57.嘆息と授業
灰色の絨毯が物憂げに空裏を漂い、昼の明暗を奪い去るから、夜中と変わらぬ暗黒が教室に垂れ込めていた。
この日は蛍光灯の光もなぜか頼りなく、べたべたするような湿気がまとわりついてひどく不愉快だった。次の授業は石嶺先生の現代文だ。
前にあくびをして叱られたことがあるから気は抜けない。テナガザルを彷彿させる出で立ちだが、性格はサルよりも陰険だった。
才介は教科書を広げて準備をしておく。そこには夏目漱石の『草枕』が載っていた。
……智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
そう俳句のような名文が並ぶのを見つめていると始業の鐘が鳴った。はかったように前の戸がさらりと開いて、上下を紫色のジャージで統一している人物が教壇に立った。
授業が始まった。いつもは退屈に感じていた勉強も、月の化身に影響されたおかげでよく身に入った。
趣味で研究している日本文学を、こうして知識人からご教授願えるのだから、望外の喜びである。
「夏目漱石は文学の一時代を築き上げた『自然主義』を否定したことでも有名だ」一拍置いて、「それでは自然主義の作家とその代表作を述べてもらおうか」
日付を参考に、石嶺先生はその出席番号の生徒に答えさせた。いくら予習をやっていてもそこまで答えられる生徒はすくない。
そうやって返答に窮した生徒を言葉の槍でいたぶって、自らの矮小な自尊心を楽しませるテナガザルは、才介にはひどく醜悪に思えた。
「島崎藤村の『破戒』や田山花袋の『蒲団』だろ。それくらい勉強しておけ」
石嶺先生が瓜生に質問をすることもほとんどなくなった。回答されるのが嫌なのだろう。
束の間の優越感を味わうためには、本職の人間は邪魔なのかもしれない。
「明治時代は、西洋との国交も盛んになり、文学も激動の時代を迎えたわけだが、耽美派、白樺派、新現実主義と区別して、漱石はなんと呼ばれた?」
はあ。なんというか退屈な授業だった。期待はずれもはなはだしい。もっと文学の本質に迫ってくるものだと思っていた。
むろん、歴史的背景や小説家の人物像も大事かもしれないが、評価されるべきは作品のほうだ。漱石が余裕派の作家だということを知りたいわけではない。
「今、ため息を吐いたやつ、黒板の前に出て来い」
はあ。だれだよ、ため息を吐いたやつ。
才介はそう思ってすぐに自分のことだと思い至った。黒板の前には瓜生が立っていた。
かばってくれたのだろうか、それとも彼も同じように嘆息していたのだろうか。
「そんなに俺の授業がつまらないか……」
血の気の多い教師はその怒りを抑えることが出来ずにいた。
「それならお前が授業をしてみろと言いたいが、お前なら本当にやってしまいそうだ」
「テスト範囲を教えてくだされば可能です」
「今回は大目に見てやる」目を飛び出さんばかりに見開いてから、石嶺先生は才介の名前を呼んだ。「お前も小説を書いているんだろう」
ええ、それはまあ。駆け出しなので児戯に等しいですがと謙遜して、才介は言った。
「それなら作家のよしみとしてお前が答えろ。世阿弥の謡曲『高砂』で、箒を担いでいるのは翁か媼か」
漱石の草枕には、箒を担いだ爺さんとある。ならば翁が正解だろうが、それでは性根の曲がった石嶺先生らしくない。
「媼です。箒を担いだ爺さんとの一節は漱石の記憶違いです」
クラスがしんとなった。
不安になって瓜生の顔をのぞくと、いつも通りの表情をしていた。こいつも余裕派だなと才介は感心してしまう。
「ああ、正解だ。瓜生、戻っていいぞ」
そうして授業は終わった。




