50.刹那的な美学
「あの、私」
伊藤汐が自発的に口を動かしたのは、たこ焼きを食べ歩きしているときだった。
神社名が刻まれた石柱と鳥居が正面に立っている。屋台はここまで続いているが、神社の敷地内には及んでいなかった。
「私、小説を書くのが、なんだか、嫌になっちゃったんです」
「へえ?」
あまりにも自然に発せられたから、「へえ、そうなんだ」と返答しそうになって焦った。彼女はなんだかしんみりとした表情である。
赤い漆で塗られた門をくぐると、参道のわきには石灯籠が並んでいた。夜道の雰囲気もあって、いつも以上に霊験あらたかだ。
奥に行くにつれて照明がすくなくなり、それを補てんするように星明りが輝いていた。
「マスコミに、叩かれたのも、ショックだったけど、風評被害で、重版が取り消しになったのが、悔しくて。私は、小説に対してだけは、真摯に向き合ってきたので、ひどく残念です」
濃い陰影が月の化身を立体的に浮かび上がらせている。
拝殿の手前には手水舎があった。四方の柱に三角屋根が載っているだけの吹き流しだ。
月の化身は水盤からひしゃくで手水をすくい、両手や口内を順々に清めていった。その一連の所作に神秘的なものを感じた。
「そうだったのか……」
プロになれてうらやましいとのたまっていた過去の自分を殴りつけてやりたい。才介は儚げな彼女の悩みを聞いて唇を噛んだ。
「そんな顔しないでください。この道を選んだのは私なので」
拝殿へと伸びる石段に腰掛けると、ひんやりしていて、尻がむずがゆくなった。
すると夜空の真っ黒なキャンバスに、一輪の花が咲いた。花火だ。
その度にパンパンと、音が鳴る。
一瞬で満開になって、桜よりも早く散っていく。
まるで人生の走馬燈である。
俺はあと何回、綺麗な花を咲かせることが出来るだろうか。
彼女はあと何回、綺麗な花を咲かせてくれるだろうか。
才介はそんなことを考えた。
幾星霜もの年月をかけて、人は輝く。
散るのは一刹那。でも、それにかける思いは一生。
そうやって歴史は紡がれてきたし、そうやって記憶は伝承されてきたのだ。
文学はそうやって発展してきた。
人は人から学び続ける。
人生の栄枯盛衰は花火に似ているのかもしれない。
綺麗な花を咲かせるためには雌伏のときを経る必要があるが、そのときはだれも見向きもしない。
開花の時期だけをトリミングして、そこに至る背景はバッサリとカットされてしまう。だからこそ、美しいのかもしれない。刹那的な美学だ。
「綺麗ですね」
「ああ」
その通りだった。余計な言葉などいらない。いっしょの時間を共有しているだけで、二人は繋がることが出来た。




