親友役は相変らず弱いです
鬱蒼とした森の中から、小さな息切れ音が聞こえて来る。
誰の息切れかって?
俺のです。
「うおおおおおお!!」
枝分かれした獣道を潜り抜けて、ちらりと後ろを見る。
後ろからは何も追って来ない。
しかし、すぐに横からの気配に気付き、右上に視線を送る。
そこから現れたのは、猛獣の左腕。
「どっはぁぁぁぁ!」
頭を下げて前に飛び込み、くるりと一回転する。
猛獣から放たれた一撃は深く地面を抉り、その場に大きな窪みが出来ている。
身体強度の低い俺がそれを食らったら、一瞬で半身を持って行かれただろう。
「ふうぅぅ……」
ゆっくりと正面に回り込んだ猛獣を見ながら、静かに息を整える。
猛獣、ライノシシ。
突き出た鼻に大きな牙。体は黄色の毛で包まれている。全体像だけで言うのならば、ライオンとイノシシを足して割ったような体格だ。
(この名前……前任の異世界人が付けたよな)
そんな事を思いながら鼻で笑うが、視線はライノシシから外さない。
微動だにしないお互い。
森のせいで視界が悪く、下手に飛び込むと返り討ちに合う事を分かって居るからだ。
(とは言ってもなあ……)
どちらかが動かなければ始まらない。
ライノシシとの距離は三メートルほど。
この距離では俺の方が不利なので、何とかして距離を空けなければいけない。
「はっ!」
素早く腰から銃を抜き、牽制の銃弾を放つ。
ライノシシが見た事の無い攻撃のはずだが、そこは野生の獣。すぐに危険を察知して、左の茂みに飛び込んだ。
(よし!)
相手の姿は見えなくなったが、これで距離を空ける事が出来た。後は全力で茂みを走り抜けて、自分に有利な場所まで移動すれば……
「ボァァァァ!」
左の茂みからライノシシが飛び出し、俺に向けて右前足を振り上げる。
俺は咄嗟に右手のシールドを全開にして、正面で攻撃を受け止めたが、衝撃までは止められず、後ろにあった大木に打ち付けられた。
「ぐうううう……!」
背中に走る激痛。それでもすぐに立ち上がり、大木の後ろに回り込む。
ズキズキと痛む背中。思わず意識が飛びそうになるが、気力で意識を保つ。
「ったく、何で今日に限って……」
途中で言うのを止めて、ふっと笑う。
いつもなら誰かが狩りに同伴してくれるのだが、今日は皆用事があって一人だった。
(親友役ってのは、こうなる運命なのか?)
何故かは分からないが、俺が単独で行動をすると、必ずトラブルが起こる。
それとも、俺が自らトラブルに顔を突っ込んで居るだけなのだろうか?
「……」
考える事を止めて、意識を戦闘に戻す。
背にしている大木の奥から伝わってくる、ライノシシの気配。
自分が生きる為に、相手を殺すという覚悟。
最近は神経を研ぎ澄ますと、そういう感情が読み取れるようになった。
(相手も生きる為。俺も生きる為だ)
命のやり取り。
親友役になったばかりの頃は、殺生を行わないように努力していた。
だけど、様々な経験を経て学んだ。
生きる為には、時に命を奪わなくてはいけない事もあると。
(……良し!)
気持ちを改めて、懐から手榴弾を取る。
選んだのは、スタングレネード。
スモークグレードでは、五感が優れている相手の方が、有利になるという判断だった。
(ほいと)
大木の横にコロリと手榴弾を転がす。
微動だにしないライノシシ。
爆発と同時に強い光が発生して、ライノシシは唸り声を上げて立ち上がった。
(今!)
大木から身を乗り出して、ライノシシに向けて銃弾を放つ。
がら空きの脇腹に二発。
しかし、ライノシシの皮膚が予想以上に厚く、大したダメージは入らない。
「それなら!」
銃口を下に下げて、再び二発。
今度は後ろ脚に二発当たり、体を支えられなくなったライノシシがその場に転倒した。
「おおぉぉぉぉ!」
銃をしまうと同時に走り出して、左右のシールドを展開する。
横ばいに倒れたままのライノシシ。
俺はがら空きの腹に両手を押し付け、シールドをブーストさせて、ライノシシを吹き飛ばした。
「ブオオオオオオオオ!!」
森に響き渡る猛獣の悲鳴。
ライノシシは大木に身を強く打ち付けたが、追撃しようとした俺に気付き、素早く立ち上がる。
再び対峙する二者。
恐らく次が、最後の一撃となるだろう。
「……良い勝負だったよ」
ボロボロの体でこちらを見るライノシシ。
「だけど、俺も譲れないんだ。仲間の為に、お前を狩らせてもらう」
腰の双銃にゆっくりと手を掛ける。
負傷した猛獣。次の攻撃は避けられないだろう。
それでも、猛獣の目は全く曇らない。
ただ一心に、最後まで生を全うする為に、凛とした姿でこちらに向いている。
(……立派だな)
これが、日々を生きる為に戦っている獣。気を抜くと一瞬の隙を付いて、俺の方が狩られてしまいそうだ。
(今日は……一人で良かったな)
思いがけない猛獣との死闘。
彼には俺が忘れかけていた、リアルな生死のやり取りを、改めて教えられた。
今はもう、感謝の気持ちしか浮かばない。
だからこそ……!
「行くぞぉぉぉぉ!」
力の限り叫び、双銃を構える。
最後の咆哮をするライノシシ。左右の銃口から撃ち出される銃弾。
放たれた鉄の塊は、ライノシシの腹を何度も撃ち抜き、ライノシシがその場に倒れ込んだ。
「……ふう」
動けなくなったライノシシに近付く。
絶命前のゆっくりとした時間。
彼の瞳から、静かに光が消えて行く。
「……ごめんな」
そっとライノシシの頭に手を乗せる。
気持ちよさそうに目を閉じるライノシシ。
それを見た瞬間に、小さな悲しみが俺の胸に突き刺さる。
「ありがとう」
言った後、ポンと頭を叩く。
ライノシシはフンと鼻を鳴らした後、少しだけ嬉しそうな表情で生命を散らした。
「……」
動かなくなった獣を前に、言葉が出て来ない。
多分、一人だからだろう。
一人だから、いつもと同じ狩りなのに、こんな気持ちになるんだ。
(……うん)
感傷に浸るのはここまで。
今日の夕飯は、無事に手に入れた。
後はこいつを持ち帰って、敬意をもって料理する……
「ミツクニ君?」
突然声が聞こえて、ビクリと体を震わせる。
振り向いた先に居たのは、一人の女子。
勇者、ヤマト=タケル。
「どうしたの? こんな所で」
俺はこんな場所で出会うと思って居なかったので、上手い言葉が出てこなかった。
「……ミツクニ君、泣いてるの?」
それを聞いて、ハッとする。
慌てて拭った頬には、少しの雫。
俺は目をパチパチさせて涙を乾かすと、いつもの笑顔を作ってヤマトに向けた。
「いや、ちょっとこいつと語り合ってだな」
「ふふ……何それ」
笑いながらヤマトが近付いて来る。
しかし、目の前に倒れている獲物を見て、瞳を大きく見開いた。
「ライ……ノシシ?」
その表情に首を傾げて見せる。
「ヤマトはこいつの事を知ってるのか?」
「知ってるけど、ミツクニ君は知らないの?」
「ああ。名前だけは知ってたけど、詳しい事は何も知らない」
言った瞬間、ヤマトが口をパクパクさせる。
「何だ? こいつに何かあるのか?」
「何かって……」
ヤマトは少しの間言葉を失って居たが、やがて口を開いた。
「ライノシシは、危険度Sの超獣だよ?」
「は?」
意味が分からずに、再び首を傾げる。
「危険度S。腕のある戦士や魔法使いでも、一人では狩れない猛獣の事だよ」
それを聞いて、俺はしまったと思った。
「ミツクニ君、こいつを一人で倒したの?」
「……そ、そうだけど、出会った時には、既に弱って居てさ」
「ライノシシが?」
「ああ」
「幻森の王が?」
「二つ名持ちかよ!」
こいつは不味い。
ヤマトにとって、俺は弱いはずの存在。
ここで『あの事』に気付かれる訳にはいかない。
「いやーついていたなー! 弱っていたおかげで、何とか勝てたー!」
陽気な声を上げながら、頭を掻いて立ち上がる。
否。
立ち上がろうとしたが、背中に激痛が走り、尻餅をついてしまった。
「ミツクニ君!」
「大丈夫だ。ちょっと背中を痛めただけ……」
話の途中で、ヤマトが俺に抱き着いて来た。
(ふおおおおおお!?)
意識が飛びそうになる俺。
それに遅れて、温かい光が俺の事を包み込み、背中の痛みを和らげる。
「本当に……! 心配させて……!」
半泣きで光を放つヤマト。
八尺瓊勾玉。
勇者であるヤマトだけが扱う事の出来る、回復のチートアイテムだ。
「一歩間違ったら死んでたんだからね!」
「……ごめん」
「ごめんじゃない! 何も分かって無い!」
「それでも、ごめん」
「ごめんじゃ……!」
痛みが消えて、光も消える。
完全回復。
それでも、ヤマトは離れようとしない。
「……ヤマト」
その声で離れてくれるヤマト。その顔は、涙でクシャクシャだった。
俺は小さく笑った後、頭をポンと叩く。
「悪かった。これからは気を付けるから」
その言葉にヤマトが渋々頷く。
正直、迂闊だった。まさかこいつが、そんな強者だったとは。
一カ月前の俺だったら、狩られて居たのは俺の方だったろうな。
「よし!」
大きく頷き、元気に立ち上がる。
「今日は運良く大物が取れた! 帰ったら肉パーティーだ!」
俺の楽しそうな声を聞いて、ヤマトがやっと笑顔を取り戻してくれる。
「ヤマト! この獲物はお前が持ってくれ!」
「えー。重いから嫌だよ」
「そう言うな! 俺じゃあ持てないから!」
「ミツクニ君、貧弱だもんね」
ああ、そうだよ。
俺はこの世界の人間に比べて貧弱だ。
ましてや、勇者とは比べるまでも無い。
「さあ、帰ろうぜ」
ヤマトはその言葉に頷き、俺が苦労して倒したライノシシを片手で抱え上げる。
強きは勇者。
弱きは親友役。
今はまだ、それで良い。




