魔界の王と秘書
薄暗い室内に玉座が一つ。
玉座には漆黒の立派な角を持つ獣が一匹座っている。
体は熊のように大きく、手足から生えている爪は太く長い。その爪の一撃を受けただけでも致命傷を負うだろうと、容易に想像がつくほどに狂気的だ。
茶色い毛並みに、顔は百獣の王を思わせるそれだ。耳からやや上の方には一本ずつ角が生えており、王に忠誠を誓う民を、錆色の瞳で見下ろしている。
「……村を襲撃する」
王は低く響く声で告げ、席を立つ。
首と両腕、両足に太いリングがはめられているその姿は、まるで何かに拘束されているようだ。
腰には魔物の皮で出来た腰巻を身に着け、首にある太いリングに取り付けられている暗い青色の布は、背中に広がっていてマントのように見える。
五つの赤黒いリングは、王の魔力を制御する力があると言われている。
制御しても尚巨大な力を持つ王は、この魔界、魔物達の頂点に君臨するに相応しい魔王だ。
魔王は、自分にリングを付け、力の一部を封印した人間を憎んでいた。
人間達から恐れられ、平等な扱いを受けられなかった魔物達もまた、人間を忌み嫌っている。だからこそ、積極的に人間を絶やそうとする王を皆尊敬していた。
「決行は明日の黄昏時だ。それまでに各自備えておけ!」
王が声高に叫ぶと、周りの魔物達から怒号のような雄叫びが一斉に上がる。
その光景を見ながら、王は陰の差した笑みを浮かべる。
(人間共、今に見ていろ…このオレサマがキサマらを必ず滅ぼしてやる…!!)
▼▼▼▼▼▼▼▼▼
自室に戻り、大きい座椅子に座って一息ついていると、秘書のアンスがやってきた。
「お疲れ様です。ウォーマ様。いよいよ明日ですね。何か問題などございませんか?」
しわがれた老人のような声でアンスは問う。
全身を漆黒のローブで隠し、相変わらずフードを深く被っていて顔がよく見えない。
おまけに背も自分より小さいので、自分が立っている時は余計に見えない。
「ああ、大丈夫だ。魔法陣の組み立てももうできている。あとは瞬時に移動して、奴等を皆殺しにするだけだ」
「しかし…空間移動の魔法はかなりの気力と体力を消耗してしまいますから、明日はご無理なさらないでくださいね」
アンスが心配そうに言う。
魔物や人間の魔法使いとやらの中でも、空間移動の魔法を使える者は稀だ。
この自分でも、この魔法を使う時だけは詠唱が必要になる。
「オレサマを誰だと思っている。あの距離ならこの国にいる魔物全員と移動したって、なんの苦にもならん」
「ですが…明日の村は少し距離がある方ではありませんか…?」
「黙れ。オレサマが決行と言ったら決行だ。村を一つ一つ潰していけば、この忌々しいリングを付けた奴もいずれ殺すことができるだろう」
このリングを付けた者が誰なのか、自分にはわからない。
記憶がないのだ。気づいた時は既にリングがはめられており、燃え盛る炎の中に一人いた。
そこはどこかの村だったようだが、全て焼き尽くされてなくなった。
もしかしたら、そいつもその村と一緒に燃えて、もうこの世にいないのかもしれない。
そうも考えるのだが、どこかで生きている気がする。このリングから、それを感じるのだ。
アイツはまだ生きている…
「このリングが付いてから、魔法に制御がかかるようになった。昔より体力もなくなった…今まで魔法全般は扱えていたのに、今じゃ水と風系統しか上手く操れない…コイツのせいで、力が弱まったと思った連中が王の座を狙って、何度襲撃してきたかわからない。親しき友や仲間がそのせいで死んだ…全てはこのリングが元凶だ。人間共は必ずオレサマが全て殺す」
目元と鼻に皴を寄せ、犬歯をあらわにしながら殺気を込めて言う。
そんな自分を見て、アンスは少し狼狽えながらも、杖を上へ少し掲げて得意げに言う。
「このワタクシ、アンスも、ウォーマ様のお役に立てるよう尽力致します。それに、炎と雷ならワタクシにお任せくださいませ」
枯れていく花をモチーフにした約一メートル半程の杖は、黒と紫がない混ぜになった配色で、なんとも不気味な仕上がりになっている。
杖の先端についている花は、花びらが萎れ、下にへたっている形をしている。
パッと見ただけでも不気味だが、更に不気味なのは、この杖には意思があるということだ。
なんでも使用者を選ぶらしいのだ。気が合わない使用者に使われると、魔法が勝手に暴発したり、とても体が重くなって気力を奪われ、幻覚や幻聴まで現れて、死に追い詰められることもあるそうだ。
その時の杖の色は、使用者の疲弊に比例してだんだん赤黒く染まっていくのだとか…なんとも恐ろしい杖として有名で、誰も手にしようとはしなかった。
そんな杖は、武器としては使用されなくなり、魔王城に飾ってあるだけになっていたのだが、アンスがここにやってきた時、この杖を手に持ってみたいと言い出した。
彼はすぐにこの杖を気に入り、誰も使っていないのなら使わせて欲しいと言われたので、そのままあげた。
どうせすぐに泣き言を言ってくるのだろうと思っていたが、彼はこの杖を見事に使いこなし、この杖を介せば詠唱なしで魔法を使うことができるようになった。
そして、今自分の秘書という立ち位置まで上り詰めた男だ。
知力にも長け、策略や交渉も上手い。魔法の威力もかなり高いので、アンスの事は信頼している。
「ああ。いつも通り任せたぞ、アンス」
「御意…」
「オレサマは明日の支度をしてからもう寝る。アンスもしっかり準備をしておけよ」
「魔法陣はいかがなさいますか?もうお休みになられるのなら、ワタクシめがご用意させて頂きますが…」
空間移動の魔法は少し複雑だ。一般的な魔法の知識と魔力では魔法陣は書けない。
詠唱や、魔法陣の書き方を少し間違っただけでも、全く違う所へ飛ばされてしまったり、移動すらできないこともある。
そして、最悪なのは、体の一部だけを転送される時だ。
アンスの知力と魔力は水準より高い方なので、何度か書かせてテストをしていたが、アンスはどれも成功していた。
一瞬自分で書くか悩んだが、明日に備えて気力と体力を温存しておく必要がある。
ここは任せてみることにした。
「うむ…では、任せるとするかな…陣はこれを使え。絶対に失敗するな」
「御意。細心の注意を払って書かせて頂きます。それではウォーマ様、おやすみなさいませ」
「うむ」
飛び先用に組み立てた魔法陣の設計図をアンスに渡すと、アンスはそれを受け取り、一礼して部屋を出て行った。
広々としたベッドに寝転がり、明日の光景を思い浮かべる。
人間達がうじょうじょいる町へ突然魔物の集団が現れ、泣き叫びながら逃げ惑う人間達を思い浮かべる。
その中に、この呪われたリングをつけた奴も入っているはずだと思いながら、眠りに落ちた。