5.渡辺の弁当
燃え尽きた。そうウェストミンスターの鐘を聞きながら、才介は机に突っ伏す。
今回に限ったことではないが、最近は情緒が安定しないことが多い。
理由はよくわかっているつもりだが行動に移す気力がない。
いまさら何をすればいいのだろうか。スポーツ選手の競技寿命は非常に短命である。これからサッカーを始めたとしても大成する見込みは皆無だろう。
「はあー」
「ため息ばかりついてると幸せが逃げるよー」
ボーイッシュな見た目とは裏腹に料理が得意だという渡辺真理子は、近くの空いている席に腰を下ろした。今日も弁当を作ってくれたらしく、風呂敷包みの弁当箱を二つ持っている。
「あれ、鈴木くんは?」
教室内をキョロキョロと見渡しながら渡辺は小首をかしげる。いつも同席している鈴木がいないから戸惑っているのだろう。
「あいつなら詰め将棋の勉強をするって言って図書室に行ったけど」
「そっかー」
包みをほどきながら渡辺は相槌を打った。
「伊藤先生に憧れてばかりじゃダメだ。俺は先生をも超える男だって息巻いてたぜ」
ははは、何それー。
そう渡辺が笑うと良い匂いがした。
「今日は、豚肉のマヨ照り焼き弁当にしてみたよー」
そう二段弁当のふたを開けると、茶色を基調としたおかずが詰まっていた。
豚肉の照り焼きと味付け卵が仲良く並べられ、仕切りを挟んで、塩ゆでされたブロッコリー、シイタケとエノキの炒め物がある。
「いただきます」
才介は手のひらを合わせてから、ブロッコリーをつまんだ。
固すぎないし、野菜のうまみも凝縮されている。また腕を上げたなと思う。
「渡辺は将来の目標とかってあるのか?」
豚肉をかじると、定番のしょうが焼きよりもコクがあった。
味付けに使われたマヨネーズが、深い味わいを引き出している。
「将来の目標? 今は近くに中華料理屋さんがオープンして大変だけど、実家の定食屋さんを継ぐことかなー」
のんびりした口調ではあるが、その双眸からはプロの現場に立つ覚悟がうかがえた。
この弁当作りも彼女なりの訓練なのかもしれない。
「ゆくゆくは定食屋さんだけじゃなくて、お弁当屋さんとしても機能させていきたいよねー。テイクアウトされるお客様とか、お店に来られないお客様にも、最大限に喜んでもらいたいしねー」
胸のどこか奥がチクリと痛んだ。
今更ながら、みんなが夢に向かって努力していることに気付かされる。
瓜生は小説家、鈴木はプロ棋士、渡辺は定食屋の店舗拡大。
何も考えずにのうのうと生きてきたのは自分だけだった。
奥歯をかみしめながら渡辺のボーイッシュな出で立ちを見る。女子高校生にしてはおしゃれに無頓着だなとは思ったが、夢を追うことに必死でそれどころではなかったのだろう。ショートヘアーにしても、より厨房向きという感じがする。
「村上くんは?」
何気なく、無邪気に発せられた言葉が突き刺さる。
訊いた以上は、答えなければならない。
「なんだろうな。模索している最中だよ」
「そうなんだ。見つかるといいねー、将来の夢」
渡辺はシイタケとエノキの炒め物を小さな口に放り込んだ。
「なあ、渡辺。なんで実家を継ごうと思ったんだ?」
「えーと、それはねー」
屈託のない笑顔を向けられるとつらい。今の自分には同じ表情が作れないからだ。
「お料理を作って、誰かに食べてもらうのが好きだからかなー。これってもう天職だよねー」
本当にうれしそうだな。
才介は思わず吹き出しそうになるのをなんとかこらえる。
好きなことをやっている人間はどうしてこんなに輝くのだろう。純然としていて雑味がない。
濾過された水のように透き通っていて、中身が透けて見えるようだった。
「俺も夢中になれることを見つけないとだな。無為に年を取るのだけはごめんだぜ」
そう言うだけでは、焦りが募るだけで、何も解決はしないのだが。