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周囲に甘い匂いが充満している。フルーツのような爽やかな匂い。生クリームのような舌に残る匂い。砂糖を煮詰めたようなねっとりとした匂い。いろいろな甘い匂いがそれぞれに混ざり合って、胸焼けしそうなほど濃厚になった匂いだ。よっぽどな甘党じゃないかぎり、此処にいるのはつらいだろう。
そんな匂いの発生源に視線をやる。視線の先にあったのは、全てが甘味でできたお菓子の街だった。
「毎度思うけど、毎度毎度すっげーもん作るなぁ。街をお菓子にしちゃう装置とか、どうやったら作れるんだよ」
同じようにお菓子となっている家の屋根に座りながら、俺は感嘆と少しの呆れを込めて呟いた。
今回の俺の任務は、新人君の様子を見ながら組織の科学者、というかきぃ君が発明した広範囲の物質をお菓子に変化させる装置を使って、街をお菓子の街にすることだった。街をお菓子の街にするなんていっそくだらなさが漂うようなふざけたものを実際に作っちゃうきぃ君もきぃ君だけど、それを大真面目に任務と称してやっちゃう俺らも俺らだよなぁ。
近くにあった家の壁(チョコチップクッキーだった)を剥がして食べながら、街の中を歩く。街の中はそれこそ阿鼻叫喚地獄絵図。老若男女問わず大騒ぎだ。まぁ悪の組織の街じゃなきゃ、これが普通だよな。
「うわぁ、凄い凄い!お菓子の家だぁ!お菓子がいっぱい!」
「うあああ……彼女に渡そうとした結婚指環が…琥珀色と乳白色の飴菓子に……」
「おやおやまぁ、まるでヘンゼルとグレーテルのお菓子の家みたいねぇ」
「体重なんて知るかぁ!今日はスイーツパラダイスじゃあ!!」
あれ、結構楽しんでんね皆さん。若い青年はご愁傷さま。次回頑張れ。
時々街のテンションにつられて襲ってくる奴を、技術者から貰った小型生クリーム砲で撃退しながら目当ての人物を探す。新人君達はそれなりに上手くやっているようだ。お祭り騒ぎの街中から、愉快な台詞が聞こえてくる。
「あ、クロ君みっけ」
「げ」
俺が放った生クリームと、街の人達が高いテンションで放り投げたお菓子とでどろどろになった道を歩く、黒ずくめの男を見つけた。
何か考えるより先に声が出る。俺に呼ばれたからか後ろ、つまり俺を見た男は、嫌そーに顔をしかめた。失礼じゃね?人見るなり渋面とか失礼じゃね?
ちょっぴりムカついたので、全力ダッシュで飛びかかってやった。
「こーんにーち、はぁぁぁあああ!」
「そんなどろどろの状態で俺に飛び付くなぁぁぁ!」
相手の気持ち?そんなの無視無視。男の真っ黒な衣装が生クリームとかで白くなるのも気にせず飛び付く。
さすがというべきか、結構な勢いで飛びかかったにも関わらず、鍛えられている男の身体は傾くことなく、俺を受け止めた。おっかしいな、俺だってそれなりに身長とかあるのに。あれ、俺ってひょろい?
頭に疑問符乗っけて自分の身体について思案していると、真っ黒な衣装に目立つクリームを手で落としながら、男が俺の首根っこを掴む。猫のような扱いに、お?と思っていればバリバリっと彼から引き剥がされた。そんで隣に立たされる。
「で?いつものことだが、悪の組織の構成員が何の用だ」
「そんなの、いつものことながら単独行動してる正義のヒーローにちょっかいかけに来たに決まってるじゃん?」
べしっと力いっぱい叩かれた。頭を。いってー、これ以上馬鹿になったらどうしてくれんだよコノヤロー。ジト目で隣の真っ黒ヒーローを見る。真っ黒ヒーローはヒーローに似合わぬ人を小馬鹿にしたような顔で、ハッと笑った。
黒ずくめの男。改め、正義のヒーローブラック。それが俺がクロ君と呼ぶ男の正体だ。戦隊系ヒーローでありながら、結構長い間単独行動をしている不思議な奴。まぁ、今回の俺みたいに新人君育成を任されてるってことなんだろうけど。
「にしても、今回もまた随分と非常識なことをやらかしてくれたな」
「痛い痛いクロ君ちょっと会話するならその手止めて痛い!」
平然とした顔で話し出したけど!それ人の頭グリグリ苛めながらする顔じゃないけど?!ベシリとクロ君の腕を叩いて抗議する。というか、懇願する。当然というべきか、正義のヒーローであるクロ君は身体をしっかり鍛えているので、少し力を入れただけでも頭が潰されそうなぐらい痛いのである。
クロ君に比べれば非力ながら、全力で叩いていればクロ君の溜め息と共にようやく解放された。やば、解放されてもずきずきするんだけど。
「街をお菓子に変えるなんて、今時小学生でも考えないだろうに。よくまぁ、毎回こっちが考えもしないことやってのけるよな」
「それほどでも。てか会話続けんの?俺頭痛いから帰りたいんだけど」
「どうせ帰れんだろうまだ」
わかったように言われて、ぐぅと唸る。俺がクロ君のことをわかっているように、クロ君も俺のことをそれなりにわかっているのだ。そこそこに付き合いが長いから。
仕方ないのでクロ君と会話を続ける。
「で、なんだっけ?お菓子の街がうんたら?」
「お前、よく聞きもせず相槌したな?よくお菓子の街なんてとんでもないこと考え付いたな、て言ったんだ。また、お前らのボスが考えたのか?」
「隊長のこと?そうだなー。これも原案は隊長だったわ」
たしかそんなことを、任務直前装置を渡された時にきぃ君から聞いた気がする。任務内容とかだいたいわかるって半分以上聞き流してたしなぁ。
「はぁ、お前らのボスってどんな奴なんだ。1回頭の中覗きたいな」
げんなりとした様子でクロ君が呟く。その呟かれた疑問に、俺は思ったことをそのまま言った。
「隊長は、子供みたいな人なんだよ」
「子供?」
「そ。好奇心旺盛で、気になったこと手当たり次第全部手を出していく、ちっちゃい子供」
少し昔のことを思い出す。子供みたいな、無邪気な笑顔で、俺の手を引いてくれた隊長の姿。まるで遊びに誘うかのように皆を引っ張る、その姿を。
「誰も考えないような、考えても行動にはしないようなことを、大真面目に、人の目なんて気にせずにやっちゃうような人なんだ。それが気になることなら。楽しそうなことなら。心の赴くままに。皆を巻き込んで」
「それで被害がでてるわけだがな」
「ちゃんと毎回片付けて帰ってるじゃん」
今回も新人君達がちゃんとやってくれるって、と言えば、クックッとクロ君が笑みを溢した。え、今笑いどころあった?急に笑いだしたクロ君を若干引きながら見ていれば、クロ君が笑ったまま俺の頬を指でつついた。
「随分、隊長さんを慕ってるんだな」
「そりゃ大好きですけど。え、急になに?」
「顔」
一言だけ言われて首を傾げる。クロ君はもう一度俺の頬をつついて、からかうように言った。
「隊長さんのことを語るお前、良い笑顔だぞ」
はて。そりゃ大好きで大尊敬する人の話をするなら、笑顔になるくらい、普通、のこと、で……う、うわぁぁぁ駄々漏れってことか。表情にもろ出てるってことか。うわぁぁぁマジかうわぁぁぁ。
「いやでも良かったわ」
俺が恥ずかしさに悶絶してれば、クロ君が呑気に言う。なにがだよ、と八つ当たりのようにクロ君を見れば、少し安心したようにクロ君が此方を見ていた。
「なんかお前、今日はいつもと様子が違うからな。先月会ったときまではもっとはっちゃけた感じだったのに、今日は気だるげにしてるから驚いてたんだ」
キャラチェンでもしたのか?なんてクロ君が笑う。さすが正義のヒーローだよな。他人をよく見てる。俺はにっこりと笑みを作って、まるで悟りを開いた仙人のように言った。
「人間は変わるものだよ、クロ君。俺だって長い時の流れと共にゆっくりと変わったのさ」
「まだ先月会ってから1ヶ月も経ってないぞ」
ベシリと額を叩かれた。ツッコミにしてはかなり痛い。というか、ヒリヒリする。さっきから俺、頭グリグリされたり額叩かれたりボロボロなんですけど。酷くね?なんか酷くね?もっと俺の扱い丁寧にしても、罰は当たらないと思うんだけど。
「それにしても菓子の街な」
「急に話が戻ったな」
驚いたわ。え、なんか俺の心配してくれてたと思ったけど、違った?たしかに俺茶化したけど、もしかして怒ったのクロ君。
クロ君を見れば、クロ君は呆れたようにお菓子と化した街を眺めている。あ、もうクロ君の中では新しい話に切り替わってんのね。切り替え早いねクロ君。
仕方ないから俺もお菓子の街に視線をやる。喋りながらも移動していたから、先ほどまでと違い、今いる場所は比較的お菓子でどろどろな状態にはなってなかった。それこそ、ヘンゼルとグレーテルに出てくるようなお菓子の家が綺麗に並んでいる。地面も、綺麗な茶色のクッキーだ。
「こんなこと出来る装置なんて、作るのも大変だろうがそれを動かすエネルギーもとんでもなさそうだな」
「そりゃまぁ」
1つ頷いて肯定する。ただの電気で動かせるような装置だったら、わざわざ火山をエネルギー源とはしないだろうて。仕組みとかは知らないが、火山からのエネルギーはエネルギーとして利用できるまでにいろいろ面倒な工程を挟むようで(きぃ君が言ってた)。それでも火山をエネルギー源とするからには、きっと莫大なエネルギーでも取れるんだろう。今回の装置も、火山からのエネルギーを大量に使ったって言ってたし、数値にしたらとんでもないんだろうな。
あ、そういえば。
「なぁ、ヒーロー達って何をエネルギー源としてんの?」
「なんだ急に」
ふと気になってクロ君に聞いてみれば、訝しげに此方を見てくる。別に何か企んでるわけでもなんでもないので、素直に気になっただけと返す。まぁ、エネルギー源なんてそれなりに重要な情報だろうし、そう簡単には答えてくれないよな。悩むクロ君を見て思うも、気になるものは気になるので、ポツリとそれを呟いた。
「さっき隊長のこと教えたのになぁ」
「…あー、はいはい。わかったわかった」
よっしゃ。小さくガッツポーズ。そんな俺を見て、クロ君は溜め息を吐いた。
「俺達は糖分をエネルギーとしている」
「糖分?」
予想外の解答に首を捻る。糖分てあれだよな。お菓子とかの。
「あー、詳しい理屈は知らん。まぁ、疲れた時に糖分を必要とする。その時糖分から摂取されるエネルギーみたいなもの、らしい」
俺の様子を見てなのか、クロ君が説明してくれる。けど、クロ君も詳しくはわからないようだ。説明が凄くふわっふわしてる。
「とりあえず、ヒーロー側の技術がスゲーってのはわかった」
むしろそれしかわからん。なに糖分て。人体以外でエネルギーとして使えるの?
クロ君と二人して頭に疑問符を浮かべる。でも馬鹿な俺はもちろん、クロ君も考えたところでどういう仕組みなのかはわからなかった。
「あ、トモさぁぁぁん!」
ちょうど考えることを放棄した時、誰かに呼ばれた。声のした方に視線をやれば、見覚えのある奴等が数人、菓子やクリームで身体全体ぐちゃぐちゃにして此方に向かってきていた。
「仲間か?」
「そ。期待の新人君達。どうやらこてんぱんにやられたようだなー」
クロ君の質問に肯定を返しつつ、駆けてくる新人君達が半泣きなのを見て苦笑が零れた。それをクロ君も見たようで、なんか悪いな、ときっとクロ君の世話する新人君達の代わりに謝られた。
「それじゃ、俺はもう行くな」
「うん。いつもながら、長々とありがとさん」
「いや、なんだかんだ俺も楽しんでるからな」
ポン、と俺の頭を軽く1回撫でて、クロ君は去って行った。きっと新人君達をこてんぱんにしてくれた、彼の新人君達のところに行ったんだろう。なんというか。
「俺、悪の組織の一員なんだけどなぁ」
クロ君の行動に苦笑いを浮かべつつ、俺は半泣き通り越して泣き出した新人君達のほうへ向かった。