10.オーディションの日程
才介は昼休みの鐘が鳴ったことにも気が付かなかった。
物語は授業中に書き終えていたが、いまいち表現方法がピンと来なかったため学級文庫を読み漁っていたのだ。この文庫選びに瓜生が一枚噛んでいることは不愉快だが、きちんと名作を押さえていたのには舌を巻く。
「ううむ、目からウロコだ」
「なーに、読んでるのー?」
渡辺真理子が弁当箱を引っ提げてくるのを見て、才介は自然とほほを緩ませた。ひとり暮らしの彼にとって、手料理が食べられることほどありがたいことはない。
いつもありがとう。
そう言おうとしてやめる。かなり照れくさかった。
「なんでもねーよ。今日の弁当は何かなー」
弁当箱を受け取って、風呂敷包みを開けようとすると、
「うはは。才介、一緒に食おうぜ!」
「私もいいかな?」
鈴木と松岡がやって来た。
相変わらず歯ぐきをむき出しにする鈴木と、長い髪を耳に引っ掛けながら登場する松岡は、美女と野獣という言葉が似合いそうな組み合わせだ。
「どうぞー。ここ座ってー」
渡辺が空席の机を指し示すと、彼らは黙って着席した。
「真理子ちゃん、今日は何を作ってきたの?」
松岡はずいっと身を乗り出す。
「鮭ときのこのホイル焼き弁当だよー」
渡辺は弁当箱を開けた。
中には色とりどりで目にも楽しい一品が詰まっていた。
アルミホイルの包みには好奇心を刺激されるし、さつまいもとゆで卵のマヨサラダと、さやいんげんの梅煮は色彩だけではなく、栄養価も考えてトッピングしたのだろうことがうかがえた。
そして包みを破ると、鮭ときのこのホイル焼きが待ち構えていた。今回は味噌での味付けが施してある。
「鈴木は何を食うんだ?」
「うはは。おにぎりを持ってきた」
そう制服のポケットからおにぎりを取り出す鈴木。
「千歳ちゃんはまた購買部で買ってきたのー?」
「うん。コッペパン買ってきたよ」
才介は鮭を小さく切って、ご飯に乗せて食べた。
味噌の焼けた風味が冷めてもおいしく感じられた。
「なあ、松岡。オーディションっていつ受けるんだ?」
才介は昨日のカラオケルームでの出来事を思い出した。それについては少なからぬ興味がある。
「えと、クラスのみんなには黙っていてほしいんだけど」
そう忠告してから松岡は打ち明けた。
「明日の午後からなんだ」
「ええっ!」
才介と鈴木は同時に喫驚した。
「それは急すぎだろ?」
「えーとねー。オーディションを受けるってのは前々から決まってたんだけどー、千歳ちゃんが恥ずかしがって隠していたんだよー」
いつもの間延びした様子で、渡辺は教えてくれた。
「マジかよ、明日から……」
才介が二の句を継げずにいると、
「うはは。頑張れよ!」
鈴木は磊落に笑って応援した。
こいつは大物だな。いつでも笑っていやがるぜ。
才介がしげしげとそんな風に思っていると、
「才介も一緒に来る?」
松岡千歳からそんな提案が飛び出した。
「え?」
「真理子ちゃんはお店の手伝い、鈴木くんには将棋があるけど、才介はどうせ暇でしょ?」
才介の脳裏に、一瞬だけ月の化身が出現した。
青白い肌をしていて、灰色のスウェットを着た彼女の姿が。
「ああ、暇だよ。出発は明日か?」
せっかく小説を書いたのだ。出来れば今日は避けてほしい。
「うん、明日だよ。パパもママも来れなくなっちゃってさー」
「もう高校生なんだし仕方ねーよ」
そうやって口に出すと、改めて、もう高校生活も終わりなんだなと感じる。残りはあと一年だけだ。
「切符の手配は向こうが用意してくれるから、才介は手ぶらで来て大丈夫だよ。朝早いから気を付けてね」
松岡はやっぱり輝いている。夢に向かって努力しているからだ。
それなら俺にとっての小説はどうなんだ? 俺も輝くことが出来るだろうか。
才介はふとそんなことを思ったが、思考を中断して弁当を食べることにした。
渡辺の手料理はいつも通りおいしかった。




