負の連鎖
昼に高く昇っていた太陽が落ち始めて、空が黄金色に変わり始める。
網目状に張り巡らされたまばらな雲。
それを眺めながら、俺は思い出深い魔法学園の運動場で静かに佇んでいる。
頭中に巡るのは、先程聞いた世界の話。
世界を救う為に、勇者の親友役になった。
勇者の親友役として、魔物と人間の戦争を止めた。
勇者の親友役として、人類を滅ぼそうとしている悪魔を討った。
そして、それらの行為は、世界を救う事とは、全く逆の行為だった。
真実を知る度に、本当の意味で世界を救う道へと近付く。
だけど、それと同時に、自分がいかにこの世界に対して無知で、その場限りの平和を求めて居たかを思い知らされる。
大切な仲間達が笑って居られる世界を守る為に。
人間と魔物が争い合わない世界を作る為に。
がむしゃらに走り続けて来た結果が……これだ。
(……寒いな)
頬をかすめる夕方の風が冷たく感じられて、ベンチの上で丸くなる。
それで温度が上がる訳でも無いのに。
だけど、体を小さくすると、現実の冷たさが緩和されたような気持になり、少しだけ安心した。
「ミツクニさん」
頭上から声が聞こえる。
本当なら顔を上げるべきなのだが、心が疲れてしまって居て顔を上げられない。
「横に座りますよ」
再び聞こえる声。それに少し遅れて、木製のベンチがギシリと音を立てる。
ああ、そうだ。
まだ何も知らなかった頃は、こうやってヤマトとこのベンチに座ったなあ。
あれから大して時も経って居ないのに、あの頃が昔のようにさえ思える。
「寒いですか?」
こちらに声を掛けて来る女子。
俺は丸まったまま、口だけを動かす。
「うん」
だだ、その一言。
少しの沈黙。
黙って居ると、横に居る女子からゴソゴソと布切れ音が聞こえて来る。
「えい」
その声と同時に、俺の掌に高温の何かが押しつけられた。
「あっつぅ!?」
突然の刺激に思わず顔を上げる。
そんな俺の瞳に映ったのは、クスクスと笑って居る女子高生。
家庭的ヒロイン、サラ=シルバーライト。
「やっと顔を上げてくれましたね」
緑色の髪を揺らしながら、コクリと首を傾げるサラ。その綺麗な微笑みを見て、恥ずかしくなり頭を掻く。
「どうぞ」
サラが持っていた物を再び差し出す。
それは、茶色の液体が入っていた、白い陶器のカップだった。
「……ありがとう」
カップを受け取り、ゆっくりと液体を飲む。甘くて苦いその液体は、高熱のまま喉を通り過ぎ、体の内から体を温めてくれた。
「美味しい」
「私特製のココアです」
料理のカリスマ特製のココアか。
もしかしたら、俺はこの世界で一番美味しいココアを飲んで居るのかも知れない。
「温まりましたか?」
「うん。ありがとう」
もう一度お礼を言って、ココアを飲む。
本当に温かい。
冷え切ってしまった俺の心も、溶かしてくれるかのようだ。
だけど……
「なあ、サラ」
「何でしょう」
彼女には、聞いて置かなければいけない事がある。
「ヤマトの事なんだけど……」
異世界勇者、ヤマトタケル。
俺が悪魔側に寝返る前の勇者であり、今も人類の為に悪魔と戦って居る。
「……」
俺の気持ちを読み取り、寂しそうな笑顔を見せるサラ。
そんな彼女の口から出てきた言葉は。
「ヤマトさんは……壊れてしまいました」
予想通りの言葉。
覚悟は決めて居たのだが、現実にそれを見て来た人間の確証を得て、落ち込んで居た心に止めが刺されてしまった。
「やっぱり……そうなのか」
自分に言い聞かせるように言って、俯く。
その女の子は、他の人より魔力が高く、剣術が得意なだけの人間だった。
俺はそんな女の子の親友役になり、勇者にする為に尽力した。
そんな俺の行為が実り、女の子は沢山の人間を守れる偉大な勇者になった。
だけど、その女の子は、沢山の人間を守りたいから勇者になった訳じゃ無かった。
全ては、自分の大切な人の為に。
自分が勇者にならないと、死んでしまうかもしれないその人の為に。
女の子は……勇者という『存在』になった。
そして、女の子が守ろうとして居た人間は、今彼女の事を裏切り、彼女が敵対している悪魔の味方になって居る。
「……そりゃあ、壊れもするさ」
ゆっくりと立ち上がり、夕陽を見つめる。
「本当に……俺はゲス野郎だな」
帝都で言われたその言葉。
今の俺にぴったりな言葉過ぎて、鼻で笑ってしまう。
結局俺は、この世界を救う為に、彼女を利用していただけなんだ。
「ゲスで……キモオタで……自分勝手だ」
笑う。
情けない自分を、ただ笑う。
それで、何かが変わる訳でも無いのに。
「……ミツクニさんの裏切りを聞いてから、ヤマトさんは憑りつかれたかのように、悪魔を滅ぼし始めました」
サラが語り始める。
「そして、その活躍がキズナ遺跡の皆を奮い立たせて、皆は一丸となって、ヤマトさんと共に悪魔を討ち始めました」
ふうと息を付き、サラが俺を見る。
「それがエスカレートして行って……」
そこまで言って黙る。
だけど、言わなくても分かってしまった。
「皆を裏切った俺が、キズナ遺跡内で、悪魔の権化のような存在になったと」
「……そうです」
だから、フランはあの時こう言ったのだ。
キズナ遺跡から『脱出した』と。
「……何だかなあ」
ココアを一口飲み、反対の手で頭を掻く。
「俺ら側から見れば勇者ご乱心とも取れるけど、勇者側の視点から見れば、それが正常すぎて何も言えないなあ」
「そうでしょうか?」
即座に疑問形で返して来るサラ。
「私はミツクニさんの事を知って居ます。だから、ミツクニさんが裏切ったと聞いても、大切な理由があるのだと思い、それを手助けする為にここに来ました」
サラが視線を空に向ける。
「だけど、ヤマトさんはそれをしなかった。それは、勇者として親友を信じなかったと同じ事。つまり、乱心したと取れませんか?」
その言葉に対して、俺は首を横に振る。
「乱心じゃないよ。ヤマトは勇者として、自分の出来る事をしようと……」
「どうして、ヤマトさんを庇うのですか?」
俺の言葉を遮るサラの言葉。
その言葉は、いつも温厚なサラが見せた、怒りがはっきりと見える言葉だった。
「ミツクニさんも、本当は分かって居るんでしょう?」
その言葉が、俺の心に突き刺さる。
……
分かっている。
分かっているさ。
ヤマトは思うようにいかない現実から、目を逸らして……逃げたんだ。
だけど、それの何が悪い?
ヤマトにはヤマトの正義があって、俺はその反対に正義を見出した。
それだけの事だ。
この出来事で、俺がヤマトを恨んだり憎んだりするなど、ありえない。
俺にとっては今までと変わらずに、ヤマトは親友のままだ。
「……ヤマトはさ」
ゆっくりと、空を見上げる。
「ヤマトは……心で泣く奴なんだよ」
それを言った瞬間、一つの名字が脳裏によぎる。
その名字と深い因縁を持つ……三人。
一人は、他人に世界を救わせる事に責を感じて、嫌われ者を演じ続けた。
一人は、自分の望みよりも、大切な人の望みを叶える為に、その人から離れた。
一人は、大切な人の為に努力したのに、報われなかった。
レインハート。
彼女達の根底にあるその名字は、彼女達が隠している心の象徴のようだった。
「……ったく」
吐き捨てるように言って、ため息を付く。
「要するにだ! 全部世界が崩壊しそうなのが悪いんだ!」
細かい事を考えるのはもう面倒だ!
それぞれに思う所はあろうが! 結局は皆世界を救う為に行動して居るんだ!
だったら! まずそれをやってしまえば良い!
その後で! 殴り合ったり抱き合ったり鉄球投げたりすれば良いさ!!
「救ってやる! 救ってやるぞぉぉ!」
空に向かって叫び、サラの方を向く。サラは俺を見ながら、口に手を当てて微笑んで居た。
「そう言う事だから、俺は今から世界を救おうと思います」
「はい、分かりました」
嬉しそうに言った後、サラはゆっくりと立ち上がり、俺の前まで歩く。
そして、くるりと振り向き、俺の前で黄金色に包まれた。
「サラ……手伝ってくれるか?」
「ええ。その為に来たんですから」
いつも優しいサラの声。
表情は夕暮れの光で見えないが、きっと微笑んで居るだろう。
冷たかった俺の心は解けて、今は黄金色の夕日のように温かい。
きっとこれが、『幸せ』と言う感情なのだろう。
……だけど。
幸せという言葉は、あまりにも……脆い。
「……!?」
サラに向けて微笑もうとした、その瞬間。
目の前に広がる『青』。
「ミツクニさん……!!」
青い光の奥でサラが叫ぶ。
目に映ったのは、青い光で拘束されたサラ。
まさか、この光は……
「やっと……見つけた」
聞き覚えのある声。
いや。
聞き覚えなどと言う曖昧なものでは無い。
その声の主を、俺は誰よりも知って居る。
「ずっと、探して居たんだ……」
ゆっくりとこちらに歩き、サラと俺の間で立ち止まる女子。
同時に拘束されて動けない俺を見ながら、抜け殻のように微笑む。
「会いたかったよ……ミツクニ君」
手に持った剣が夕日に反射して鈍く光る。
彼女の名前は、ヤマト=タケル。
人類の敵である悪魔を狩る、この異世界の勇者。




