37.分の悪い勝負
「面白い展開になってきましたねー」
上下が灰色のスウェットで、蒼白な色をした彼女は、才介の渡した原稿を片手にそうつぶやいた。
「そうか! これは自信作なんだ」
ようやく認められたかと小さくガッツポーズを決めると、
「いえ、それではなくて先程の話です」
月の化身は表情を変えずに言った。
「それにしても、児戯に等しいとは言いえて妙ですね。さすがの慧眼にお見それします」
彼女は口元を押さえて、ふふっと失笑する。
「いや、あんたそう思って読んでたのかよ!」
「はい」
真面目な顔で白い歯をのぞかせる。彼女は、小説に関しては忌憚のない意見を表明することが多かった。
「それはすまない。これでも真剣に書いているつもりなんだ。今日だって、太宰治の『斜陽』を模写して、文法を勉強したつもりだし、これからも……」
あわてて言葉を並び立てる。
彼女にまで否定されてしまったら、なんのために頑張ってきたのかわからなくなる。
「最初はそう、思ってました。でも今は」
誘蛾灯がバチッと音を鳴らすが、全体的にその回数も減ってきた気がする。
夜になると、昼間と比べてだいぶ空気が冷たかった。
秋の香りもかすかに漂っている。
「そんなことはありません」
ぴゅうと吹く冷気が2人の男女をくっつけた。
恥ずかしがっていても人間は寒さに勝てないのだ。
才介は彼女のぬくもりを、服を媒介して感じ取った。
「文章力だけならプロと同等かそれ以上ですし、物語の構成や伏線の張り方も成長しているし、地の分にはひと文字ひと文字に魂が宿っています。お相手の小説を読んでいないため、滅多なことはいえませんが、普通の高校生よりも語彙が豊富で、大人の魅力がある気がします」
まさかのべた褒めだった。
才介は照れでカアッと身体が熱くなった。
密着しているから月の化身にもそれが伝わったかもしれない。
感嘆符が才介の言語中枢を占領する。そのせいで適切な言葉が浮かんでこない。
「だけど、問題もあります」
その発言に、尻の穴がきゅっと引き締まる思いがした。耳を傾けざるを得ない。
「対象年齢が高すぎるので、大人や玄人には受けますが、高校生にはやや難解かもしれませんね」
そうなのだ。作品を発表する場は本屋ではなくて、高等学校の敷地内である。
いくら文学として優秀な小説でも、それを理解してくれる読者がいなければ売れるはずがないのだ。
「それならそれで、私にも作戦があります。推理小説で勝負しましょう」
「は?」
「大丈夫です。推理小説なんて誰でも書けますから」
「無理だろ。まずはトリックが思い付かねえ」
「じゃあ、宿題です。推理小説を百冊読みましょう」
「冗談だよな?」
「それだけ読めば、誰でも書けるようになっていますよ」
「時間が足りねえ」
「可能な限り読めばいいですよ。推理といえども本格に限りません。ユーモアだったり、社会派だったり、ホラーテイストだったりと応用は可能ですし、あなたの文章なら多様性に富んでいるので、バラエティーのある推理小説が出来上がるんじゃないですか?」
まあ、説得力はあるとしてもだ。才介は苦言を呈することにした。
「高校生が想定読者なら、ライトノベルで勝負するのが王道じゃないか?」
「そうですね。基礎が固まっているので、文章を砕いて軽くすることは容易でしょう」
「だったらラノベを書くべきじゃ――」
「それでは、角を矯めて牛を殺す結果を招きますよ」
「え?」
「あなたの文体は、枝葉にいたるまでが硬派です。それを崩したら魅力は半減しますよ」
月の化身は才介の筆使いを熟知しているようだった。
推理小説か。最も嫌いなジャンルだと才介は天を仰ぐ。月の周辺では叢雲が泳いでいた。




