三つ編みは狼に囲まれる。
「なんだか今日は月を見る回数が多いような気がするなあ。別に、そんな詩的な性格ではないんだけど」
天井にぽっかりと空いている穴から覗く真っ暗な空に、月が浮かんでいる。
三度目に見上げた月は、やはり変わらず満月である。
「……どこなんだろう。ここは」
つい先ほど目を覚ましたばかりである狛谷柴は、黒髪を二房に纏めた三つ編みを撫でながら呟いた。
人はなにかを触ったり弄ったりしていると心が落ち着くらしい。
例えばルーミアの場合は、日傘を開いたり閉じたりすることで心の平静を保とうとしたことがある。目の前にある何かとはまるで関係のないことをすることで、現実を直視しないで済むからだ。
狛谷の場合、自分の三つ編みなのかもしれない。
三つ編みの隙間をなぞるように撫でながら、狛谷は辺りを見回した。
埃っぽい部屋だ。
それほど広い部屋でもなく、学校の教室の半分ぐらい。
床や壁にはヒビがはしっていて、天井には大きな穴が空いている。
おおよそ人が安心して住めるような環境ではないし、実際人の気配は全くない。
あるとすれば、どこかで嗅いだ覚えがある生臭さだけである。
狛谷が地べたに座っている場所の反対側にはドアがある。
あそこから脱出することはできるのだろうか。
考えてみたものの、ドアに近づくことはできなかった。
なぜならば、狛谷を取り囲むように――鉄格子が設置されているからだ。
四方二メートル半。
天井にももちろん鉄格子はついていて、脱出は不可能である。
「まるで囚人みたいだ」
呟いてみたものの、もう少し別の、違った表現も思いついていたし、なんならそっちの方が正しいような気すらしていた。
犬用のゲージ。
この小ささはそれこそ本当に、ゲージのようだった。
犬……いぬ……戌……狗……。
わんこみたいな。
ロッヅくん。
でも本当は。
狼で。
「あ」
そうだ。思いだした。
確か私は、ロッヅくんと別れて帰っている途中に、変な生き物に襲われたんだ。
毛むくじゃらで、二足歩行で、肩はパットでも入れているみたいにがっちりしていて、体は筋肉で引き締まっている。でも、手足は妙に細くてしなやかそうに見える。指は五本。鋭い爪がある。伸びた鼻先を裂くようにしてある大きな口には牙がずらりと並んでいる。
人間のようで。人間ではなくて。
動物のようで。動物ではなくて。
それはそれは。まるでまるで。
「狼男……」
ぽつりと呟く。
送り犬のハラワタを引きずりだして手掴みで食っていた化物の名前を。
隣町で何人もの人を食い散らかして食い千切ったという怪異の名前を。
あの小さくおバカで愛らしい男の子ロッヅ・セルストの正体の名前を。
呟いた。
途端のことだった。
がしゃん! と動物園で興奮した動物が檻にぶつかったような騒がしく派手な音がした。
違う点があるとすれば、動物が檻に入っているのではなく、人間が檻に入っている。というところぐらいだ。
狛谷が囚われている檻に掴みかかって噛みついている獣がいた。
檻に噛みついている大きな口にはずらりと牙が並んでいて、泡のようなよだれがだらだらと溢れている。
口元の毛はぐっちょりと濡れて汚れている。
血走ってギョロついている目は、力みすぎて今にも飛び出してしまいそうだ。
鋭い爪のある五本の指で檻に掴みかかって鉄格子を無心ならぬ乱心で噛みついているその様は、昔テレビで見た狂犬病にかかった犬のようだった。
「ひっ」
狛谷は思わず後ずさって背中を鉄格子にぶつけた。
檻がぐわんぐわんと揺れて軋む。
壊れてしまうのではないか。倒れてしまうのではないかとひやひやしてしまったが、揺れはおさまり、狛谷はほっと胸をなでおろす。
その肩を誰かが掴んだ。
がっしりと。がっちりと。一瞬、引き攣るような痛みが全身をはしった。
掴まれた肩を見てみると、鋭い爪が服ごと肩に食い込んでいた。じわりと血が服に滲む。
背中に嫌な汗が浮かんだ。
「いいいいいいいいいい」
歯と歯を擦りあわせて削りあうような悲鳴をあげる。
爪を食い込ませている手は狛谷を引っ張って檻に押しつける。鉄格子が背中を強く叩いた。目に涙を浮かばせながら、狛谷は首だけを動かして振り返った。
ぼんやりと薄暗い部屋に、二つの光芒が浮かび上がっている。
どこかで嗅いだような生臭さ。それは獣臭さで、送り犬が食われた時に嗅いだ血肉の臭いだということに、狛谷はようやく気づいた。
鉄格子の間をすり抜けるようにして、狼男の長い口は狛谷の肩に噛みついた。
爪が食い込んだときは、アイスピックで勢いよく突き刺されたような痛みだったが、今回の噛みつかれた痛みは、荒いノコギリでゆうっくり肩を裂かれたような、そんな痛みだった。
皮膚がぷつん。と切れて、中の肉が引きずりだされる。痛みを知らせる神経が牙の先で捏ねられて骨が軋む。痛みが連続的に細かく狛谷の脳みそを殴る。
「ひっ、はっ、えっ、あっ、えぐぅ、ひぎぅ」
息が荒い。生臭い。顔の横にある濡れている鼻から湿った空気が吹く。肩に唾液が染みる。熱っぽい痛みが止まらない。
狛谷の顔はしわくちゃのぐちゃぐちゃになって、涙と嗚咽だけをひたすら流し続けた。涙で滲む視界には、背後に見えた光芒と同じようなものが何個も浮かんでいる。
「騒ぐな犬畜生ども!」
声がした。
多分、中年の男の声。脂肪のついたおっさんの声。
ぴしゃあん! と音がして、狼たちの「きゃん」という悲鳴が聞こえた。
肩に噛みついていた牙も掴んでいた手も離れ、狛谷の体は支えを失って倒れた。
「ふぐっ、ひっ、ひっ、ひっ」
嗚咽が漏れる。じんじんと肩が痛む。
狛谷は泣きながら自分の肩を見た。肩にぽっかりと穴が空いていた。血がだくだくと溢れてる。左手がぴくりとも動かなかった。
「ひっぐ、う、うえええぇぇぇん。うえええぇぇぇん。うえええぇぇん」
痛みで頭がマヒしてきて、狛谷は思わず泣きだした。ぽろぽろと涙が目から溢れる。
どうして私がこんな目に。意味が分からなかった。肩を抱えるようにして、蹲る。
「あぁ。あぁ。かわいそうにかわいそうになぁ。ちょっと目を離しているうちに痛そうに、この狼どもは!」
声の主は近くで伏している狼男の腹を蹴り上げた。
ちょっと目を離しているうちに? もしかして、助けではないの?
いつもだったらそれに気づくことができたかもしれないけれども、ひたすら泣いている狛谷はそれに気づくことが出来なかった。
泣きながら、声のした方を向く。
そこには一人の男が立っていた。
小太りのおっさん。見知った顔だった。泣きながら狛谷は、その男の名前を言う。
「厚真おじさん……?」
名前を呼ばれた狛谷厚真はにまぁ。と顔を歪めた。
粘着質な笑み。セロハンテープの接着面みたいな笑み。
いつもだったら、生理的嫌悪感しか湧かない笑みも、この状況では救い以外なんでもなかった。
狛谷は四つん這いになって厚真のいる方に向けて動き出そうとしてずっこけた。
左腕に力が全く入らなかった。ずしゃああ。と地面に突っ伏す。
それでも芋虫のように這って移動して、鉄格子に体をぶつけて上半身を持ち上げる。
厚真はゆっくりと鉄格子の前まで近づいてくると、狛谷の顔を覗き込むようにしゃがみこんだ。
「ああ、恐かっただろうねぇ。恐かったろうねぇ。痛いだろうねぇ。痛い痛い痛い痛い痛い可愛い可愛い可愛い可愛い泣き顔とても可愛いねぇ」
「たっ、たずけて! おじさんっ! 助けて!!」
「ああ、助けを呼ぶ声が可愛い可愛い可愛い。涙で顔がくしゃくしゃだねぇ。くしゃくしゃが可愛いねぇ。恐い恐い恐い。可愛い可愛い可愛い」
厚真は狛谷の涙が流れる頬を、鉄格子の隙間から手を伸ばして撫でる。
いつもならば嫌悪でぶわっと鳥肌が立ちそうなものだが、今日はない。
「でも、ダメだ。ダメダメダメ。ぜえったいにダメだ」
ニヤニヤと。ニマニマと。
ねちゃあとした気持ちの悪い笑みを浮かべながら厚真は言った。
狛谷の表情から、僅かながら残っていた希望が消えた。微かにあった目のハイライトが消える。
「柴ちゃんは賢いから分かるだろう。賢い柴ちゃんなら分かるだろう? どうしてどうして、わざわざ攫ったやつを逃がすやつがいないことぐらい?」
攫った? 攫った?
狛谷は辺りの狼男の様子を、首を忙しく動かしながら確認する。
さっきまで狛谷のいる檻に体当たりをしたり、狛谷に襲い掛かってきたりしていた狼男たちが、まるでしっかりと躾をされた室内犬のように大人しくしている。
ぐるるるる。と低く喉を鳴らしてこっちを見ているものの、襲いかかってくる様子はない。
まるで、すぐ近くに躾を施した飼い主がいるような。そんな大人しさ。
この近くにいる人は……目の前にいる厚真だけだ。
狛谷の表情が強張る。血の気が引いて、頬に添えられている脂っこい手のひらがいつも以上に気持ち悪いものに感じられた。
「い……いやっ!」
狛谷は厚真の手を払いのけて、転がるようにして後ずさった。
周りの狼男たちが狛谷の声に反応して起き上がった。厚真は払いのけられた手のひらをもう片方の手でさする。
「待て。待て待て待て。バカ犬ども。まだ柴ちゃんを食ってはいけない。食うのは柴ちゃんを食ったそこの犬だ」
厚真はアゴで狼男たちのうちの一匹をさした。
口の周りが真っ赤で、唯一口をくちゃくちゃと動かしている。
狼男たちの視線が一挙にそこに集まる。
そこから、彼らの行動は早かった。口の周りを真っ赤にした狼男を取り囲み、まるで胴上げでもするかのようにたくさんの手が掴みかかり、自分たちが食べたい分だけ、分解して引き千切って引き裂いた。
腹は三匹ぐらいが爪をつっこみ、開きにして、中から飛びだした内臓を我先にと伸ばされた腕が掴んで口の中に放り込んでいく。
一瞬にして、口の周りが真っ赤だった狼男は毛皮と血を残すだけになってしまった。
どうやら彼らも、毛皮は食べる気にはなれないらしい。
「どうだい、すごいだろぅ? これで安心だ。安心安全。言うことを聞かない出来損ないは出来損ないな言うことを聞かないやつはもういない」
「……おじさんなの?」
「ん?」
「隣町で、狼男に人が襲われたって……噂話。おじさんなの?」
「んー。ああ、そうそう。そうだよ。狼男を操る練習でね、練習ついでにこいつらに食事を与えるためにね」
「な、なんで。そんなことをしたの……?」
鉄格子に背中を預けながら、狛谷は震える声で尋ねた。
肩からは今もとめどなく血が流れていて、足元には小さな血だまりができていた。
意識は朦朧としていて、既に厚真が今、どんな表情をしているのかが分からなくなってきているし、自分がなにを考えているのかも分からなくなっていた。
これは夢? これは現実?
これは嘘? これは本当?
虚実混合。それが事実なのではなかったっけ?
「なんでそんなことをしたか? それはもちろん、もちろんそれは、兄――つまり、柴ちゃんのお父さんより俺の方が優れているのだということを見せびらかすためだよ」
きみの父親よりも、俺の方が、陰陽師に向いている。
厚真はそう言い切った。
――陰陽師?
――そう言えば、厚真おじさんが家に来た時、そんなことを言っていたような……。
――でも、なんで陰陽師?
陰陽師と言えばゲームとかでよく見る、白い装束を着て烏帽子を被った人たちというイメージだ。人形の紙を操ったりもしている。
でも、それが、どうかしたのか?
「ああ、そうだそうだ。あの兄は自分の家業を娘には内緒にしているんだった。まったく、妬ましい。妬ましいなまったく。長男だからという理由だけで家業を継いだ癖に、それを隠すなんて。それではまるで、まるでそれでは陰陽師になりたかった俺は、子供に隠したいような家業に強い羨望を持っている変な奴みたいではないか」
「…………?」
変なやつであるのは間違いない。
「狛谷家はね、柴ちゃん。代々陰陽師の仕事に就いているんだよ。妖怪変化退治の専門家。まあ、本家の『土御門家』からは結構な遠縁で、そこまで強い権力は持ってないんだけどね」
厚真は自虐的に笑ってみせたが、狛谷は驚きでただでさえ鈍っていた思考が、とうとう停止してしまった。
うちが、陰陽師の家系?
妖怪変化退治の専門家?
――ってことは、お父さんの本業って、陰陽師のことだったわけ……?
なんだか、いまいち飲み込めない。現実的ではない。
でも、現実的ではないことがイコール、嘘である。ということではないことは、今日は嫌と言うほど学んだことだ。
現実的ではなくとも、事実であることはある。
自分の家が陰陽師の家系である。証拠はなくとも、今は受け入れることにした狛谷に、厚真は気持ち悪い笑みを浮かべたままカラカラと笑う。
「賢い子だ。良い子だ。可愛い子だ。あの兄の子供とは思えない羨ましい羨ましい羨ましい妬ましい。あの兄は劣っている。分かりやすいまでの、出来損ないだ。賢い可愛い良い子な柴ちゃんなら、よく分かるだろう?」
あの父親が出来損ない? そんなはずはない。と狛谷は言おうとして、すぐにやめた。
考えてみれば、思い返してみれば。
父親、狛谷十石はポンコツである。後先考えずに動いてよく失敗するし、よく間違える。
心配性で、不安症で、ダメダメな父親である。
悲しいかな、出来損ないであることを否定することはできなかった。
「良い子だ良い子だ可愛い可愛い」
厚真はその無言で全てを悟ったように笑う。
「子供にだって分かる出来損ないだ。兄は。それなのに、長男だというだけで、家を継ぐことができた。優秀な俺は、次男だということだけで、継ぐことができなかった。それが許せない」
見てみろ。と厚真は両手を広げて自身をアピールするように叫ぶ。
「俺は陰陽師では外法であり禁忌である『怪異籠絡』をやってのけたぞ。こいつら狼男は俺の僕だ。下僕だ。式ひとつすら満足に扱えない、あの兄とは天と地の差がある」
「……それで、どうして私を攫ったんですか?」
「兄の前で柴ちゃんを殺そうかなと思って」
さらっと言ってきた。
いつもと変わらない、厚真の気持ち悪い笑みの後ろで、狼男たちが爛々と目を妖しく輝かせる。恐い。恐い。恐い。
「愛しの娘を目の前に、目の前の愛しの娘を助けることすらできない陰陽師になんの意味があるだろう。愚かだが実直ではある兄は、一体どうなってしまうだろうねぇ?」
多分、悔いて悔いて、憎んで憎んで、苦しみ苦しみ――そして、死ぬだろう。
娘がそう思えるほど、あの父は、十石は、妙に責任感が強い節があった。
「俺は兄貴を否定したい。そして俺の方が優れていて陰陽師にふさわしいことを知らしめてやるのさ。あとついでに、死んでもらえたらうれしいかもなぁ」
「ここにお父さんが来るか、分からないよ……?」
「ああ、そうだそうだね賢いね可愛いね。でも安心してよ。柴ちゃんの家に手紙を置いてあるからね、縛っている柴ちゃんの写真も添えてね」
実際のところ。狛谷十石はその手紙を見ていない。気づいていない。
狛谷柴が何者かに襲われた。という事実に頭が真っ白になり、その前に会っていたと思われるルーミアたちが犯人に違いないと、彼らを襲撃しに行っているからだ。
ポンコツである。
大丈夫だろうか。狛谷は不安にかきたてられる。なにせ、これだけの数の狼男がいるのである。もしかしなくても、殺されてしまうのではないだろうか。
じくりと肩が痛む。
痛い。痛い。痛いは怖い。痛いは苦しい。
来なかったらいいな。狛谷はつい、そんなことを考えた。
その途端のことだった。部屋の中で大人しく待機していた狼男たちががばりと起き上がり、ドアの方を向いた。
急にどうしたのだろうか。そう思っていると、ドアの向こうから騒がしい音が聞こえてきた。
狼の唸り声。威嚇の声。痛みを訴える声。金切り声。なにかを切り裂く音と、液体が飛び散る音。大きなものが倒れる音。
誰かと狼男が戦っている音。殺しあっている声だった。
その音は段々と近づいているようにも聞こえた。
厚真が首だけを動かしてドアの方を向く。表情は狛谷の方からは伺えないが、恐らく、下卑た笑みを浮かべているのだろう。
「どうやら、到着したみたいだね。しかししかし、兄貴にしては意外と、意外なことに兄貴が善戦しているみたいじゃあないか?」
厚真は首を傾げる。
確かに、先から聞こえてくる声は全て狼の鳴き声だけだった。
狼男に噛まれたら痛い。痛くて痛くて泣きたくなることは、狛谷自身、その身をもって知っている。まさか狼男を全員無傷で倒しているのだろうか。そんなに強かったのかうちのお父さんは。
ガンドンダンと、ぶつけあって殴り合っているような激しい音が近づいてくる。
一瞬の静寂。
そして。
「おるるるルアあああぁぁぁぁぁァァッッッ!!」
怒号とともに、ドアが吹っ飛んだ。ドアは数メートル飛んで、引っ付くようにして一緒に飛んできた狼男は二、三バウンドしてから、丁度狛谷が入っている檻の横に倒れた。
首は背中の方を向いていて、舌をだらんと口からだしている。左腕はもがれて、断面からは肉や管があふれている。真ん中にある白いのは、骨だろうか。
少なくとも、もう二度と起き上がることはないだろう。
だくだくと首の付け根から血が流れている。狛谷はひっ。と悲鳴をあげた。
ドアがあった場所には――一匹の狼が佇んでいた。
人間ではない。
麦のような体毛に覆われた小さな狼。まだ子供なのかもしれない。
いつもならば綺麗だと言われそうな体毛はしかし、今は赤い血で体にべたりとひっついていて、片目は潰れている。
口には、狼男のものだと思われるしなやかそうな細い腕をくわえていた。
道理で、狼の鳴き声しかしないはずだ。狼しかいないのだから、
小さな狼は床に爪をたてて、テチテチと音を鳴らしながら部屋の中に入ってくる。ドアの向こうからは血の気配がした。暗がりの中に、狼の死体が何匹か見えた。
そう言えば、さっきまで騒がしかったのに今はもう静かになっている。
まさか、この小さな狼は全員を倒したというのだろうか。
狼は厚真の姿を見てから、狛谷の方を見た。
じっと見ている。低く唸り声をあげると、口に咥えていた腕を、頭をぶんと振って放り投げる。
「へえへえ。なるほどなるほど。狼男たちをたった一匹で倒すか。強いねすごく強いね。これがこの街にいる祟り神か。そう言えば、狼の姿をしていると聞いたな」
厚真はへらへらと笑いながら言うが、狛谷はそこにいる狼が祟り神ではないことは分かっていた。
彼女は既に一度、祟り神である迎え犬を見ている。
彼らは銀色に近い白い体毛をしていた。
つまりこの狼は、別の――祟り神ではい、別の狼である。
もちろん、守り神でもないだろう。
ともすると。
だとすると。
小さな狼の麦のような体毛が逆立った。
自らの体を少しでも大きく見せるように――否、実際、大きくなっていた。
四本の脚で立っていた狼の姿から。日本の脚で立つ人間のような姿に。
人間と狼がごっちゃに混ぜ込まれたような姿に。
今日、告白の後に見た――あの姿に。
「……ロッヅくん?」
狛谷は呟いた。
ロッヅは牙を見せつけるように、大口を開けながら、厚真に向けて叫んだ。
「狛谷を離しやがれこのデブ!!」




