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月が綺麗ですね  作者: オリンポス
第4章 瓜生安吾の独裁政権
41/87

41.顔色が悪いですよ

 才介のブログに反響があったのは、開設してから1週間が経過してからのことだった。

 それまでさんざ吉川にバカにされてきたが、ようやくコメントがもらえたので、これで一矢報いることが出来たはずだ。

 日記にはちらほらと感想が書かれていたが、小説も評価されたのだから喜ばずにはいられない。


「どうだ」

 スマートフォンに自分のブログを表示して、吉川に渡した。

 放課後の図書室にはほとんど人がおらず、カチカチと動く秒針の音だけが大きく響いていた。

 閉め切ったはずのブラインドカーテンからは、細い緋色の光線がちらとうかがえた。


「はじめまして。拝読しました。高度な言葉遊びに感動を覚えます。オチは辛辣でしたが、社会の厳しさが感じられますね。応援ぽちです」

 彼女は声に出して読み上げると、才介にスマートフォンを返した。

 うーんと唸ってから、やりますねと口にした。


「正直なところ、ひとつももらえないと思っていました」

「マジかよ」

「マジです」

「しかし、なかなか感想って書いてもらえねーんだな」

「面白くなかったらスルーしますからね」

「そうだよな」

 才介はそう言って、手書きの原稿を取り出した。

 それは学園祭で売り出すつもりの推理小説だった。


「これ、途中までだけど読んでくれよ」

 商業小説だからブログに載せることは出来ないが、こうなってくると感想がほしい。

 それも月の化身のような目の肥えた読者ではなく、世間一般の感性からずれていない同世代が好ましかった。


「わかりました。読ませてもらいます」

 そう目の前で読み進められると、妙なくすぐったさを感じた。

 才介は意味もなく席を外すことにした。一応トイレに行くと理由はつけた。

 しばらくしてから、才介は中座したことを詫びた。

 吉川はすでに読了したようで、ルーズリーフをそろえて待っていた。


「冒頭の耽美な描写は見事でしたが、話が進むにつれて不穏な空気が漂い、ついには事件が起きる。ここまでの流れは完璧です」

 本当かよ、そう思いつつも内心ではガッツポーズを決める才介。この日のために毎日研鑽を積んできた甲斐があった。


 まずは名作と称されるミステリーの序章を片っ端から模写した。

 いつかおのれの血肉になることを信じて、脳が働かなくなっても手だけは動かし続けたのだ。

 小説だけではなくドラマや映画にも目を通して、カメラワークや構成に関する基礎知識を手に入れた。

 音響効果は再現出来ないため、地の文に緩急をつけることで、微妙な雰囲気の変化や臨場感の演出にも努めた。


 そのほとんどが不眠不休の作業で、濃密な時間を過ごしたのだった。

 学校ではいかにしてバレずに眠るかだけを考えていたが、ときどき体調を崩して保健室にも行った。そこに松岡の姿はなかった。


「つかみはオッケーです。ですが、ここからが大変ですよ」

 親指と人差し指をくっつけてオッケーと微笑む吉川に、才介も愛想笑いを返した。

 なんだか頭がくらくらする。うまく思考がまとまらない。

「はは、サンキュー」

「大丈夫ですか?」

 彼女は唐突に身を乗り出してきた。

 うん、なにがだよ。ぼそっと発声するのも面倒くさい。

 すこし頭が痛かった。


「顔色が悪いですよ」

「ああ、そうか。あんまり寝てないからな」

 ガタッと椅子を引いて立ち上がり、才介は壁に向かって倒立し始めた。

「まあ逆立ちしてれば顔に血液が集中するから、顔色もよくなるかもな」

「やめてください!」

「図書室ではお静かにだろ」

 ふっと嘲笑するのも構わずに、吉川は才介の足を壁から引きはがした。


「なにを考えているんですか。ちょっとおかしいですよ」

 おかしい。そんなことは才介自身が一番理解しているつもりだ。

 それでも募る焦りは津波のように押し寄せて、理性とか自制心とか、そういった家屋をまるごと洗い流してしまうのだ。起きてしまった土砂崩れを止めることが出来ないように、この気持ちは止めてはならないと思った。


「そんなことはわかってる。けど、時間がねえんだよ。一日の長は瓜生にある。俺みたいな新参者にはこれしか方法はないんだ」

 二本の脚で立ち上がると、貧血でその場にへたり込んでしまった。

 吉川があわてて手を差し伸べるが、それを拒否する。

 机に手をついて立ち上がると、

「俺には好きな人がいるんだ。その人のために小説を書いている。こんなところでつまずくわけにはいかねーんだよ」

 吉川はぐっと唇を噛んだが、静かに口元を動かした。


「その人には告白したんですか?」

「え」

 またもや視界がくらりと揺れた。

 全身の体温が下がって、嫌な汗が噴き出る。

 椅子に座るのもおっくうで、そのまま床に座り込んだ。


「私は、先輩の伴走者です。瓜生先輩にも勝ってほしい」

 目線の高さを同じにして、彼女は優しく言った。

「私じゃ、ダメですか?」

 綺麗に束ねられた二つの太い髪が、半月に見えてきた。

 ダメだと一蹴するつもりで口を開くと、好きだと声が出た。


 違う。それは月の化身に対する言葉だ。

「いや、違うんだ。えっと……」

 なんだか、悪寒がしてきた。

 寒いと小さく言うと、彼女は才介の背中に腕を回して温めてくれた。

 吐き気がした。

 もう帰ると言うと、彼女は肩を貸して歩かせてくれた。


 だが、献身的に支えてくれる吉川の姿など、才介の目には映っていなかった。

 もうろうとする意識の中で彼は、小説を書いて死ねるなら本望だと思っていた。

 脳みそがぐわんぐわんと揺れる感覚がして、死ぬのではないかと感じて、そう思ったのだ。

 間違えて告白したことなどは、とっくに忘れていた。

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