84.瓜生vs才介(前編)
それからの才介は高等学校をしばらく休んでいた。
とくに大した主義も主張もないが、教科書に目を通せばわかってしまうような内容を、貴重な時間を割いてまで聞いてあげるつもりにはなれなかった。そんなことをする暇があるのならば図書館にでも行って独学で勉強した方がよっぽど効率がいい。
現在は広範多岐に渡る学問に手を出しているわけだが、その理由は根本をたどれば小説のためのネタを収集しているように思えてしまった。
ぶんぶんと頭を振ってみてもその雑念は消えない。
もう小説は書かないつもりだ。
心の奥底では、執筆に対する意欲が澱のように沈殿していて、今にもその感情が爆発してしまいそうなのだが、それは月の化身を想起させて、古傷をえぐられているような感じがして切なくなるのだ。
才介は気分転換に自習室から出た。古典文学の書棚に立つ。
いつかは加藤汐の小説もここに陳列される日が来るのだろうと思うと胸が痛んだ。もっと現役で書きたかったはずなのに。
そう三島由紀夫の金閣寺を選んで本の頭に指を引っかけると、他の利用客と指が重なった。
「あ、すいません。俺はまだ読まないのでお先にどうぞ」
才介は力なく笑ってからすぐに後悔した。
あいさつなどしていないで素通りすべきだった。
「おい、お前。小説を書くのをやめるって本当か?」
瓜生は真剣な剣幕で詰め寄って来た。
吉川ちゃんが余計なことを言ったんだな。
才介はそう推測してから厚い本をそっと書棚に戻した。
説明するのも面倒くさいが瓜生にとっては喜ばしいことだろうから、べつに糾弾されることはないと思った。
「ああ、本当だよ。何物にもなれなかったんだ。続けるだけ時間の無駄だろ」
「お前にとって小説とはなんだ? 好きじゃないのか?」
うるせえな。静かにしろよ。と顔面で訴えてから、
「もう情熱は冷めた。二度と書かないから安心しろ」
「ふざけるなっ!」
しかし瓜生は逃がしてはくれない。首筋に血管が浮き出ていた。
まさか俺に会いに来たのか。
ただ邂逅しただけならば、ここまでしつこく絡んでは来ないだろう。
マジかよ、気持ち悪い。と心の中でののしって、才介はハードカバーの書籍に視線を逃がした。
川端康成の伊豆の踊り子でも読んでみようかなと、努めて瓜生のことを考えないようにした。
「お前は俺のライバルだ。逃げるなよ」
「逃げるもなにも、俺に負けたら小説を書くなみたいなことを言ったのは瓜生の方だろ」
「お前、山本由紀夫の前で優勝宣言しただろ。あの言葉は絶対に忘れないからな。プロになって、まずは俺に追い付いてみろよ。たった一回の挫折でやめてしまったら格好悪いぞ。なあ!」
「くだらねえよ」
「なにっ!」
才介は顔の筋肉をぴくぴく痙攣させながら言う。
早く視界からフェードアウトしてほしかった。
「書きたくても書けないんだよ。加藤汐の訃報は知っているよな? 大きなニュースにもなったから。俺は彼女の大ファンだった。彼女に読んでもらいたかったからこそ、今までは筆を握ってこれたんだ。それが出来ないと思うと……」
呼吸が浅くなる。才介は肩で息をした。
「もう書く理由が見つからねえんだよ。好きな人を喜ばせるために書いてきたのに、目標がなくなってしまったんだ」




