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サイエンスが関係ないならファンタジーのはず

作者: 有方才

15日としか言われてないはずです、ならその日中ならいいはずです。

敢えて言い訳をするのなら、わざわざ空けておいた週末風邪で寝込みました。

駆け足感は疾走感と捉えてください。

藤悟は固まっていた。とある公園の、噴水の傍に置かれたベンチに座りながら間抜けな顔をして固まっていた。

これは夢か何かだろう。しかし自身の触覚はこれが現実であると、朝の目覚まし時計のように鬱陶しいくらいに訴えかけている。どう考えてもおかしいのにも関わらず。

心の中で「これは夢だ」と三回唱えてみた。三度目の正直や仏の顔も三度まで、はたまた流れ星が消えるまでに願う回数も三回。とにかく三回やってみれば、もしかしたら効果はあるのではないだろうか。言うまでもなく何も起こらなかった。

と、いうより。ずっと『何かが起きている』というのが正しいのかもしれないが。



>>>

斉藤悟は有体に言ってクズである。

とある県のとある大学に所属している。それしか分からない。大学何年生なのか、或いは院生なのか、浪人しているのか、実はとっくに卒業しているのか。ふらふらと学内にいる姿は時折目撃され、講義に出ているのも皆無ではないが、ではどの学部学科なのかも周囲は把握していない。少なくとも己の時間を無駄にしてまで調べようとする人間は、いない。神出鬼没の為とある噂では実は大学内の地縛霊なのではないかと言われてさえいる。勿論そのようなことはない。単にサボタージュを日常レベルで繰り返しているだけである。

基本的にどこかしらの女性宅に転がり込んで夕飯と寝床を用意してもらう、そんなクズだ。しかも時々お小遣いまで頂く。そんなクズである。

当人にその自覚があることは言うまでもない。自覚があるのに改善する気がないからむしろ質が悪い。

日焼け止めでケアをしている女性並みに白い肌を、何の遠慮なしに太陽の熱烈な視線を浴びせながら、特に意味もなく公園のベンチへと腰かけていた。

五月中旬といえど、太陽が元気に活動していれば暑い。帽子でもかぶればよかったかもしれない。二、三気に入っているのがあったが、最近使っていないということはその辺の家に転がっているのだろう、誰にもらったか忘れてしまったけど。

即座に我々地球を統べる偉大なる長に白旗を揚げる。お茶でも買おう、と周囲を見渡して自販機を探す。丁度木陰のところにぽつんと置かれているのが目に入った。

どうせならあちらで涼んだほうがいいな。熱せられたベンチは生ぬるく、その上直射日光が降り注いで正直つらいのだ。特に意識を向けることなく、バッグの肩に掛ける部分を手に取った。が、手元も見て唖然とした。

触れているのに、実在していない。

持っているのに、見えていない。

ゆっくりと、自身が持っているであろう部分から目線を下へとずらした。

腰に当たっているはずのバッグの本体は、実際そこに無かった。

より明確に捉えるのなら『明らかに腰と接触しているのにも関わらず、目視不可能』であった。

それで今に至る。

思考停止から数分。実は俺の状況って結構まずいのかも、とようやく考えが及んだ。その瞬間がパニックを生じさせる。

声を出す余裕さえなく、全力で『何か』を掴んでいる手を放して立ち上がる。一体何が起きている、意味が、というより状況も現状も理解不能だ。

いきなり物が透明になる、だなんて。レーダーに映らない戦闘機を開発するのでさえ大変なのに、人間が目視できなくなる物の創造? 人の目で捉えられないくらい素早く動けば何とかなるかもしれないけど、何の変哲もないバッグが? 誰に貰ったかも忘れたただのそこそこ優れたマイナーブランドのバッグが? SFを越えているとしか!

バッグと未知の生物が入れ替わったのでは、という推測までして、己の理性と好奇心が恐怖を踏みにじる音が鳴る。分からないのなら、分かる努力をすればいい。

ゆっくりと、慎重に近づいてみた。拍動がうるさい。スピードが次第に落ちていく。躊躇いながらも更に腕を伸ばし、バッグの本体が置かれていた場所に触れてみる。

感覚は、あった。恐る恐る撫でてみると、最近使っているのと恐らく変わらない、いつもの私物だった。手を確認したが、特に変色したり焦げたり溶けたりといった不具合はない。同化することもないらしい。

己の安全がほぼ確保された仮初めの安心を武器に、文字通り手探りでチャックを探す。一か所しかないから間違えようはない。勿論それは普段なら、だが。暫くして、爪とチャックがぶつかる音と感覚がほぼ同時に脳へと送られる。まどろっこしいことはもう飽きた、ただでさえ散漫な注意力がとうとう底を尽き、考えなしに一気にチャックを開けてみた。

「うわっ」

気味の悪い光景だった。空中に突如としてバッグの『中身だけ』が、あたかも空間を切り取ったかのように出現したのだ。世界にナイフを差し込んだらこうなるだろうか、という空想を具現化した状態にやや近い。

入れていたサイフも文庫本もペンケースもノートも、皆確認してみたが自分のに違いなかった。唯一全くもって異なるのはバッグが透けていることだけ。

「意味がわからなすぎる……」

異様な割に規模が小さくて、余計に意味が分からなかった。もしも小さいおじさんとやらを偶然家で発見してしまったら、きっと今のような複雑すぎる心境となるはずだ。一万円賭けていい。パチンコでスった後だからそんな金持ってないけど。

尤も、今更ながら少しほっとした部分もあった。無遠慮にチャックを開けてしまったが、そのまま噛みつかれたり食いちぎられたりしなくてよかった。そういう生き物でなくて本当に助かった。

公園の入り口から子どものはしゃいだ声が聞こえてきた。数テンポ遅れて、瞬きを繰り返す。

もしかして、今俺とてもまずい状況なんじゃあ。そう気づいて血の気が引いた。

誰がどう見てもおかしな状態の、バッグと思わしき物体X。そしてその前でぼんやりとしている男A。平日の昼間というのを差し引いても明らかに怪しい。しかも物体Xの中身は紛れもなく俺の物。これを誰かに見られでもしたら。圧倒的に困ったことになるのはもはや自明の理である。

そうと決まれば話は早い。即座に立ち上がり、瞬時にチャックを閉めて完全に透明にさせると、次の瞬間持ち手を掴んで脱兎の如く駆けだした。見た目は全くの軽装なのにバッグの立てる音が不釣合いだが現状致し方ない。とにかくまずこの場から離れなければ。

かれこれ十数分。なんとか到着したのは、とあるアパートの一室。前の前の女だかが一年分もの賃貸料を前払いしてくれた小さな部屋だ。狭かろうが、今更文句も言えまい。というより、今では会ってもいないその女が、まだ電気代も水道代もガス代も出してくれていることに感謝すべきである。

玄関で適当に靴を脱いで畳の居間に直行。ズトンと腰を下ろし、バッグをぶん投げる。壁にぶつかるのは盛大な衝突音で把握できたが、やはり見えないままであった。

「お前いつまでそのままでいるんだよー、早いとこ元に戻ってくんねーかな」

バッグと目線を合わせるようにしゃがみ込み、手を合わせて懇願する。するとアラ不思議、俺のウインクの後にタイミングよく、シュルシュルと変身が解けるかのように上から順に元のこげ茶色のバッグへと戻っていった。

「は!? 嘘だろ」

マジシャンに欺かれているかのような不快感と、それ以上にマジックに純粋に驚く感情とが帽子の中の鳩と一緒に飛び出していた。

近くで観察してみたが、いつも通りのバッグである。本当に、ただのバッグである。表面を撫でてみたが変化したところはなく、元通りであった。

「まさか『俺が戻れって念じたから元に戻った』とでも?」

いきなり、幽霊のように現れた耳元への囁きにぞっとした。勢いよく振り返るが誰もいない。

「テメーみてェなクソ野郎に、んなこと出来るワケねーだろ。馬鹿か」

みっともない悲鳴を上げてひっくり返る。慌てて畳から背中を遠ざけて室内を隈なく探すが人影はない。

いや、あった。電源の切れたテレビに、俺と、その後ろに知らない男が映っていた。しかし後ろを見ても姿は見えない。

「別に? 透明になっても反射でガラスに映る、ってワケじゃあねェんだわ。テメーのバッグだって、ってまァ、慌てふためいてたから気づいてねーか。最高にギャグだったがな」

「お前、誰だよ」

画面を睨みつける。俺とは対照的によく日に焼けた短髪の好青年が大胆不敵にわざとらしい笑みを浮かべていた。

「テメーはオレの名を知ってる。そしてオレの大切なヤツのことも知っている」

「そんなわけないだろ、会ったこともないのに。一郎とか太郎とか一般的な名前ってことなのか」

さあな。嘯く、という表現がひどく似合うその男は、画面越しなのに、挑発するように出された舌が、とても赤いのが印象的だった。

「ヒントを一つやるよ。ゼラニウムという花、だ」

そうしてヒラヒラと手を振った。

「オレはいつだってテメーを見てるぜ。なんせ『ファン』だからな」

パチンッと指を鳴らすと、瞬く間にその男は姿を消してしまった。

「……なんだったんだ」

台風のように現れ、去っていった。跡形もなく。恐らく、畳の上に残った靴跡さえなければ白昼夢とでも捉えていたかもしれない。靴、というかサンダルだが。恰好も涼しげだった。夏、海水浴に行った帰りに似た感じの人間を多く見かける。そんな感じだった。

そういえば、とスマホを取りだす。ゼラニウムという花がヒントと言っていた。唯一与えられたのが、真偽の不確かなものだというのは何とも残念極まりない。

数秒後、思わず渋い顔をしてしまう。どの花でもそうだが、検索エンジンを使用するとやたらめったら花言葉が登場してくるので必要な情報を吸いにくい。しかも大体の花はいくつも花言葉が存在するから困る。その分多く引っ掛かってしまうからだ。

言うまでもなく花言葉はスルーして、写真をいくつか眺める。やはり一色ではなく、様々あるようだ。

手が止まる。画面には真っ赤なゼラニウムがアップで映っていた。それに見覚えがあったのだ。

『私はあなたのファンですから』

そんな言葉を思い出した。テレビや小説ではなく、直接俺に投げかけられたものだ。

今時珍しく、純白とも形容できそうな白いワンピースに、典型のように麦わら帽子をかぶった女性が記憶から現れた。

数年前、夏に海に行ったとき。夕方頃そんな姿の彼女を見かけて、偶然目が合って、そこで少し会話をして。次の日から毎日会っていた。

いや、違う。帰る予定を引き延ばそうかと悩んだ丁度その日から彼女は来なくなったはずだ。俺に真っ赤なゼラニウムだけを残して。

ゼラニウム、赤、赤。

「……いや、まさか」

そんなはずはない。そう切り捨てるには余りに衝撃的過ぎたが、かといって、そうに違いないと断点するには余りに現実味が欠けていた。

ところで、彼女のことをどう呼んでいただろうか。たぐれどもたぐれども、遠い空に飛んで行ってしまった正解の凧は、一向に戻ってくる兆しがなかった。



彼女の名前を、あの赤い男が姿諸共消してしまったに違いない。


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