わんこはアプリ加工される
悩んでいる間にも時間は進行する。
感覚的だけのことを言えば、いつもよりもはやく進行する。
悩んで答えを出すよりもはやく、答え合わせの時間が来てしまった。
ロッヅは答えを出すことは出来なかったが、それでも狛谷との遊ぶ約束をすっぽかすこともわけにもいかず、時間になってロッヅはいつもの服装でキャラバンからでかけようとした。
しかし、でかけようとしたその矢先、エマとカラに引き止められてしまった。
「こんな格好じゃあダメだよね」
「だねー。もう少しさ、マトモな服装にした方がいいね」
「じゃあこんな感じ?」
「いいんじゃあない? しかし意外だね」
「なにが?」
「エマがファッション気にするなんてさ」
「……普通のことでしょ」
「まあ、エマも女の子だもんねー」
「なんかムカつく言い方」
「まあ、ファッション雑誌隠れて読んでいることも知ってるんだけど」
「なっちっあっ!!」
なんだかよく聞き取れなかったけれど、エマが騒いでいた。
後日、ふせんがついたファッション雑誌が発見されて、一つ目の団長がうきうき顔で注文してプレゼントしたのだけれど、サイズが全然合っていなくて一つ目の団長がものすごく落ち込んだりしたのは、また別の話だ。
結局、意識はしていないようには見えるけれど気は使っている。ぐらいの服装に着替えさせられた――ロッヅ自身、よく分かっていないけれど――ロッヅはカラに背中を叩かれながら外にでた。
「やほー。ロッヅくん、待った?」
「よ、よう。えっと……」
「あれ、もしかしてとうとう名前を忘れちゃったパターン?」
狛谷柴だよ。とちょっと困ったように首を傾げているロッヅにそう言った。
ロッヅがポンと手を叩くと、狛谷ははははと笑った。
「もしかしてロッヅくんはバカなのかな?」
「みんなにも言われる」
「だろうね」
おかしそうに口元に手を添えて笑う狛谷に、ロッヅはどうしてか恥ずかしそうにはにかんだ。
「どうして喜ぶロッヅ……」
「今のあいつなら、なにを言われても喜びそうだな」
「変態が二人とか最悪なんだけど」
「見られなくても興奮できるなんて、信じられない」
「…………」
この無言は呆れの無言ではなく、ただ単純に会話に参加していないだけである。
傍から見てもデレデレしていることがよく分かるロッヅの風下方向に、一つ目の団長、クロク・ドゥイ、エマ・サヘル、カラ・バークリー、不楽は前回と変わらず建物の陰に隠れて頭だけをにょきっとだして、ロッヅと狛谷を見張っていた。
その姿はやはり不審さ極まりないというか。
横切る人の顔は一瞬、にょきっと顔を出している全員を一瞥してから足を動かす速度をはやめて去っていく。
まるでそこに加速装置でもついているかのように、人混みは加速していく。
彼らが去っていくたびに、カラ・バークリーは嬉しそうに、だらしなくて気持ち悪く笑って、エマ・サヘルはもぞもぞと体全体を揺らして、頭を引っ込めた。
「なんだ、トイレか?」
「死ね」
冷ややかな目で、エマはクロクを睨んだ。
落ち着かない、とでも言わんばかりにエマは肩をなでる。いつもどてらのように羽織っている毛布は、今日は定位置になかった。
「ねえ、やっぱりこれ変じゃあない?」
エマはいつもと違う服を着ていた。
手まで隠れるぐらいのだぼだぼなパーカーを着ていて、フードを目深に被っている。
いつもは履いてすらいないスカートを履いている。
地面に届かんばかりのロングスカートで、蛇の尻尾のような脚を隠している。
スカートの腰回りがあっておらず、ベルトをぎゅーっと締めているせいか、その表情は少し苦しそうだ。
「パーカーにロングスカートって、あわないと思うんだけど」
「そうでもないよ、似合ってる」
一つ目の団長は顔を緩めた。
いつものシルクハットに燕尾服姿ではなく、エマと同じくパーカーにフードである。
あの姿は狛谷も一度見ているし、なにより人目につきすぎる。
そういう理由で、ルーミアも今回、キャラバンでお留守番をしている。
服装を地味めなものにすればよかったのだが、それは彼女の美的センスにそぐわなかったらしい。
それに闇にはえる銀髪に、明らかに日本人離れをしている見た目は、服装を地味目にしたとしても普通に目立っただろう。
「確か吸血鬼は本当や本物はないのだから、姿を変えることもできるんじゃあなかったっけ」
「ほかの人型になることはできないのよ」
「どうして?」
「始祖にそう命令されてるから」
そういう話もなくはなかった。
「まあ、最近寝不足だったし、丁度いいわ。今日はゆっくり寝るから、邪魔しないでくれる?」
あふ、と牙がちらりと見える程度に口を開いてあくびをしたルーミアは、全員を見送ったりすることなく布団の中に潜り込んだ。
「あれ、絶対追いかけてきてるよな」
「追いかけてきてるよねえ」
クロクはいつものように性格悪そうに笑って、からはマフラーの上に置いた自分の生首をおさえながら笑った。
キャラバンからでる時に魅了をかけられている彼女は、前回と同じく、生首を投げたくても投げられない状態だ。
「これに悩んでたはずなのに、なんだかバカみたいね……」
魅了をかけていたとき、誰にも聞こえないようにルーミアがそう呟いていたのは、まあ当然の話ではあった。
「それじゃあ」
そんなクロクたちに気づくことなく、狛谷とロッヅは話を続けている。
「まずなにをしようか。一緒に遊ぶと約束はしていたけれど、まずなにをするまでは決めてなかったよね」
「あ、じゃ、じゃあ──」
ロッヅは顔を明るくして妙に膨らんでいるポケットをまさぐる。
まるでそれが合図でもあったかのように、ロッヅの腹の虫がないた。
「あ……」
ロッヅの顔が、急激に赤らんだ。恥ずかしそうに目が潤む。
ゲラゲラゲラ、とクロクたち(不楽除く)は腹を抱えて笑う。
狛谷はきょとんとした表情で顔を赤らめているロッヅを見てから、くすりと笑った。
「まだお昼には早いけど、はやめのご飯にしようか。ロッヅくん、お金持ってる? 持ってないならおごるけど」
ロッヅは慌ててポケットの中をまさぐった。幸運なことに、ポケットの中にはお札が数枚ほど入っていた。
***
二人は待ち合わせ場所の近くにあったファミリーレストランのチェーン店へと向かった。窓際の席に座る。窓の向こうでは車の往来が激しくない――むしろ殆どないと言ってもいい車道がある。
大きな窓からは太陽の光が存分に店の中に侵入していて、窓際に設置されている机を温めている。
ロッヅはその机の上にアゴを置いてまどろみに負けかけているのか、目を細めている。
顔の横ではドリンクバーでつくったコーラと牛乳とメロンソーダを混ぜたキメラが、吐き気のするような色合いでガラスのコップの表面を彩っている。
対して混ぜたりせずに普通にグレープソーダを入れた狛谷は、それを一口含んでから、ロッヅの顔を見て口元を緩めた。
「まるで日向ぼっこしている子犬みたいだね」
いつもなら『子犬じゃあない、狼だ!』とか言い返しそうなセリフではあったけれども、ロッヅはビクリと体を震わせてから。
「そ、そうか?」
と少しどもった感じで返すことにとどめた。狙ってなったというよりは、自然とそうなった。という感じである。
「私ね、子犬の写真を見るのが好きなんだ」
世間では子猫のほうが人気みたいだけどねー。と狛谷は笑いながら、自分のスマホをポケットから取りだしてロック画面をロッヅに見せた。そこに写っているのは重たいまぶたに抗うことすらしていない小さな柴犬――豆柴と言うのだろうか――だった。
「この写真の子にそっくり。この柴犬、私好きなんだ」
「…………」
喜べばいいのか悲しめばいいのかよく分からなかった。
犬みたい、というか実際犬なのだけれども。
犬というよりは、狼なのだけれども。
好きなものに似ていると言われたら喜ぶべきなのかもしれないけれど、今の心境ではいまいち喜べなかった。
だからロッヅは、あいまいで微妙な反応をすることしかできなくて、それをごまかすように顔の横にあったキメラのストローをくわえた。キメラの味は、その見た目相応で、ストローから口を離したロッヅは、眉をさげてうへえ、と舌をだした。
すると、パシャリという音が聞こえてきた。
アゴを机に載せたまま、上目遣いでロッヅは音のした方を見た。狛谷が両手でスマホを構えていて、口元をニマニマと動かしている。カメラのレンズがロッヅの方を向いていて、どうやら写真を撮られたらしい。ということはよく分かった。
どうして写真を撮ったのかはいまいちよく分からないけれども。
狛谷は撮った写真をロッヅに見せるわけでも、撮ったことを言うこともすることをせずになにやら画面をぐりぐりいじくっている。
そうして満足できたようで、頷いてから狛谷はスマホの画面をロッヅに見せた。
スマホの画面には写真が一枚写しだされていて、そこには舌をだして顔をしぼめているロッヅの顔が大きく写されていた。
それだけならば、なんだか赤面ものというか恥ずかしい一瞬を撮られてしまったものだと口元をもごもごと動かしてしまいそうだったけれども、ロッヅはそれを見て一瞬、固まってしまった。
なぜなら、そこに写されていたロッヅの写真はまるでプリクラで撮ったみたいに加工されていたからだ。
全体的に、湯気でくもったレンズで撮ったみたいにぼやけていてほんのり白くなっている。色白に見せようとしているのかもしれない。
頬の部分が赤く塗られている。明らかに不自然であるから、加工されたものなのだろう。
だらしなく出されている舌の上に、もじゃもじゃとした茶色い毛がこんもりと盛られている。そのてっぺんには、小さな黒い丸が置かれている。
短くてつん、と空に向けて立っている髪の毛の上には耳が生えていた。三角の形をしたものではなくて、だらりと垂れている、いわゆる垂れ耳である。
その写真に写っていたロッヅは、まるで犬のように、加工されていた。
「どうどう? 最近流行ってるんだよ、このアプリ。可愛く撮れてると思うんだけど」
狛谷はおかしそうに笑う。
けれども、ロッヅはそれに対して返すことができなかった。
口を開くよりも先に、考えるよりも早く。
頭の中に浮かんだのは、自分の姿であった。
自分の、中途半端な姿。狼でもあって人間でもあって、人間ではなくて狼でもなくて。
どっちでもあってどっちつかずで、言い切れなくて断言できないその姿だった。
――俺はどっちなのだろう。
――俺はどっちにすればいいのだろう。
――どうすればいいのだろう。
迷いが頭の中をしっちゃかめっちゃかに動き回って、ロッヅは写真の感想を言うのも忘れて机に頭突きをかました。コップの中のキメラが波をたてて、狛谷は目をまん丸にした。




