26.二人の関係
「何か、あったんですか?」
「全部、あんたのせいだ」
「そう、でしたか。ごめんなさい」
理由も聞かずにあやまる彼女。才介はわざとらしく太い息を吐いた。
「何であやまる?」
「私に非があったようなので」
「ちょっと待ってろ」
才介はポケットからスマートフォンを取り出して操作する。そこには『歌ってみた』の得票数が掲載されていた。青白い表情の女の子は息をのんで液晶画面を見つめている。
「コメント欄を見てみろ」
「はい」
コメント欄にはそれぞれの歌い手に対する感想が自由に書き込まれているが、その中でも目を引いたのは、『コラボ動画が豪華』『ソロよりもデュエットで決めた』という意見が多いことだ。今回のオーディションでは三曲しか歌っていないため、その歌い手の関連動画や新作動画がより取りざたされていたのだ。驚いたのは参加者のほぼ全員がコラボ動画を撮影していたことである。甲乙丙丁はともかく、刹那のような大御所やしょうゆ打者でさえもそれを徹底していた。
そんな風に権謀術数が張り巡らされているとは露知らず、松岡はアルバイト山崎の誘いを一蹴していた。これは才介を気遣ったためであり、決して高飛車な態度ではなかったが、ネットでは批判の対象になっていた。いつかの最年少芥川賞作家がそうされたように、言葉のナイフが鋭利な傷跡を残していた。
「松岡は、俺の友人だ。あんたが、あんたは……」
「私が共存戦略をもっと早く教えていれば、こんなことにはならなかった。そう、言いたいのですか?」
どうやら憤っているようだ。目が尖っている。
「ああ、そうだよ。俺は小説の書き方を教わっていたはずだ。あんたも先生なんだったら、もっとわかりやすく伝えろよ!」
月の化身はいつもとは真反対の、それこそ乱暴な口調で、いい加減にしろと一喝した。
才介は驚天動地といった有り様で固まってしまう。こんなに大きな声も出せるのか。
「小説を書きたいなら、それくらい、自分の頭で考えろよ、てくださいよ。いつまで、学生気分だよ。ふざけるなよ。小説家は、そんなに、甘くねえぞ、ですよ。誰も、教えて、くれねえんだよ。言葉の大海を、自分の力だけで、泳がなければ、ならねえんだよ。他力本願だよ。そんな根性なしに、小説が、書けるわけないよ。嫌なことがあったら、すぐに、人のせいに、するんだもん」
はーはーと肩で息をする彼女が、才介には愛おしい。そうだ。こうやって叱ってくれる人がほしかったんだ。
「私は、小説家には、厳しいぞ」
「認めてくれるのか、俺みたいな駆け出しを」
「小説家に、駆け出しも、重鎮も、ないだろ。人に読んでもらったら、もう小説家だ。甘えるな。プロになるつもりがないなら、私はもう、何も、言わないよ。さあ、どうする、つもり?」
「どうする、だと?」
「こんな、怒りん坊な私を、嫌いに、なっただろ。少しの間だったけど、小説の話が出来て、楽しかったよ」
このとき、二人を阻むものは何もなかった。青い月光が淡く輝いているだけだ。
才介は月の化身をぐっと抱き寄せた。彼女は意外にも無抵抗だった。強く背中をまさぐると、少女は「痛い」と短く叫んだ。構わない。才介はあつい抱擁をする。彼女も腕を回してきた。顔を近付けて、口づけをする。その部分だけ、体温が溶け合った気がする。何度も、音を出して吸う。それが才介の答えだった。彼女もそれに呼応するようにして、同じ動作を行った。
「わかっているだろうな」
月の化身はそう目を逸らして言った。
「わ、私の、は、初めてを、奪ったんだ。世に出す、あ、あなたの、処女小説は、私との、合作にしろ。あなたが、書いて、私が、読んで、一緒に直して、ふ、ふたりで、悩んで、共同作業だ。わかったな」
「ああ、そうしよう」
「で、では、宿題だ。文句はあるか」
「ないよ」
俺は今、幸せの絶頂にいる。才介はそう思った。自分は世界でいちばんの果報者なんだ。
「今回は、出題の意図を、明確にする。これは、プロットの必要性を、指摘するための訓練だ。百円ショップで、パズルを二つ買って、片方は、完成図を見ながら、もう片方は、見ないで組み立てろ。全体像を可視化すれば、伏線も張りやすくなる。要は、俯瞰的な視野が、身に付く。そのための、パズルだ」
命令口調なのは恥ずかしさをごまかすためだろう。
誘蛾灯がまた電流を流した。才介はその青い光をぼんやりと眺めていた。




