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空から餅が降っていた。お正月に飾るような鏡餅とか、保存用の四角く切って固くなった餅とかではなく。突きたての丸餅が、空からぼとぼととまるで雨のように降ってきていた。柔らかいのが唯一の救いだろうか。
そして目の前には、修羅場ってる一組のカップル。女の方が両手で包丁を握って、何か叫んでいる。
「なんでメール返してくれないのなんで電話返してくれないのなんで無視するの浮気してるの浮気してるからケータイ見せてくれないんだ酷い酷いそんな君なんて殺してやる!」
「お、落ち着けって。電話とかメールとか、頻繁にされても全部には返せないって」
「電話は必要最低限しかしてないしメールだって週に1回するかしないかくらいじゃない!!」
なにこれカオス。
餅が降ってんのは、きぃ君が発明した餅降り装置のせいだろう。じゃあ放置で良い。じき止むだろ。なら次は目の前のカップルである。すぐにでも加害者と被害者って関係になりそうな。んだよこれ、意味わかんねぇんだけど。
ちら、と後ろを見る。後ろには俺が暮らしてる寮があり、寮の玄関では降ってくる餅を大きな器で受け止める寮母さんがいた。寮母さんは俺の視線に気付くと、早く収めろとでも言うかのように顎でカップルを差した。
はぁ。溜め息が止まらない。
初めは寮母さんに、隊長捕獲の任務をサボってることを怒られてただけなのだ。いつまでも俺が、隊長探しても無駄だからーって任務放置してたら、いつになったら任務完了するんだい!て拳骨付きで。ちなみに拳骨はスゲー痛かった。悪の組織に居るだけあるよな。どう殴ればメチャクチャ痛いか、ちゃんと理解してやってるあたり、寮母さんスゲー怖い。
まぁそんな感じで寮母さんから説教を受けてたら、悲鳴が聞こえたわけだ。ちぇすとぉぉぉ、という怒鳴り声と共に。突然の悲鳴と怒鳴り声に、俺と寮母さんは顔を見合わせてから声がした方に向かった。ただ事じゃないってのは、一目瞭然ならぬ一声瞭然だったわけだし、ほっとくわけにもいかねえし。
そんで行ってみれば仲良しカップルで有名な男女が、包丁片手に喧嘩してるわけだ。包丁持ってるの女だけだけど。こりゃめんどくせえことになるな、と思っていれば寮母さんが二人に近付く。そして、喧嘩するなら外でやり!という声と共に寮の外に放り出した。カップルと、何故か俺も。え、と寮母さんを見やれば仲介してやりなと言ってそれから我関せず。絶対めんどくせえから俺に押し付けたよな、寮母さん。仕方ないからとりあえず喧嘩の内容を知ろうと、俺はカップルを眺めてたわけだが。
現状、これである。女が包丁を振り回し、男が軽い身のこなしで避ける。話は平行線。これ俺が口出ししても馬に蹴られるだけだよな。いっそ男が刺されれば、救急車呼ぶなりで話を強制的に打ち切れるんだけどなぁ。
あー、めんどくせ。
「なぁそこのカップル男」
「カップル男って俺のことです?」
彼女の猛攻を軽々かわす男に声をかける。どうやら会話する余裕はあるようだ。その余裕に女は余計怒ってるけど。
「お前さぁ、浮気したの?」
「してませんよ彼女一筋ですから」
嘘つきぃぃぃ!と女が大きく包丁を振りかざす。男は容易くそれを避けてみせた。それぐらいできるなら、彼女を押さえ込むのも楽そうだがなぁ。半眼で男を見れば、ちらとこちらに視線をやった男が薄く笑うのが見えた。あーはいはい、ご馳走さま。
「なにわざとかよ」
「いえ、ただの事故だったんですけど」
ケータイ、壊れちゃったんですよねぇ。男は溜め息と共に言う。
「じゃあ素直にそう言えよ。なんで最初誤魔化そうとしたんだよ」
「あー…」
男は数秒の間悩むように口ごもって、怒れる女を見ると、渋々というように理由を告げた。
「サプライズを用意してたんですよ」
はあ?思わず顔が歪む。今日の俺はちょっと機嫌が悪いのだ。朝から寮母さんに怒られるし、せっかくの休日にカップルの喧嘩に巻き込まれるし、夏はもうすぐ終わるし。そんなときに変な回答されたら、俺激おこなんだけど。イライラして足を小刻みに揺らす。それを見た男が苦い笑みを浮かべた。
「いや、今日がちょうど俺達付き合って1年目になるんですよ。だから彼女に内緒で色々準備してたんですけど、そんなときにケータイ壊れちゃって。しかも、データが全部ぶっとぶ壊れ方してて、彼女の電話とか受けとるために1度彼女と会う必要があったんですけど、でもサプライズ準備してて会ったら絶対表情とか諸々でバレそうで会うに会えず。会えないから電話とかも出れず。で、そんな理由話せば当然サプライズのことバレるじゃないですか」
バラせよ。そう思った俺は悪くねえはずだ。
気付けば周りが静かになっていた。餅の雨は止み、包丁を振り回す女も止まっている。カップルは、互いに向き合い見つめ合っていた。
「そ、そんな…私のため、だったの?」
「違う俺のためだ。俺がお前の喜ぶ顔が見たくて、勝手に。でもごめんな。それでお前を不安にさせてたんだな」
「…ううん。確かに不安だったけど、でも、嬉しい」
女が包丁を放り捨てる。それから男に飛び付いた。男は優しく女を抱き止めて、再度ごめんなと謝った。気のせいか、周囲はキラキラと柔らかな光が差していて、二人は嬉しそうに互いに微笑を浮かべていた。
なにこれカオス。
俺は近くにあった餅を拾うと、全力でカップルに投げつけた。
しっかり暗記している番号を押し、最後に通話ボタンを押す。
「なぁはーちゃん。俺、サプライズだけは絶対しねぇ。争いの元だ。うん。うん。はーちゃん大好き」