水龍と作戦決行
鶯張り。
江戸時代末期、建物の床に使われていたとされる特殊な技術。それが施された床を踏むと『キュッキュッ』というような音が鳴り、敵などの侵入にいち早く気付くことができる優れものだ。
現在は城などの床に形としては遺っているが、技術そのものは無く、どこかで途絶えてしまったらしい。
「何でそれを、美里が知ってるの?」
美里が俯く。理由を言う気はないようだ。
舞花が疑問に思うのも不思議ではなかった。美里はこれまで善良の木陰路を通り、舞花に会いに来ていたと話していた。これが正しければ、舞花の部屋以外は出入りしていないはずだ。
しかし、今はそれどころではないのである。
「二人とも、今は悪魔の討伐を優先して行動しよう。あの裏口の廊下が通れないのなら、別のルートがないか考えないと始まらないよ」
「……そうだね」
舞花がそう言うと、美里も頷いた。決まりである。
「正直、安全に通れる場所は他にないと思う。正面から行ってもいいけど、うちの人間に見つかるのは、ほぼ確実だよ」
「それなら、移動スキルを使えばいいんじゃない? 私の【炎陣】と舞花の【花傘】は天井にぶつかるから厳しいけど、水音ちゃんの【水龍】なら、低空飛行もできる……はず」
二人が一斉に私を見た。期待するような視線を感じる。
「水音ちゃん、できそう?」
美里の問いに、私は脳内で水龍の姿を想像した。移動が終わった後に頭を撫でてあげると、嬉しそうにしているのが目に浮かぶ。あの反応をする龍はとても愛らしい。
「……あの子は指示すれば聞いてくれるから、きっと大丈夫」
「じゃあ、この作戦でいこう」
私たちは再度、桜咲家に向かった。
先程と同じように、裏口から忍者の如く、静かに侵入する。長い廊下には誰もいない。
トン、と舞花に肩を叩かれた。出番である。
「水移動・【水龍】」
声量を最小限にとどめ、スキル名を唱える。それに合わせて、水龍は水の音を立てることなく現れた。こうまで体が大きいと、廊下を通るには少し窮屈かもしれない。
「壁や天井にぶつからないように、気を付けて飛んでね。それから、少しでも人の気配を感じたら止まること。頼んだよ」
小声で指示を出す。龍は一度だけ瞬きをして、三人が乗れる大きさに変化した。
私は親指を立てて合図する。二人は小さく頷いた。大丈夫、なんとか通じてる。
舞花と美里が乗ってから、私も龍の頭の近くに跨る。此処にいると、何だか落ち着く。
優しめに頭を叩くと、龍は無音のまま飛び出した。想像以上に音が小さい。これならば、桜咲家にもバレにくいだろう。
龍は案外、慎重に家の中を回ってくれた。本当は、鶯張りの廊下を抜けたら役目を終えてもらうつもりだったけれど、私より気配に敏感なようだし、天力は余裕があるから継続することにした。
「ね~、水音ちゃん」
私の後ろに座っている美里が囁く。
「ここまで誰とも遭遇しないなんて、さすがに不自然だと思わない……?」
「……そういえば」
なんとなく思ってはいたけど、やっぱりそうだ。家中を探しても、人が見当たらない。これは明らかにおかしい。
「舞花、何か知らない……」
美里はそう言いながら、舞花に訊こうと振り返る。ふと静かになった気がして、私も後ろを見た。
其処に、龍の背中に乗っていたはずの舞花の姿はなかった。
「舞花……?」
美里が呟く。私は急いで龍の頭を叩き、無理やり止めさせた。緊急事態である。
「依雲ちゃん!」
腕時計に声をかけても無駄だった。敵の攻撃なのか、通信が阻害されている。
「君は……気付かなかったの?」
肯定するように、龍が目を閉じた。私も美里も水龍ですら、舞花が消えたことに今の今まで分からなかった。
ここで浮上する可能性は一つ。
舞花は悪魔に攫われたかもしれない。
桜咲家の人間の可能性もあるけれど、ここまで完璧に気配を消せるとは思えない。ただ、悪魔特有の重い空気を一切感じなかったので、全くないとも言い切れない。難しいところではある。
「ごめんなさい。私、舞花のすぐ傍にいたのに……気付けなかった」
「美里ちゃんは悪くないよ。私もこの子も分からなかったんだから」
今にも泣きそうな美里を宥め、私は考える。
さて、どうしたものか。
【白天】との通信ができないのは勿論、舞花とも連絡が取れない。しかも、未だに悪魔の情報も掴めていない。
今更だけど、まだ何も進んでいないことが分かってしまった。
そんな時だった。
「……熱い」
弱々しい声で美里が言う。龍の体が熱を帯びている。ついに来た。
移動スキル【水龍】には、敵を見つけたら龍が熱を出すという特殊な危険信号がある。
つまり、敵がいる!
「美里ちゃん、スキル解除するよ!」
龍の危険信号を認識してすぐ、スキルの解除と共に武器を手に取る。スキルは二つ同時に使用できないルールがあるから、これは仕方のないことだった。
美里も武器を構える。混乱の中で焦っているようだが、動きはバッチリだ。
「退って、水音ちゃん。私が前で攻撃するから」
「うん。後衛は任せて」
美里が頷く。彼女の武器は剣だった。どちらかといえば近距離の戦闘に向いているため、自ら前で戦うことを選んだ。
それに対して、私は弓矢。遠距離の戦闘に持ってこいの武器である。
美里の提案は私たちによく合っていた。いい判断だったと思う。それが今、証明される。
一気に重い空気が立ち込める。曲がり角から下級悪魔が出てきた。ぞわりと怖気が走る。
美里は即座に反応し、怯むことなく輝く刀身を悪魔に向ける。
「火剣攻撃・【火花散り】!」
刀の先が、炎がつく時のように突然光る。
ズバッ!
美里は上下左右に剣を振り、悪魔のいたるところに斬撃を喰らわせる。それも一度ではなく、幾度にわたって。そうすることで、悪魔が攻撃する隙を無くしているのだ。
彼女が戦う様子は、まるで火花が散るかのよう。
攻撃を終え、美里が素早く後退する。ふう、と息を吐いて、私と視線を合わせた。
「今だよ」
悪魔の様子をちらりと見た。斬撃を受けて、体がボロボロだ。床に転がっているが、何とか立ち上がろうともがいている。あれだけ攻撃しても、完全に倒せた訳ではないらしい。
「トドメを刺して、水音ちゃん」
「了解」
短く返事をし、弓矢を構える。
大丈夫、深呼吸して。弓に矢を番え、限界まで引いていく。必要な分だけ天力を流し込み、放出の準備に取りかかる。
……いける。
目指すは悪魔の胸。届け、私の矢。
私は矢から手を離す。
「水弓攻撃・【水平線】!」
シュパッ!
気持ちのいい音が鳴る。真っ直ぐな廊下に沿って、矢は水色の光を纏った状態で悪魔の方へ飛んでいく。それは名の通り水平線のようでいて、一筋の閃光のようだった。
「ぐはっ……」
矢が刺さった瞬間、悪魔の着ぐるみは灰のように崩れて消えていく。其処に残ったのは、着物姿の男性の遺体のみであった。




