13.刹那という女性
「これがオーディションの会場か」
早朝から何本も在来線を乗り継いだせいで、頭が痛い。
才介は陰鬱な気分ではあったが、いざ会場に着いてみると不思議と気分が高揚した。
「そうだね。ここまで来れたのもみんなが視聴してくれたおかげだよ」
松岡は街並みの喧騒を無視するように髪を掻き上げた。一見すると平静そうではあるが、午後からの審査にもかかわらず、ここまで早く会場入りしている受験者は彼女くらいだろう。
路傍の植え込みにある雑草が気持ち良さそうに朝日を浴びていた。
才介は眼前の建築物に目を向ける。
レコーディング会場とはいっても、複合ビルのテナントだった。エントランスには各階ごとにどのような施設があるか看板が出されていて、受付嬢もカウンター越しに笑顔を振りまいている。客の出入りはそれなりに激しく、自動ドアの開閉音が枚挙にいとまなく響いていた。
松岡は受付の女性に声をかけた。
「あの、『歌ってみた』の審査会場ってどこですか?」
ショルダーバッグから招待状を取り出して受付嬢に見せる。相手はすこし考えるそぶりを見せてから、
「それでしたらあちらになります」
そう手のひらを向けた。
なるほど四階か。礼を告げてからエレベータホールへと足を踏み出す。
鏡のように磨かれた床が音を鳴らそうとしたその時。
「遅れてすいませーん! 寝坊しました」
少年のように透き通った声が入り口から聞こえてきた。
才介はそのまま歩いていたが、松岡が興奮気味に立ち止まるのがわかった。
「おい、どうした」
「刹那さんですよね?」
松岡は先程の少年を知っているようだった。
否、少年ではなかった。
「あら、どこかで会ったことがあるかしら?」
その人は茶っぽい髪を左右になでつけており、ダークスーツを身に付けてはいるが、明らかに女性だった。少年の声でその話し方をされると、オネエっぽく聞こえてしまう。
「私、刹那さんの顔出しライブ見に行きました。大盛況でしたよね」
松岡は胸の前で拝むように手を合わせた。
「あらまあ、私のファンの子かしら」
ワイシャツのボタンを外しつつ、刹那と呼ばれた女性は近づいてきた。
彼女には大人の魅力があった。
「申し訳ないけどこれからレコーディングがあるのよ。それからでもいい?」
「レコーディング? それってもしかして。あの、えっと……」
「あんたもオーディションを受けるのか?」
松岡の言葉を遮り、才介は単刀直入に訊いた。
「あら、その通りだけど。ひょっとしてあなた達も?」
「いや、俺は受けねーけどさ。コイツが受ける」
才介は親指で松岡を示した。松岡は赤くなってぺこりと頭を下げる。
「あら、かわいいわね。招待状は持っているかしら?」
胸ポケットから紙切れを取り出す刹那。松岡も同様に尻ポケットから招待状を取り出した。
「はい。持っています」
三人でエレベーターに乗り込むと、女性特有の甘い香りが狭い箱にむわっと漂った。才介は頭痛がするのも手伝って軽くめまいがした。
四階に到着して重厚な扉が開いていく。
「刹那さんですよね、お待ちしておりました。招待状は結構ですからスタジオへお急ぎください」
青ざめた表情の係員が刹那にまくしてた。
「あら、そうなの。じゃあお先に収録してくるわね」
彼女には緊張感というものがないのだろうか。笑顔を残したまま去っていった。
「誰だったんだ、あいつ」
才介は毛足の長いカーペットを踏みしめながら、松岡に訊いた。
「えー、才介はやっぱり知らなかったんだ?」
ここのフロアには音楽が流れていた。
それはゆったりとしたBGMであったが、楽曲が変わり、聞き覚えのある声になった。