プロローグ1
◆
─────深夜。
人気の無い広大な森の奥。
冷たい風が駆け抜けたその先───。
森の中心部に建つ、真新しい社。
大縄が敷地をくるりと囲っている。
淡い蒼月が、時折雲間から顔をだしとある人物を照らし出す。
黒い布を纏う小柄な影。
「月齢は満たされた────」
美しい少女───いや、幼女であった。
艶やかな白い長髪が夜風に踊り、獣を想わす金色の瞳が月を見つめる。
「儀式場も完成させた────」
幼女の頭部には二つの獣の耳が生え、時折軋む大縄を心地良さそうに聞いていた。
「竜の心臓も此処に───」
その滑らかな指先には、未だに脈打つ赤い肉。
竜の心臓が乗せられていた。
幼女は恍惚とした表情で、魔術を展開する。
「五年間私の血液と魔力を馴染ませた金───」
怪しげな輝きを放つ金の板。
その金の板の上に幼女は立っていた。
「条件は完璧だ───」
魔方陣が幼女の周囲を廻りだす。
「さぁ始めようか───」
────────────────◆
如月夜音は、二十歳のフリーターである。
口癖は「………疲れた」や「………だるい」。
基本、自分の決めた必要最低限の事しかやらない人種である。
そして、人に対して興味が薄く、関わりを持とうとしない。
自分自身すらも……。
(……………将来ねぇ)
「………はぁ」
ため息とともに寝癖が酷い黒髪を、手櫛で掻き上げる。
現れたのは、濃い隈が刻まれた色素の薄い青い瞳。
その瞳には耀きがなく、あるのは悲観か諦めか……。
(………生きれればいい)
人生に意味など無かった。
日々その命を繋げるだけの生活。
家族は昔からいない。
唯一、姉と慕った彼女も、数年前亡くなった。
その時は、本気で死のうと思っていた。
実際、死のうとしたが。
死ねなかった。
────夜音、暫く生きなさい。
姉の遺言である。
姉にはわかっていたのだろう。
自分が死ねば、夜音を世界に繋ぎ止めるモノなど何もないと言うことを。
だからこそ、呪いとも言えるこの言葉を残した。
その日から、ただ生きるだけの生活が始まったのだ。
「陽菜姉、俺はいつまで生きればいい?」
机の上にある、姉の写真に目をやる。
写真には、満面の笑みで夜音と腕を組む姉の姿。
肩まで伸ばした綺麗な白髪を靡かせ、卒業証書の筒を前に見せる、小柄で愛嬌のある綺麗な女性。
高校の卒業式に撮った、神木陽菜とのツーショット写真。
写真の夜音はまだ笑っていた。
「俺はもう疲れたよ………」
勿論、返事などない。
写真の彼女は、勝ち気な笑みを浮かべ続けているだけだ。
夜音は、苦笑し寝室からでる。
「…………だりぃな何もねぇ」
顔を洗い、冷蔵庫を物色する。
が、中にあるのはミネラルウォーターが三本。
(買いに行くのもだりぃ……)
「まぁいいや」
ミネラルウォーターを一本とり冷蔵庫をしめる。
生欠伸をしながら、リビングへ向かい、脚の無いソファーに座る。
朝食をどうするか、ミネラルウォーターを口に運びながら思考する。
(まぁ朝食って時間でもないが………)
壁掛けの時計をみる。
針が指す時刻は、11時19分。
もう少し経てば、完全に昼の時間である。
何か頼むかどうか考えていた時───
がらがらっ、と網戸が開いた。
「…………今日は遅かったな」
「………………」
開いた隙間から、白い大型犬がスルリと入ってきた。
ピンと張った立派な立ち耳と、ふさふさと揺れる長い尾。
特徴的なその犬は、がらがらっと鼻先で網戸を閉める。
閉めると、そのまま夜音の対面にあるソファーで寝転んだ。
(大型犬っていうより、狼みてぇだな。)
(まぁ、日本に狼がいる筈ねぇし、犬だとは思うけど)
犬の名前は無い。
別に飼い犬では無いし、他に呼ぶやつもいないからつけていなかった。
言うなら、居候犬である。
明るいうちは夜音の家で過ごし、夜になると何処かへ出ていく。
そしてまた、朝になると帰ってくるのだ。
食事も自分で済ますうえ、自分で出掛けるので散歩も必要ない。
同じ空間にいても苦にならないし、人避けの口実にもなるので同居を許していた。
他の住民や保健所が騒がないか心配したこともあったが、そこのところは上手くやっているらしい。
「何かあった?」
一年くらい一緒に暮らしていて、稀な事だったのだ。
この目の前の犬は、大抵日が顔を出したくらいに帰ってくる。
だが今日は昼前である。
ふと気になった夜音がそう聞くと、尻尾をパサリと動かした。
別に何もないと返事をしているのだろうと、一人納得する。
「そっか……」
何もないならそれでいい。
そこで会話?は終了する。
お互いに無干渉、それが気が楽で良いのだ。
これがどちらかが、干渉するタイプであれば、この共同生活は破綻していただろう。
静寂がリビングを支配し、暫くして居候犬が眠りにつく。
(俺も眠くなってきたな)
眠気が移ったのか、夜音もゆっくりと意識を沈ませていった。
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