わんこは、ずうううううううううん。
まるで、ずううううううん。という効果音が、部屋の四隅で膝を抱えているようだった。
成功とも失敗とも言えない――どちらかと言えば、失敗の方に近い告白大作戦を終えたロッヅは、ふらふらとキャラバンに帰ってきたかと思うと、そのまま、部屋の隅で塞ぎ込んでしまった。もう一日中、ずっとだ。
それだけで、告白の現場に居合わせていなかった団員たちも「ああ、上手く行かなかったんだな」ということだけは理解できた。
どう話しかけるべきか。そもそも話しかけるべきなのかさっぱり分からない団員たちは、無言のまま、自分たちのすべきことをやりつつ、目だけで周りを牽制している。
それを言葉にするならば。
「お前が行けよ」
「いや、団長が行くべきだろうここは」
「私ですか……?」
「いや、団長は失敗する未来しか見えないからダメだ。仕事してろ」
「それはそれで悲しいのですが……」
「やっぱりダメだったんだ」
「お前がやれって言ったんだろう」
「戦うか逃げるか選べって言っただけ。この結果はロッヅの責任、私の責任じゃあない……それに、まさかここまで相手が混乱するとは思ってなかったし」
「ああ、そうか。お前いつも人の目線から逃げてたから、逆に戦うっていうのがどういうことか分からなかったのか」
「逃げるのは恥だけど役に立つって聞いたことがあったんだけどなぁ?」
「その言い方すごくムカつく」
「じゃあ、この役立たず二人は除外するとして」
「役立たず!?」
「俺も役立たずだと思うんだよ、俺も。なあ、旭」
「そうだね。偉はいつも役立たずだ。輪にかけて役立たずだ。いつもはうっとうしい限りだけど、今日はその役立たず具合に感謝するよ、偉。偉が役立たずで除外されるのなら、同じ体の俺も除外されるべきだと思うな」
「お前がどれだけ俺のことを馬鹿にしているのか分かってしまってすごく寂しいんだけど、旭」
「なにを言ってるんだ偉。俺はいつでもきみのことを馬鹿にしているだろう、偉?」
「そうだけれども!」
「とかくとにかく、俺たちも除外ということで」
「じゃあ残るは誰だ?」
「クロクとシルクかな」
「シルクって誰だっけ?」
「運転手」
「ああ」
「お前ら俺の扱いヒド過ぎはしないか?」
「影が薄いのが悪い」
「もう少し自分を主張するべき」
「それだから、せっかく与えられた出番も、自然と当たり前のように、クロクと交代させられてるんだよ」
「俺のせいじゃあないだろう、それは!?」
「ともかくシルクもダメだな」
「となるとクロクのみだ」
「役立たずばかりの集団で申し訳ない」
「頑張ってくれ」
「お前ら自分が無事なのだと分かった途端に!」
「失敗したら励ましてやるさ。ダメだったら慰めてやるさ。砕けたらからかってやるさ。その為に俺たちはいるんだからよ。そうなんだろう?」
「一字一句細かく覚えてるんじゃあねえよ、背中を押すな背中を!」
「……エマの時から、なにも変わってないんじゃあないかしら。彼ら」
目だけで話し合っている彼らを遠巻きに眺めていたルーミアは、その醜い争いにため息をついた。
部外者である自分たちに頼むのではなく、自分たちでどうにかしようとしているところは成長している。と言ってもいいかもしれないけれども。
「どうする、ルーミアさん。僕らも参加する?」
「あなたが入ったら、前みたいに余計に混乱するからダメよ」
隣にいるゾンビをジロリと睨んで、牽制する。
そんな、慌てふためいてるキャラバンの中の団員たちを目の前にしても、ロッヅはといえば、膝を抱えたまま一向に動く気配を見せることはない。
それだけ、狛谷柴の、ロッヅの姿を見たときの表情が忘れられない。ということなのだろうか。
それとも、送り犬と迎え犬。守り神と祟り神に拒絶されたことが――外敵であると認定されたことが、よほど堪えたのだろうか。
多分、そのどちらもだろう。
自分はなにもしていない。強いて言うなら、自分の正体を明かしただけだ。
そんなことは、このフリークショーの中では何回もやっているだろう。
更に言えば、ロッヅは馬鹿だから、フリークショーに入る前からずっとやっていただろう。
不安になったのは、多分今回が初めてだ。
不安になったら、その不安が現実になった。
それは余りにも、十歳の少年が受け止めるには大きな出来事だと、四百年生きている吸血鬼は思った。
外を見やる。
窓の外は真っ暗だった。
夜だ。朝ではない。
朝と夜は共に存在することはできない。同じ世界の違う世界だ。
夜に生きる狼は、朝を生きる少女と仲良くなることすら、難しいことなのだろうか。
「……?」
窓の外の星は、田舎だからか結構な数が光っている。
その中で一際大きな星を見たルーミアは目を細める。
なんだろうか。あれは大きいのではなくて、近くにあるのではないだろうか。
近くにあるから、大きく見えているだけなのではないだろうか。
というかあれは――星なのだろうか。
ガシャン。と、窓ガラスが割れた。それに団員たちが気づくよりもはやく、不楽が反応するよりもはやく、窓の外から飛び込んできた長い長い日本刀は、ルーミアの細首を捉えて、貫いた。
びゅっ、びゅっ。
ルーミアの口はぽかん、と開き、細首からは血が溢れている。
座り込んでいた彼女の体はそのまま仰け反るようにして倒れた。後頭部がゴツン。と音を鳴らし、それが合図という風に、キャラバンの中にいた全員がルーミアと窓から距離を取るように、たたらを踏んで、背中を壁にぶつけた。
唯一、元から壁に背中を預けて膝を抱えているロッヅは壁に背中をぶつけたりはしなかった。不楽はやはりというかなんというか、反応はなかった。ルーミアの首に日本刀が刺さったことを確認して、窓の外を見た。
ちょうど、割れた窓から誰かがキャラバンの中に侵入しようとしているところだった。
両手を顔の前でクロスさせて、窓のさんを飛び越えるようにしての侵入。窓ガラスの破片が飛び散る床に、スニーカーで着地する。
白装束――陰陽師だった。
その顔は憤怒に満ちている。ギチギチと歯が割れんばかりに、軋んだ音をかき鳴らす。
首はもうそろそろ百八十度回転しそうなぐらいねじ曲がっていて、目はどこを向いているのかさっぱり分からない。右手には鉈。左手には持ち手が短い鍬を持っている。その服装と頭をどうにかしたら、農作業に向かっている最中のような持ち物だった。
「去ね、化物。去ね、去ね、去ね、去ね、去ね、去ね、去ね」
血走ったぎょろついた眼は倒れているルーミアを捉えた。
鉈を逆手に持ち直し、倒れている彼女に向けて、陰陽師は振り下ろした。
ザキッ。
骨を抜かれていない挽肉でつくったロールキャベツを切ったような音がした。
血は溢れなかった。
それは当然のことだ。
血は流れていないのだから、ないものは、溢れようもない。
陰陽師が鉈を突き刺したのは、ルーミアを庇うように突き出された不楽の手のひらだった。
「狛谷十石」
陰陽師の顔を覗き込みながら、不楽は言う。
鉈に貫かれた手のひらはそのまま、鉈の根元までスライドさせるようにして動かし、そのまま、鉈を掴んでいる十石の手を掴んだ。
手の中に何個もある石を一気に掴んだかのような音がして、十石は低い悲鳴をあげる。
脂汗が滲む顔で不楽を睨み、十石は左手で持っている鍬を横向きに、不楽の顔めがけて振るった。
不楽の表情は変わらない。目の前に羽毛が飛んでいるのと変わらないぐらいの目で、迫ってくる鍬を見ている。
頭をあの鍬で貫かれたところで、死ぬことはないからだ。痛みもない。だから、これを忌避する理由も、避けようと焦る理由もない。
とはいえだ。
避けなければ、顔に鍬を受けてしまえば。
きっとルーミアは怒るだろう。なにをしているのだと、文句を垂れるだろう。きっと、悲しい表情をするだろう。それは、避けなければならない。
……どうして避けなければならないのだろう。
どうして、ルーミアが悲しい表情をするのがダメだと思ったのだろう。
どうして、自分が傷ついたらルーミアが悲しい表情をすると思ったのだろう。
分からない。
多感な女子中学生辺りなら一瞬で分かりそうな答えだったが、不楽には分からないことだった。
不楽は考えるのをやめて、掴んでいた十石の右手を更に強く握り、彼を大きく振り回した。遠心力で彼の体は伸び、鍬はどこかに飛んでいった。
ぱっと手を離す。
不楽の手のひらという鞘から鉈が取り出され、十石の体は壁に叩きつけられた。
ぐらんぐらんと、キャラバンは大きく揺れて、十石は床に伏せた。動く様子はない。
不楽はゆっくりと近づく。
ああ、そういえばもう一つ。思ったことがあった。考えたことがあった。
理由は分からない。理屈は分からない。因果の因が分からない。
けれども、こいつを痛めつけなくては。ボロボロに、殴らないと。二度と、こんなことをしようと思えないぐらいに。
そんな『果』があった。
それがなにで、それがなんというものなのかは、分からない。
誰かに聞いたら、教えてくれるだろうか。
床に伏して悶絶している十石を見下ろしている不楽は、そのまま足を持ち上げて。
「魅了にかからないで吸血鬼を倒す。そのためには、眼を見なければいい」
とはいえ。と、倒れているルーミアが口を動かした。赫々とした眼は、自分の首を貫いている日本刀を見ている。
両手で日本刀を掴む。ぐに、ぐに。ごきゅ、ごきゃ。そんな音を鳴らしながら、日本刀は細首から引っこ抜かれた。ぬらぬらと赤い血で濡れている日本刀は床に落ちる。
どこかから、小さな悲鳴が聞こえた。
確かに、見ていて気分の良いものではないかもしれない。ぐうぅ、と腹筋の力だけで上半身を持ち上げたルーミアは心底ウンザリした表情で倒れている十石を見下ろした。
「そのために遠くから日本刀を投げる。というのはまあ妙案だけど、どうしてこんなちんけな日本刀を選んだのかしら。こんなもので、私を殺せるとでも思ったの?」
「それは……我が家に伝わる……奇っ怪なるものを殺すために造られた、刀だぞ……」
「ああ、妖刀なの。これ」
ルーミアは己の血で濡れている妖刀に、視線を向ける。
「やっぱり、『こんなもの』ね。私を殺すことすら出来ていない」
それで。とルーミアは続ける。細首に空いていた傷は既に塞がっている。
「あなたはどうして、私を殺そうとしたのかしら――いえ、私を殺すことはあなたの仕事だからなにもおかしなことはないわね。でも、今回の襲撃はそうは思えない」
「そうなの?」
「そうよ。だから聞くわ。どうして私を殺そうとしたのかしら?」
「……私の娘をどこにやった」
「……なに?」
血走ったぎょろついた眼で睨んでくる十石に、ルーミアは困惑の声を漏らす。
「昨日、あの子がお前たちと一緒にいたのは分かっているんだ。お前らと夜に会って、それから家に帰ってきていない。お前ら、柴になにをした。柴を返せ!」
「…………」
ルーミアは困惑した表情を隠すことなく、ロッヅの方を見やった。
ロッヅは、頭を上げていた。
「狛谷が、いなくなった……?」




