそうに頬を桃色に染める。

「……もしかして、舞衣様がお作りに?」

「はい。今朝、お母さまに教わりました」

沖田の目が一層輝きを増した。

「素晴らしいです、舞衣様! 私、この味が癖になってしまって、是非またいただいてもよろし……ゲホッゲホッ、ゴホッ」

咳が立て続けに出る。熱弁している間も咳に耐えていたらしい。家主が思わず沖田に近づくと、沖田は右手を出して止めた。

人の助けは、どうしてもの時以外は必要としない。それが沖田総司という男である。


やっと落ち着いてきて、水を二口ほど飲み、沖田はコホン、と咳払いをした。

「……大変ご迷惑をおかけしました」

家主と舞衣にそう謝り、布団の上で正座をして、頭を下げ始めた。

「いえ、大丈夫ですよ! またお作りいたしますね」

舞衣の言葉に頷くと、沖田はうどんを啜り出した。麺を食べ、具を齧り、出汁を飲む、を繰り返して、あっという間に器の中身が空になった。


「ごちそうさまでした!」

「それでは、診察を始めてもよろしいですか?」

家主が横に置いていた木箱を膝に乗せる。中には診察器具が幾つも入っている。

「ゲホッ……はい。お願いします」

沖田の診察が始まった。


診察を続ける内に、家主の顔は少しずつ暗くなっていった。それを舞衣が不安そうに見つめている。沖田は素直に家主の指示を聞き入れ、口を開けたり着物を脱いだりした。

家主は器具を箱に収めると、沖田に向き直った。重い口を開き、診断結果を告げる。


「沖田様、正直に申し上げます。貴方は労咳(ろうがい)の可能性が高いです」



労咳。未だ治療法が確立しておらず、不治の病とも呼ばれる感染症。どれだけ運が良くても、余命は半年ほどとされている。

その病気に、沖田は罹った。


「……そうですか。ゲホッ……私はもう、長くはないのですね」

沖田の呟きに、家主が顔を伏せる。両親の厳しい教育を受けた舞衣ですら、唖然とした表情を隠せなかった。


「桜咲様がお気になさる事ではございません。ただ私が、病弱であるが故の結果ですから。ゴホッゴホッ……ご自身を無能だとか、医師として情けないだとか、そのような事を考えている時間があるのでしたら、私の看病を続けて欲しいのです。ゲホッ……人間である以上、一秒でも長く生きていたいと思うのは当然でしょう?」


家主が顔を上げる。沖田はゆっくりと微笑んで、話を続けた。


「ゴホッゴホッ……今の戦いが終わって一息つけば、仲間が迎えに来ると思います。それまでの短い間で構いません。ゴホッ……私のことを、見ていてくださいませんか。此処にいるのが、とても好きなのです」


「……それでしたら」

舞衣が身を乗り出して発言する。彼女がここまで積極的なのは珍しいことだった。

「沖田さまが【朧桜】を振るうお姿を、拝見したく存じます」

沖田が目を見開く。そんな要望を舞衣にされるとは思ってもみなかった、というような表情だった。


「舞衣! 沖田様の今の状態を見なさい」

家主に言われ、舞衣は気付いた。自分がとんでもない無茶振りをしていることに。

「すみません! これは単なる、私の我儘で……」

そう言い訳をする舞衣だったが、沖田は首を振った。何度か咳をして、口を開く。

「いいえ、良いのです。私の得意技、舞衣様にお見せいたしましょう」

「ですが……」

「桜咲様。まだ元気な今お見せした方が良いでしょうし……ゲホッ、これもまた、舞衣様ではなく私の我儘なのです」

沖田にそう諭されると、家主はそれ以上反論する気にはなれなかった。



換気のために開けていた障子から縁側に出る。沖田は縁側を降りて庭の広い所にいどうし、【朧桜】を鞘から引き抜いた。日光が桜色の刀身を反射して、ここまでかという程に煌めいている。

すぐ側で沖田を見ているのは、桜咲家の親子三人である。他の患者も障子を開けて、何があるのだろうと胸を弾ませながら、庭を眺めていた。


「舞衣様」

刀を構えた状態で、沖田は舞衣に声をかける。真剣な眼差しを向けられた彼女は、自身の父からの注意に反して、沖田の方へ歩み寄った。


沖田の技を見てほしいからと妻を呼びに行く時、家主は舞衣に小声で忠告していた。

「労咳が感染症である以上、舞衣にも伝染る。今となってはもう遅いかもしれないし、発症するかどうかは運次第だから何とも言えないが、できる限り沖田様との接触を控えなさい。私たちが罹ってしまえば、他の患者にまで広がってしまう」


舞衣は分かっていた。父が自分のことを心配して、患者のことを思って、言ってくれていたのだと。

それでも逆らった。今まで両親の指示を聞き動いてきた舞衣が、自分の意思で歩いた。


「……舞衣」

家主が一歩踏み出すと、妻が肩を掴んで静止させる。家主は即座に振り向いて妻に訴えたが、妻は首を横に振るだけだった。


一方で、沖田と舞衣は向き合い、真剣に話をしていた。

「貴女に一つ、お願いがあります。ゲホッ……聞いていただけませんか?」

舞衣が息を呑むと同時に頷く。彼女の同意を目で確認し、沖田は告げる。

「私の三段突きを、継承してほしいのです」

驚愕の一言だった。


「……何故、私が」

「舞衣様は、並外れた記憶力をお持ちでいらっしゃるでしょう?」

舞衣はまた、沖田に驚かされた。確かに記憶するのは得意だった。一度見たものは、脳に焼き付くように残っている。でも、それだけではない。

「それに……ゲホッ、演じることも得意としていらっしゃるように感じます」

母の丁寧な動作、父の小難しい仕事の数々。それら全てを覚え、完璧に演じるーー真似できるのは、この世界でたった一人。舞衣だけだろう。


「……流石は新撰組の沖田さまですね」

舞衣はそう呟く。自分の両親ですら知らないことを、沖田に見抜かれた。その驚きを隠すように、目を伏せる。

「そのお話、受けさせていただきます。貴方さまの素晴らしい剣技を、後世に伝えていきたいと存じます」

真っ直ぐな彼女の答えに、沖田は目を輝かせながら言う。

「心より、感謝申し上げます」



沖田の見せる三段突きは圧巻だった。

なんとか目で追える速さの突き技。

無駄のない洗練された動き。

舞衣はその目でしっかりと捉え、記憶する。

約束した三段突きの継承を果たすために。

庭では多くの拍手が飛び交った。


見事な剣技を披露し終えた沖田は、その場でしゃがみ込んでしまった。暫くの間は咳が止まらず、ついにはへたり込み、家主に部屋の中へと運ばれた。


家主に背負われてもなお、苦しげな沖田の背中を見届けて、舞衣は地面に落ちた【朧桜】を手に取る。日本刀を持ったのは、彼女にとって初めてだった。ずっしりと重みがあり、沖田はこんなものを軽々と振っていたのだと改めて感心する。

舞衣にも、それなりに筋力はあった。院内で物を運ぶのは彼女の習慣であり、日々の運動である。やろうと思えば、この刀も振れるかもしれない。


試しに刀を構えてみた。柄の部分をしっかり握って、沖田の三段突きを思い浮かべる。右手を伸ばし、一段。続けて二段……

「……うっ」

呻き声が出る。既に腕の限界が来ていた。これ以上突くと、仕事に支障を来してしまう。

その日はこれで終わってしまった。



翌日から、舞衣の特訓が始まった。仕事をある程度終えて、沖田の部屋に入る。彼は布団に横になっていた。やはり咳は収まっていないようだ。

「失礼いたします」

「ゴホッゴホッ……こんにちは、舞衣様。どうぞお入りください」

舞衣は沖田に会釈し、【朧桜】に目をやる。三段突きは、まだ形にもなっていない。


そんな舞衣の様子を見た沖田が提案する。

「【朧桜】でしたら、使っていただいて構いませんよ。ゲホッ……私は此処で見ていますから」

「……ありがとうございます」

沖田に三段突きを見てもらえる。胸を弾ませながら、舞衣は床の間に置かれた【朧桜】を持って、障子から庭に出る。

昨日よりも意気込んで、刀を振った。


それからの毎日は、冬の北風のように瞬く間に過ぎる。

舞衣は仕事終わりに沖田の部屋へ通い、とにかく【朧桜】を振った。

沖田は舞衣の姿を見て改善点を言ったり、とにかく布団で寝まくった。

家主と妻は舞衣の様子を見守りながら、とにかく医院の仕事に尽くした。

とにかく頑張った、そんな一ヶ月。

この生活は、途端に終わる。



沖田の病状が日に日に悪化していく中、新撰組の剣士たちが桜咲医院を訪れた。真夜中であるため、いつも通り妻が表に出た。見覚えのある顔ぶればかりだ。

「新撰組の皆様。今宵はどのようなご用件でしょうか?」

「実は……」

代表として、斎藤が口を開く。家主と手紙を通じて相談し、沖田を江戸で治療させることに決めたのだと話した。

玄関には出ず、曲がり角に隠れて話を聞いていた舞衣は、思わず言ってしまった。

「何故ですか」と。


剣士たちの視線が舞衣に集中する。妻は彼女に駆け寄って耳打ちした。

「落ち着きなさい、舞衣。今は静かに」

人差し指を唇に当てられ、舞衣はようやく正気に戻ったような気がした。

「失礼いたしました。お話の続きを……」

「いえ。舞衣様も詳細を知りたいようですので、中でお話しいたしませんか?」

斎藤の提案は、あっさり通った。


舞衣、妻、斎藤の三人は、応接間に入った。椅子に腰掛け、沖田についての話をする。


沖田が桜咲家に預けられてから一週間後、新撰組に家主からの手紙が届いた。沖田が労咳に罹っている可能性が高いこと、彼の病状が悪化していること等の報告と、今後はどうすればいいのか、という質問が書かれていた。

そこから新撰組と家主の文通が始まり、紙上で話し合いを重ねた。結果、沖田の故郷であり、薬も豊富な江戸で治療を受けさせる決断を下した。


「納得していただけましたか?」

舞衣はゆっくりと頷く。何だか生きた心地がしなかった。

「流石に今夜中に連れ出すのは色々な意味で厳しいでしょうから、また明日、此処を訪ねます。旦那様にもそうお伝えください」

「かしこまりました」

妻が深々と頭を下げる。斎藤は言うだけ言って桜咲家を後にした。



翌朝。舞衣は沖田に昨夜の話を伝えた。

「そうなのですか。斎藤さんにまた会えるのが楽しみです」

いつも前向きな彼ならば、こう言ってくれるだろう。舞衣はそう信じていた。しかし、彼女の思う反応をしてはくれなかった。


「……今夜、ですか。ゴホッ……思っていたよりも早いお迎えなのですね」

沖田はいつにも増して沈んだ表情を見せた。どこか寂しそうな、名残惜しいとでも言うような。

舞衣は何も言わずに部屋を出た。沖田に呼び止められたような気がしたけれど、今は聞く気になれない。

それ以降、沖田と舞衣は顔を合わせず、この日はそのまま夜を迎えた。



星が煌めく夜。斎藤率いる新撰組の一味が桜咲家に上がって来た。妻の案内を受けて、沖田の部屋に入ると、中には布団から体を起こした沖田と家主がいる。家主は相変わらず寝不足だが、今日は特別だからと起きてきていた。


「失礼します、桜咲様。沖田さんのお迎えに上がりました」

「こんばんは。斎藤様と、他新撰組の皆様。お勤め、ご苦労さまです」

「そういえば……舞衣様はどちらに?」


縁側の死角になる所で聞き耳を立てていた舞衣は、斎藤の問いにビクリと肩を震わせる。今日はお客様が多いから自分の部屋にいなさい、と父に言われていたのに、抜け出しているのが分かってしまえばどうなるかなんて、知れたことだ。舞衣は体を縮め、先程よりも静かに息をした。


すると、沖田が突然立ち上がった。おぼつかない足取りで障子から縁側に歩いて行き、ある場所でしゃがむ。

舞衣の視界が暗くなった。

「見つけましたよ、舞衣様」

月明かりに照らされた沖田の笑顔は、舞衣の感情を揺らがせる。目頭が熱くなったと感じる前に、彼女の目からは涙が零れていた。


「……ごめんなさいっ……」

両親の前ですら、舞衣は泣いた事が無かった。今までも、これからも、寂しさや苦しさとは無縁なままで、涙なんて一滴も出さないはずだった。

「強がる必要はありません。幼子の内は、いくらでも泣いてしまって良いのです」

沖田は舞衣の頭を優しく撫でた。咳をしながらも、元気に振る舞っている。


「ゲホッゲホッ……大丈夫です。貴女は本当によく頑張りました。これで安心して【朧桜】を託せます」

この一言で、舞衣は悟ってしまった。

沖田はもう、桜咲家には来てくれない。新撰組の話もしてくれない。刀の振り方も教えてくれない。

今この瞬間が、本当の最後だ。


「沖田さん、そろそろ行きますよ」

開けた障子から斎藤が顔を出す。沖田が「はい」と短く返事をし、その場を離れようとすると、舞衣は衝動的に沖田の着物を掴んだ。

彼女にとって、沖田は家族でも、友達でも、何でもない他人だ。偶然知り合って、今の関係が作られただけの事。


それでも。

「沖田さま」

彼の死期が分かっていても。

「またお会いできる日を、心から楽しみにしております」

舞衣は再会を願ってしまう。

「はい」

沖田こそ、自身の体を一番知っているはずだろう。それでも肯定してくれるならば、信じてもいいだろうか。

「……お待ちしてますね」

涙を拭い、舞衣は沖田に微笑みかけた。

「ええ。舞衣様、どうかお元気で」

沖田も微笑みを返し、彼女に背中を見せる。


部屋を、廊下を、玄関を。もう見慣れてしまっていた場所を通り過ぎ、沖田は斎藤を初めとする新撰組の剣士たちと共に、江戸へと向かって行った。

舞衣も沖田も、お互いに最後まで別れの言葉を言うことはなく、また朝を迎えた。

【朧桜】は床の間に遺され、舞衣がそれに触れる権利を引き継いだのだった。

次回、昔話最終回です。

30部分目を記念した《白天の裏側》コーナーもございますので、お楽しみに!

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