62.竹沢弘也の目標
脳が焼き切れそうだ。
前に薬物乱用頭痛を経験したが、それでもイブプロフェンを摂取しなければ正気を保てそうになかった。
才介は一階のエントランスにある小さな売店で風邪薬のコーナーを眺めた。規模はコンビニエンスストアほどしかないが、メディカル用品はそれなりに充実していた。
才介はジェネリックの医薬品を手に取る。廉価な商品だが、一般の薬品と効き目は変わらない。
「こんにちは。午後の受験者ですか?」
やけになれなれしい口調で、その男子高校生は近寄ってきた。
彼は小学生のような童顔に丸眼鏡をかけており、全体的に小柄だった。不似合いな学ラン姿は、出来の悪いお坊ちゃんを想起させた。
「ああ、そうだけど。あんたも午後の部か?」
応じるのも面倒くさかったが、気晴らしにはちょうどいいだろう。
「はい。でもなんか、僕は別室で執筆させられましたね。たぶん病気のせいだと思いますけど」
「病気? なんの病気だ?」
「ナルコレプシーです。毎朝モディオダールを服用していますが、なんか、完全に抑制出来るわけではないらしいので」
病気や精神刺激薬の名前を言われても、才介にはさっぱりだった。
「よくわからないが、大変だな」
それでも興味を持ったため、
「あんた、なんて名前だ?」
「僕は竹沢弘也です」
「そうか。俺は村上才介だ」
「村上さんですか? なんか、加藤汐さんに似た文章を書く人ですよね。文芸甲子園の月刊誌に載ってましたよ」
「俺の小説が紹介されてたのか。ちょっと嬉しいな。でも印税が入ってないぞ」
「なんか、作品の著作権や利用料は出版社に譲渡されるらしいですよ」
「本当かよ」
そう言葉にしつつも、別に驚きはなかった。
「そう言えばあんたはなんで小説を書いているんだ?」
「僕ですか? 僕は学校の先生に褒められたかられふぅ」
照れ隠しのためか、後半は妙な滑舌だった。
眠るように脱力した顔面は、非常に穏やかだった。
数秒後には元に戻ったが面白いリアクションだ。
「今まで人から褒められたことがなくて、だからなんか、こんな僕にも居場所があったんだなと思うと、嬉しくて。それからは、やめられなくなりましたね」
「ふうん、そうなんだ。なんか目標とかあるの?」
「障害に苦しむ人って、意外と身近にもいると思うんですよ。
だからそういう人にも光を当てたいっていうか。
僕は、小説でだれかを救いたいんです。
小説には、人を救う力があるんれふぅ」
竹沢弘也は一気に全身を脱力させて、糸が切れた操り人形のように受け身も取らず、頭からぶっ倒れた。
売店のスタッフも、レジから飛んでくる。
陳列棚からは綿棒やらマスクやらが巻き添いをくって、清潔な床に散らばっていた。
「おい、どうした? しっかりしろ」
「どうなさいましたか、お客様」
「大丈夫、カタプレキシーです。ナルコレプシーと併発しやすい病気です」
「おい、その病気はなんだ。説明しろ」
前触れもなく人が倒れたのだ。ただごとではないはずだ。
「ナルコレプシーは、日中に激しい睡魔に襲われる睡眠障害です。カタプレキシーは、喜怒哀楽の感情によって、全身や身体の一部に力が入らなくなる病気です」
よほど慣れた質問なのか、竹沢はすらすらと答えた。
「だけど、小説だったら、自分のペースで進められますからね」
そう店員の肩を借りながら、竹沢弘也は宣言した。
「僕はこの業界ではだれにも負けません。六文仙である山本由紀夫にも、勝利してみせます」
童顔の彼は、鬼の形相を保てずに脱力した。そのふにゃりとした表情からのぞく鋭い眼光は、瓜生と同じ鬼気迫るなにかを感じさせた。




