序
男は山道を歩く。当ても無く彷徨う。枯葉を踏み締める音、風に吹かれザワつく木々。垂れる汗を袖で拭い、足を出す。
足元を跳ねるバッタ。男は器用にそれを捕まえると、麻袋に放り込んだ。
「これだけあれば……夕飯は持つな」
麻袋を覗き込み、にやりと笑った。
暫く歩くと、酷く窶れて倒れている人間を見つけた。それはまだ年端もいかない少女だった。ボロ布の寄せ集めのような、服とはとても言えない布の塊を纏い、ボサボサの黒い髪をだらしなく垂らした少女だった。
「うげぇ。面倒事かぁ?」
ベタベタとした髪を摘み上げ、顔を覗いてみるがどうやら死んではいない様。
少女は口をパクパクと動かしていた。よくよく読み取ると、水、と言っている様だった。
「……チッ、死んでた方が楽だったな」
男は鞄から瓢箪を取り出し、栓を抜く。そして乱雑に瓢箪の口を少女の口に突っ込んだ。
少女は瓢箪の括れた部分を握り締め、一心不乱に水を喉に流し込んだ。
プハッと一息吐くと、今度は腹を鳴らす。
男はまた舌打ちをすると、麻袋を開いた。
中身を見た少女は目を輝かせ、その中に手を入れ、一匹の昆虫を手に取った。足をもぎ取り、口に入れる。美味い。美味い美味いと、何度も繰り返す。虫や木の実、野草も貪る。
やがて麻袋の中身を全て平らげた少女は満腹になり、満足そうに微笑んだ。
「ああ、クソッ、やっぱり見殺しにするんだった…………」
男は静かに呟いた。
「じゃあな。誰か良い奴にでも拾って貰えるといいな」
腰を上げてまた歩みだそうとする男の袴の裾を少女は固く握った。
足を強く振り、少女の手を振り解く。何度も何度も繰り返す内、男が声を荒げた。
「しつけぇぞ! メスガキィッ!!」
かなりキツめに怒ったが、少女はにへらぁっと口元を綻ばせた。笑っていた。
男は喉を万力でゆっくりと潰されるような感覚に苛まれる。
「…………ああ、クソッ! …………勝手にしろ!」
男は少女なぞ気にも留めずズンズン先に進む。少女は男に置いていかれまいとトテトテと歩く。
男は時たま足を止め、食べられそうなものを採取し、麻袋に放り込んだ。水場を見つけると瓢箪に水を汲んだ。
「大きいな。此処で水浴びしておくか」
男は服を脱ぎ、布に水を含ませて体を拭く。それを後ろから見る少女。
「…………来い。臭ぇんだよ」
少女の纏っていたボロ布を力づくで剥ぎ取り、体を拭き始めた。すると、少女の背中に刻まれた黒い紋様の様な痣を目にした。
「………………ああ、お前、忌み子か。道理で捨てられる訳だな」
嘲笑うかの様に微笑した。鍋で水を掬い、少女の頭にぶっ掛けた。何度も、そして指で髪を解くように洗う。脂でベタベタだった少女の頭は多少のサラつきを取り戻すした。
少女の体を一通り拭いた後、着ていたボロ布を顔面に投げつけた。
「ほら、行くぞ」
とは言ったものの、男は少女を蔑ろにするかの様に先を急いだ。
少女も急いで布を体に巻き、再び走り始めた。
「日が落ちて来たな……」
太陽は沈み、地平線から辛うじて光が漏れる時間。
男は器用に木に登り、簡易キャンプを建てた。と言っても、ハンモックを渡し、ランタンを掛ける杭を打ち、バックパックを木に縛り付けた程度だ。
ふと下を見てみると、ピョンピョンと跳ねながら木を登ろうと頑張る少女が居た。
男はハンっと鼻で笑うと、旅の途中で拾った木の塊をナイフで削り始めた。
黙々と、削っていく。
ガリガリと。
ガリガリガリガリ。
やがて完全に陽の光は失せ、淡い月の明かりとランタンの射光石の灯りが頼りになっていった。
ガリガリガリガリ。
「……こんなもんか」
木の塊はナイフと男の手によって立派な竜の彫刻に姿を変えた。
それを丁寧にバックパックにしまう。人里に降りた時の貴重な収入源だ。
いざ寝ようとした時に、依然として聞こえる枯葉の擦れる音が聞こえた。
まさかと思いランタンの光を木の根元に当ててみると、少女が未だ木を登ろうと奮闘していた。
男は笑わなかった。
狼の遠吠えが聞こえる。男は眉間にシワを寄せると、大きな溜息を吐き、木から降りた。
「……ん」
ゆっくりと跼み、少女に背中を見せる。少女は何が何だか判っていなかった。
「ああ、クソッ!! 負ぶされっつう事だよ!!」
少女を力づくで背中に密着させ、自分と少女の胴をロープでグルグルと巻き、固く結ぶ。そして、木を登る。
ハンモックの上に乗ると、男はロープを解き、今度は少女にロープをハーネスの様にして結び、木と繋いだ。
「これで落ちねぇだろ。クソガキでも喰い殺されたら寝覚めが悪い」
へへっと乾いた笑いが込み上げた。キョトンとし、ポケーっと口を半開きにした少女が面白かったのだろう。
ペチンとデコピンをした。
「あうっ」
少女は目を瞑り、しばらく頭を揺らした。
男の口元が少し緩んだ。
ランタンの灯りを消し、ハンモックに横になる。
「お前、言葉は喋れるのか?」
右腕をアイマスク代わりにしながら、男は少女に問いかける。
「すこし……だけ」
「そうか。上等だ」
森に静寂が訪れた。