プロローグ
土の月の終わり、コトノ皇国の南端。
大海を望む広い崖の上に建つ神殿にて第二皇子の成人の儀が行われていた。
これには周辺四大国の国王や王妃また宰相などの主要人物が集められ、皇国の伝統を見届ける役目を担っていた。
コトノ皇国の勢力は大きくそれ故に多大な力を持つため、政に影響力のある強力な位階技を持つ皇子の成人の儀は自国だけでなく他大国二国以上に認められなければ執り行う事が出来ないという取り決めがある。
形式的なものではあるが皇国では成人が政に参加する為の資格であり、過去にこれを怠ったことで、国民を餓死寸前にまで追いやり世界的な流通を破壊した愚王が誕生したこともあった。その為この国の祭事の中でも厳粛で有りながら物々しい儀式となっていた。
そんな緊迫した空気を醸し出す神殿の外には”皇子の成人の儀を祝う為”という建前の元、実質的には顔繋ぎを目的とした自国での継承権の低い王子王女達が思い思いに纏まりながら待機していた。
彼らはほとんどが周辺の小国の存在で、将来自分達の兄姉達が王位を継いだ際の助けとなる為、また自分の為に顔の繋ぎをつけるよう奮闘している。
その中でも特に大きな人の塊の中心にいる少年は四大国の王子の一人であるようで、困ったような笑みを浮かべながらも穏やかに対応をしていた。
その周囲では誰かを探すようにあたりをきょろきょろと見渡している者もいる。他の四大国の王族を探しているのだろうが、見つからずに諦めている者が殆どだ。
そこから少し離れた場所、集まりから外れた神殿の影となる位置で談話をする四人組の少年少女達がいた。彼らこそが探し人であるのだが互いが互いのことに夢中で気づく事も無いようだった。
×××
「--じゃあ決行日と集合場所を細かく決めていこうか」
彼--ルークガル・レナ・エルカルドの言葉で目的の議題について話し始める。
とは言っても結論が既に決定している以上彼らは互いの希望を擦り合わせるだけではあるが、たったそれだけのことですら困難なのが、現状ここに居る面子である。
継承権が低いとはいえ四人ともが王族であり、立場上誰にも気付かれずに人目を忍んで行動するといったことが極めて難しく、恐らくは今日の主役である第二皇子が成人の儀を終え神殿から出てくる前に話を詰めなければ、その後は代表者が式辞を述べてすぐに移動して解散となるため、お互いの国の距離が問題となり当分の間は連絡すら絶望的だろう。
彼らにとって火急である内容は手紙ほど気長に待つ訳にも、そもそも城に届けられた際の検閲の時などには、例え誤ってでも知られるような危険を冒す事は出来ない。
けれどそれでも彼らは諦めることを考えられない。
意思を貫く為。
人として在る為。
恐怖から逃れる為。
自らの自由を得る為。
それぞれがそれらを信念としてに心座す故に。
----幼い頃からの希望、家出の為に。
「僕は火の月の二週から三週目辺りなら何とか時間が作れる筈です」
最初に声を上げたのはグラニス・ネロ・トルト。四大国の一つトルト王国の第四王子だ。ルークとは母方の血筋で関係のある従兄であり物心がつく頃からの付き合いである。ルークが両親を除いて最も信頼している人物でもあり、温和な性格であり人との争いを好まないが魔物との戦闘を好むという矛盾した二面性を持つ。
「えーっとね。その範囲内だったらあたしは二週の始め。闇の日から火の日が丁度良いかな?王都の中をお忍びで視察する予定とかあるから抜け出しやすいし」
次いで発言したのはリリアーナ・テル・ト・ルフェルディア・レノラス。四大国の一つレノラス獣帝国の第一王女で巫女。長い名前は混血の多い獣人故の問題である。役職である巫女が嫌いだと本人は公言して憚らずにいるが、抗い様もないので大人しく役目を全うしている。が偶に隙を見て逃げ出す。猫人族特有の奔放さを備え性格はサバサバとしていて脳k…素直であり、腹芸の苦手な単細b…純粋な心を持っている。
「それでは私は三週目の火の日辺りが適当になりますかねー?」
最後に間延びした調子で言葉を発したのはサクヤ・リュウザキ。東にある天竜諸島連合国の第四王女だ。独特の調子で会話し多少天然の気はあるが彼らの中でも特に頭が回り要領が良い。数年続く家出の為の相談が感づかれることも無く、一切漏れがないのは偏に彼女の活躍が大きい。今回もそれとなく他国の王族達やその護衛を遠ざける為に立ち回っていた。
「?ねえサクちゃん、何で二週目じゃなくて三週目なの?」
「それはねー、まずリリーちゃんのレノラス獣帝国は皇国から見て真西になるでしょ?それでそのすぐ南にグラ君のトルト王国があってー、皇国から東南に向かってメローナ国を挟んでルー君のエルカルド王国。天竜諸島連合国は真東にずぅっとだからそれぞれに距離があって移動に時間が掛かる。ここまでは良ーぃー?」
「うん」
「だから皆でルー君の国を目指せばー、リリーちゃんが二週目の闇の日に出てグラ君が三週目の初めくらいかな?にリリーちゃんと合流ー。それに大体合わせて私も出発するとー、四週目くらいでルー君の国で合流出来る計算になるんですよー。あ、勿論それぞれが真っ直ぐ最短のルートを飛竜で移動するのが前提ですよー」
お互いの距離を考慮したサクヤの意見に、特に反対の声は上がらない。
唯一グランが、
「確かに、それが一番良さそうですね。ただ、ルークはそれで大丈夫かな?星祭りの準備が始まるのが確かその頃でしたよね」
とエルカルド王国で例年行われる祭事について尋ねるが、それにルークは事もなげに返す。
「ああ、それに関しては問題ないな。今年は六週目にするらしいから。なんでも太陽を月が隠す日食というのが開催予定日の四日後に起こるらしくて、開催日を変更するための調整に時間が掛かると父様が言っていた」
「成程。ではあと問題になるのは集合場所だけですか」
「それについても一応心当たりが--『ドッゴォォォォオオオオオンン!!!』--っ何だ!?」
ルークの発言を遮り、突如爆音が響き渡る。
神殿の入口付近から大量の黒煙が上がっており、直撃したらしい赤熱した巨大な岩が辺りを赤々と照らしている。石畳が捲れ上がり所々は黒く焦げ付いていて、周囲に等間隔で植えられていた木々は不自然に圧倒的な火力でもって燃え盛り倒れていく。
神殿を覆う森林の一部は蒸発したように水蒸気と共に消え、地面は表面が溶けて溶岩となるほどの炎熱に包まれる。所々からは悲鳴が上がっており、運良く炎を避けた者達も空から降る無数の炎弾によって成す術もなく焼かれていく。
かなりの人が死んだようであり、人肉の焼ける嫌な匂いが風に乗りルーク達の鼻に届く。
「な、なになになにー!?何が起こってるの!?」
「静かに!落ち着いてくださいリリー。あれだけの被害に規模の攻撃となると、炎熱系のそれもかなり高位の魔法使いが居る可能性が高いです。降っている炎弾も量に対して操作が精密すぎていますし、遠距離からの射撃ではなく近くにいる筈ですが……見当たりませんね恐らくはどこかに隠れて狙い撃っているのでしょう」
今も隕石のような炎を纏った多くの岩石が神殿を破壊せんと直撃しているが、神殿の外部には結界が張ってあるため一切傷付く様子はない。しかし結界が強力過ぎるために広がる惨状によって生み出された音も振動も全く中に伝わっておらず、誰かが出てくることもない。
「多分それで間違いないわねぇ。まずは森に隠れましょう生き延びるのが最優先よー」
いつも通りの調子でグランの言葉に賛同しているサクヤだが、その声はいつになく厳しい。
混乱しているリリーを宥める二人を脇に、ルークは神殿から延びる道の先に目を凝らす。さっきまでは無かった筈の何かが確かにそこには存在していた。
それは人の様に見え、神殿に向かってにゆっくりと歩み寄って行く。ルークには遠すぎてよく見えないがローブでも着ているのか全身が真っ黒になっており余計に判別がし辛い。
アレは恐らく敵だろう、ルークはそう感じる。味方であれば間違いなく直ぐに神殿にに向かうか襲撃者を探す筈であり、あのように落ち着いた足取りで歩んでいることは無い。あれではまるでこの光景を楽しんでいるかの様にしか見えない。
そこまで考えた時、段々とその距離を縮めていた人影の全容がルークの目に映り息を呑んだ。
「………………」
「ルーク?」
ルークの様子に気づいたグランが声を掛けるが、恐怖から唇を戦慄かせたルークは舌が縺れ上手く喋れない。
「……く…だ」
「え?」
「………魔…族だ……。あいつは、魔族だ!」
「なっ!?」
聞き取れなかったために聞き直したグランは、何とか声を絞り出したルークの言葉に硬直し、この場に居る危険性を知り愕然とする。それは聞き耳を立てていた他二人も同様であった。
魔族が相手であるならば、何を押しても逃げなくては命が危ない。それを彼らは理解した。
魔族についての情報はいつの時代も少ないがそれでも度々起こる戦争の歴史の中で学者達によって、或いは時の勇者達が実際に入手し確定された情報もある。
魔族とは黒い肌に赤い目を持ち、強大な魔力、凶悪な思想、狂気的な破壊衝動を生まれ持つ種族である。
母体は受精の際、常に複数の生命を子宮に宿し、宿った子は成長して大きくなると胎内で共食いを始める。そうして生き残った者が誕生する生粋の捕食者。
体内に魔素が一定量溜まると魔力の繭を作り出し、より強力で脅威的な存在へと進化する。
進化の果てに魔王と呼ばれる魔族を統べる存在が生まれる。
人間を好んで捕食する個体がいる。
他生物を害することに快楽を見出す。
全てが重要とされるものではあるがこれらの情報の中で彼らが今最も警戒すべきなのは”狂気的な破壊衝動”。
魔族は殺し尽すまで止まらない。
「…行くぞ!」
ルークは突然の脅威に戸惑っているリリーの腕を取り森の中を駆け抜ける。目を後方に動かして、両脇にそれぞれグラン達が付いて来ているのを確認すると、より一層速度を上げる。
体力の配分などは殆ど考えておらず、ただ体を動かしていた。
速くもっと速くと、その場を逃げ出すためだけに意識を傾けていた。
そのため、広域魔法を使う存在を相手に固まることが愚策である事に、焦った思考では気付かずにいた。
襲撃してきた魔族の人数が分からない以上は、慎重に慎重を幾ら重ねても足りないが、頭が正常に回らないルークはただただ森を突き進む。未確定情報の、魔王によって統率されていない限り、肉親以外とは群れないという性質を持っていることを願いながら逃げ続ける。
「!ルーク火がこちらにも回ってきました。進路を修正しましょう」
グランの警告にルークは慌てて周りを見渡す。火の手はすぐ後ろにまで迫ってきていた。それに気付かずにいた自分に愕然とし、気を引き締めなおす。
(くっそ!冷静に冷静になれ)
ルークは改めて現状を見直す。
左側と背後から火の手が迫っている。右側には崖が在り、今はそれに沿うような形で北東方向に逃げ続けている。焦って走り続けたことで、全員の息が上がり足もふらついてきている。
ルークやサクヤはともかくそれなり以上に鍛えている筈のグランやリリーが呼吸を乱しているのは、樹木が燃えたために一帯に充満する黒煙のせいだろう。
せめて安全に崖下に行く手段が有れば火や黒煙から逃れる事も隠れることも出来ただろう、ルークはそう考えるが現状それが叶う事はない。無いものは何処まで行っても無いのだ。
「…崖下に、行ければっ逃げられる…のに」
何気ない、呼吸の間にふと漏れただけの願望であったが、ルークはこれを後悔することになる。声を出した事は正解であったと後に知る事になるが、今それを知る術は無い。
『崖下に行きたいなら早く言ってくれれば良いのに。甚振るのも楽しいけどお姉さんは優しいから坊やのお願い叶えてア・ゲ・ル♥』
妙に耳に残る甘く粘っこい声だった。
艶があり色気に満ちた女の声だった。
聞いた途端、ルークは背筋がぞくりと粟立った。
無論性的な興奮ではない。
体中の血液が強制的に冷却されたかの様な、皮膚を灼く熱が高すぎて冷たく感じてしまう様な、本来知るはずのない経験を幻視する程の圧倒的な悪寒。
ソレを理解するまで一瞬。
たったそれだけで、彼らは宙を舞った。
「……………え?」
途端、ルークの体に激痛が走る。
左腕がひしゃげる。
左足は中程まで千切れる。
肋骨が折れて皮膚を破る。
胃から競り上がる衝動。
口から大量の血が吐き出される。
内臓も逝った。
感覚が痺れる様に失われていく。
耳が聞こえない。
視界は闇が掛かり暗い。
意識が霞む。
(……ああ、…死ぬ…のかな………?)
意識が消える直前にルークが最後に目にしたのは、真っ赤な唇を釣り上げて嗤う魔族の女だった。
心座す○
志す×
誤字ではありません