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月が綺麗ですね  作者: オリンポス
第2章 松岡千歳のオーディション
15/87

15.刹那の実力

 ピアノの前奏で導入部は幕を開けた。

 イントロからいきなりサビに入るが、刹那は落ち着いていて、妖艶な女性ボイスで歌い上げていく。


「うまいな」

 才介は唾を飲み込んだ。

 じっとりとした熱情的なサビ。クレバーな主旋律。

 その抑揚はきちんと配慮されており、聞く者を魅了していた。


「ここからだよ」

 松岡の表情が険しくなった。

 別れることになってしまったカップルが、互いに言葉を投げかける歌詞が、メロディとともに流れていく。


 それはさすがの貫禄だった。

 想像せずとも情景が浮かんでくる。まるでその現場を目撃してしまったかのような背徳感が、才介の胸をしめつけた。

 なんて切ないんだろう。なんていう表現力だろう。


 刹那の曲が終わったことにも気付かぬまま、才介は放心したように立ち尽くしていた。

「あら、もしかして聞いてくれたのかしら?」

 汗をかいてしまったのだろう。刹那はワイシャツの胸元を大胆に開けていた。

 スーツの上着を肩に引っ掛けていて、手で顔の周辺を扇いでいる。


「感動しました。私なんかが努力しても、きっとあんな風にはならないと思います」

 松岡は目元をにじませて、照れたように拍手を送った。

「何種類もの声音を使い分ける歌い手さんはすくなくないですが、刹那さんほどのクオリティを出せる人は絶対いないですよ。正直うらやましいです」


「あら、褒め言葉は素直に受け取るけど」

 刹那の声は少年のようだが才介は知ってしまった。この人は色気のある女性ボイスも使えるということを。普段から少年の声で話すことによって、地声に近い発声を可能にしていただけなのだろう。松岡が苦労人と称した理由もこれなら得心がいく。


「私よりも松岡さんの方が才能があるように見えるけどな」

 その言葉は天気の話題を俎上に載せるがごとく、さりげなく発せられた。

「ああ、俺も松岡には才能があると思う」

 だから斜に構えた態度の才介ですら、素直にそう答えてしまった。


「え、才能があるなんて、そんな」

 松岡の訥々としたしゃべり方は、月の化身のようだった。

 才介はなぜか淡い彼女のことが忘れられない。時間を重ねるごとに彼女の存在は大きくなるばかりだ。


「あら、化粧室で松岡さんの曲を聞いたけど、本当に上手だったわよ」

 刹那はケータイ電話をかざして見せた。

「私なんて、刹那さんの、足元にも及びません」


「ううん、そんなことないわよ。ちょっと外に出よっか」

 彼女は迷いのない足取りでエレベータの下降ボタンを押しに行く。


 招待状の確認をしているスタッフが、こちらに深々とお辞儀をしてきた。

 エレベータの中は多様なデオドラントが混ざり合い、控えめに表現しても不愉快だった。乗客はいなくても臭いはすぐになくならない。

「私の家庭はずいぶん昔気質な田舎町でさ」

 刹那は独り言のように呟き始めた。

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