3."栄光の瓜生"と"挫折の才介"
「体育館に季語は存在しないのか」
才介は隣で行儀よく体育座りをしている鈴木に話しかけた。
入学式も終わったばかりで、桜が咲き誇る早春である。
まだまだ肌寒い日は続いているが、体育館の中は季節など関係なく、暴力的な人口密度によって気温を上昇させていた。
「全くだよな」
鈴木は呆れたように額をぬぐう。
制服はまだ冬制服だった。衣替えまであと一か月くらいある。
「まあ、それは将棋も同じだけどな」
「え?」
「衆人環視にさらされながら将棋を指す伊藤先生はやっぱりすげえよ」
彼は目を輝かせていくが、才介にはなんのことかさっぱりだった。
「伊藤先生ほどの知名度になってくると、対局部屋はこれくらい狭苦しくなるんだ。マスコミが多く押し寄せてくるからな。無遠慮にカメラを向けられる。集音器を口元に近付けられる」
まるで自分が被害者であるかのように振る舞う鈴木は、どこか滑稽だった。
「お前はプロ棋士かよ」
そう茶化してみるが、ここまで情熱を傾倒できる人は正直すごいと思う。
才介も中学時代はサッカー部のエース格だった。だがここまでの熱量は持ち合わせていなかった。
だからあのとき挫折してしまったのだろうか。そう思うと胸が痛んだ。それが焦りへと転化されるまでに時間はかからない。
深いため息をひとつこぼすと、生徒指導の教師がマイクで何かを叫び出した。
そろそろ全校朝会の時間だなと才介は掛け時計に目をやる。
校長先生の話が始まるころには何人か眠っている生徒もいたが、館内の端っこで待機している教師陣はとくに気に留めることもしなかった。
「それでは各部活動による成果報告をしてもらいます」
司会進行役の教師がマイクに声を入れると、入り口の廊下で待機していた部長たちが列をなして歩いてきた。野球のユニフォームや柔道着、レスリングの格好をしている者もいた。
常に結果を出し続けられるわけではないので、活動報告で済ませる部活動も多くあったが、
「文芸同好会です」
クラスメイトの瓜生安吾は違った。
同好会には指定のユニフォームがないため、彼は制服のままだ。
「この度はみなさんの応援もあり、地方新聞で大賞を受賞することが出来ました。高校生部門ということで一般の方々よりは応募総数も少なく、倍率も低かったわけではありますが、名誉ある賞を受賞できたことを大変光栄に思います。これからも母校の一生徒として邁進していきますので、変わらぬご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」
明朗快活にそう宣言する姿は、芥川賞最年少受賞者よりも立派に映った。
贈呈式にすら出席しない傲慢な人間よりはいくぶんましに思えた。
「うはは。お前の嫌いな瓜生が一席ぶってるぜ」
鈴木はにやにやしながら才介を肘で小突いた。
「うっとうしいから、やめろ」
才介は相手の胸元を拳骨でどんっと叩く。
鈴木は息を詰まらせつつも、少年の無垢なまなざしでステージを見ている。
「やっぱりあいつもすげーよ。伊藤先生もそうだけど、なんかオーラがあるっていうかさ」
オーラだと? 占い師かよ、テメー。
そんなものが見えるんだったら自分自身のことでも占ってろよ。
そう心中で毒づきながら才介はハッとする。俺はなんでこんなに苛立っているんだ、と。
わかっていたはずだ。努力を放棄してきた自分には誇れるものが何もないってことくらい。それなのになんで今更になって焦っているのだ。
閉塞された空間にいる不快感からか強い吐き気を催した。
それを悟られないように膝に顔をうずめたが胃液の奔流は容赦なく襲いかかってきた。
腹の中に溜まったとげとげしい感情をあますところなく吐き出せたら楽になるだろうか。
そんなことを考えながら時間が経過していくのを静かに待った。