30.学校はかすがい
引き出しの中にある教科書類をカバンに詰め替える。クラスメイトはすでに退室していた。才介は人待ちのために小説を読んでいて、そのせいで出遅れたのだ。静謐な室内では、ちょっとした動作も大きく耳につく。ファスナーを閉める音さえもうるさく感じた。
「うはは。悪いな才介。野暮用が出来ちまった」
ブックカバーのかかった本を小脇に抱えたまま鈴木は頭を下げた。彼は才介の手際を眺める格好で、机の隣に立っている。
窓から映える景色はまだまだ明るい。夕暮れの時間は日を重ねるごとに長くなっていた。
夏の足音を感じさせる柔和で暖かい微風が、ほとんど無人と化した教室に吹き込んでカーテンを揺らす。高等学校を卒業したらこの男とはもう会えないのだろうか。鈴木はプロ棋士、才介は作家、このまま順当に夢が叶ったら、もう運命の糸は交錯しないだろう。それぞれ別の人生を歩むことになるのだ。それは鈴木に限らず、松岡や渡辺と会う機会がすくなくなることも意味していた。生徒にとって学校はかすがいなのだ。
「もう渡辺と、会えなくなるかもしれないんだぞ」
卒業したらではない。
もしも家業が左前になっているのだとしたら、彼女は近く学校をやめるかもしれないのだ。
「うはは。そんな悲しいことを言うなよ」
鈴木は誰にはばかることなく大口を開けて笑った。屈託のない笑顔が夕日で赤く染まる。
コイツは事の軽重を理解しているのだろうか。そう心配にもなるが、性格が楽天的なだけでバカではなかったことを思い出す。
鈴木には何か打算があるのかもしれない。それともただのエゴイズムか?
「用事って将棋のことじゃないだろうな」
思わず詰問口調になったが、それを責めるつもりはなかった。
「うはは。まあ気にするなよ」
それじゃ、と鈴木は小走りで出口へと向かう。
マイペースな鈴木がこんなに急ぐのだ。きっと将棋の講習があるのだろう。
「松岡のことだってまだ解決してねーのに、のんきな野郎だぜ」
才介は太い溜め息をこぼす。窓の外ではカラスがしゃがれ声で鳴いていた。




